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二〇二二年がくれた粋な贈りもの5選
二〇二二年が言った。こう考えてみるのはどうだろう?と。
その一、光のなかで目をこらしてみるのはどうか。
暗闇だといずれ目が慣れ、落ち着く。心地よく、ずっとそこでぬくぬくしていたいと思うかもしれない。ほんとうにむずかしいのは、目が慣れることのないまぶしい光のなかにいることだ。それでもえらべるなら、そちらをえらんでみるのはどうだろうか?もし暗闇しかえらべないのなら、その闇を呪うのでなく、ろうそくをひとつ灯してみる。意外とろうそくはすぐ身近にある。
その二、時間は一直線にながれているのではないとしたら?過去も今も未来もひとつの線上にはなく、おなじ空に散らばる星のようにいつもいっしょにあって、互いにずっと影響しあいつづけている。できごとには順序などないとしたら、さてどう生きる?
その三、きょうという日がすべてのシナリオを知っている未来にいるじぶんの回想、だとしたら?つまり未来はすでにある。それもあなたが自由に描ける未来。
思い出したいのは、人生という物語を書いているのは一体だれかということだ。答えはあなたで、あなただけが唯一あなたの人生の物語の書き手になることができる。そしてその物語はすでにできあがっていて、書き上げたその物語を今、未来にいるあなたが読んでいる。そう思うと、今日という時間が過去や未来とよばれる時間といつだって一緒にいて、互いに影響を与え合っているのがわかる。そうとなれば今日という日をどんな一日にしたいのか、あなたはすでに知っていることになる。そのとおりに生きたらいいのではないだろうか。
その四、なにごともたのしくやるのはどうか?たったそれだけでいいと思う。そのために生まれてきた。
無垢とは、何の目標もなく生きること、ひとえに善であるということを意味します。(中略)何の目的もなく、ただ楽しむこと。
不安も罪悪感も覚えずに、母の乳を飲むこと。
私たちが生きているのは、なぜ自分が母乳を飲むのかを説明しなけれなばらないような世界なのです。
その五、死ぬとわかっていて生きている。死ぬために生きている。それは、つねに死を考えるということじゃない。死ぬにもかかわらず、死ぬからこそ、生きているあいだは生きることに専念すべきだ。希望ということばに笑いがこみあげるなら笑えばいい。にもかかわらず持つものを、希望という。
生きている間は、生きるための算段をするのが妥当である。
生きているときに、死んだときどうだとか死ぬときどうだとか考えるのは、全然筋が違うと言いましょうか。
生きている間は、生きるっていうことに対して気持ちを向けるべきだと思うわけですね。
生きる方向に対して最善を尽くすべきだっていうこと
これらのだいじなことは、ふとひらいた本だったり、ふと出会った人だったり、ふとでかけた場所だったり、ふとよみがえった記憶であったり、さまざまなところに自然のかおをして置いてあったものたちを拾いあつめて、さてと並べてみたときに、それらのものともののあいだには、古い昔から伝わるつながりがあるのがわかった。
この同じものとふたつとないつながりを人生という物語と呼ぶのだと、2022年がおしえてくれた。
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