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冬至はしっかり、クリスマスはほどほどに

2022.12.20

請求書を書いたり、洗濯物を大量に干したりして午前中が過ぎる。午後は書きもの。日が暮れかけて近くの山に散歩に行く。山用のめちゃくちゃ温かいダウンを今季初おろし。これを着ていればどんな寒さもへっちゃら。山に入ったの、そういえば夏ぶりかもしれないな。こんなに近くにあるのに来ないものだなあ。山の中は一面オレンジに染まり、木々はしずかに枯れ、辺りはしんとおとなしい。入口とは反対側に位置する出口のひとつを抜けて、住宅街を通り、うつくしいと少し不気味の中間くらいのシルエット富士山を眺め、帰路へ。夜はまたもや鍋にする。茅ヶ崎の魚屋さんで広島産のふくよかな牡蠣をみつけたので、ぜいたくに二パック分入れる。いい出汁がでた。白菜と大阪からの贈りものの長ねぎ、里芋の小芋をこんもりと。里芋の小芋は下茹でなしで楽ちんだし、ちょうどいいとろみ具合がでておいしい。数日前から湯たんぽを始めた。今日は23時には寝る。最近0時をすぎて寝る毎日がつづいていた。一に睡眠と食事、二に同じ、三、四なくて、五に睡眠。


2022.12.21

寒さで目が覚める。いつもつけているダークグレーのださいアイマスクをこの前の赤羽のホテルに忘れてきてしまったので、障子ばりの六畳間に訪れる朝がやけに明るいのを久しぶりに感じた。なくしものでいえば、ふだんはほとんどしないのに、少し前にも近くの温泉へ行ったときに温泉セットと呼んでいるアメニティをひとまとめにしたポーチも忘れてきてしまった。問い合わせても忘れ物のお届けはございませんといわれ、だれかが持って帰ってしまった事実にすこし落ち込んだ。わたしだったらそんなことぜったいしないのにな、わかんないな人って、なんていうかきもちわるくてできないもの、あと味が。

朝はごみ捨て、洗濯物、漢方二種類ゆっくりのむ、鉄分サプリ、目薬タイム、そして朝ごはんのルーティン。そうこうしているうちにあっというまに時間が過ぎてしまう。今日は昨晩の鍋の残りでおじや。お昼まで書きもの。慌てて支度をして、今年さいごの美容院へ。うとうとしていたらあっというまに終わって、ふわふわ浮いていたえりあしがだいぶすっきりした。隣に座っていた七十代くらいのおばあさま、まあ調子が良くて、若い男性の美容師さん相手にひとときも休む間なくしゃべりつづけていた。九十代の母のお世話で実家のある鎌倉に頻繁に来るようになったので美容院をいつものところからこちらへ変えてみようかしらと思ったそうで。美容師さんにおひとり?と聞いて彼が同棲していますと答えたときのおばあさんのおどろきようといったら!そんなに?ってくらい大げさな反応を五分間くらいつづけていた。ひと昔前だったら同棲していますなんておおっぴらに言えない言葉だったのよ、だってわけありっていう意味だからね、いやあおどろいた、おどろいた、ふつうは言葉を濁すのよ、ひとりではないんですけれどとかね、、、そうなの、、、。

美容院をでると風は冷たくはあるものの昨日よりやわらかく、家まで小一時間歩いて帰ることにする。必要な振り込みをすませ、コンビニで荷物を送り、由比ヶ浜の小さな出版社「港の人」へ寄る。メールで頼んでいた笹木拓さんの歌集「はるかカーテンコールまで」を買う。定価二千二百円の二百円がなかったので五百円をだすと、じゃあ二千円でいいよと社長さん。なんだか昔気質の商店街でお買い物したみたいでうれしいのと申し訳ないのとで半々になる。すこしおしゃべりさせてもらって帰路につく。本が入っていた茶色い封筒をふとみると出版社のロゴマークに「書物、さらなる海へ| 港の人」とある。うわあなんてかっこいいのだ、としびれて歩く足がおもわずスキップしそうになった。書物、さらなる海へ。どこまでも。なんどか行ったことのある甘味処で海苔巻きだんごと草団子を買い、その場で食べる。そういえばお昼ごはん、食べていなかった。長谷の経音さんにふらりと入り、草色のふきんとふすま紙を利用したポチ袋、湯河原にある「型染工房たかだ」さんの型染和紙ハガキを一枚買う。ふきんは年が明けたらあたらしくおろすことにする。鎌倉にいるとつい寄り道がふえてしまう。


2022.12.22 冬至 

やっぱりアイマスクがないと夜中になんどか目が覚める。中古フリマサイトで新しいのを頼んだのでもうすぐ届くといいけれど。久しぶりのつよい風と雨。昨日から立て続けに頼んでいた本が届いたので積読注意。午前中は片付けと企画書。お昼は冬至なので「ん」が二回つく食べ物を食べたくて煮込みう(ん)どんに。あったのはにんじんとなんきん(かぼちゃ)くらいだった。ほかに白菜、お芋、里芋の小芋、大根など。一陽来復、きょうからまた、すこしづつ。

友人と鎌倉山近辺を散歩。夫婦池公園で沢山のリスに会う。散歩中、落とし物をカメラで記録してほしいと友人。今日落ちていたのはゆず、ペアのそろった(握りこぶしのままの)黒い手袋、飲みかけのフルーツティー。片方だけじゃなく両揃いで落ちている手袋からは、こぶしを握った形だからということもあろうが、落っことされてもなお我ここにありといった力強さと意志を感じた。落とし物って、どの瞬間から持ち主のものから「落とし物」へと変わるんだろう。風景のなにもかもが冬のオレンジ色に包まれて音をなくしている。とんびが涼しい顔で滑空していく。かなり久しぶりにブックカフェ惣commonさんへ。クラシック音楽がちょうどよいボリュームでかかる中、読みたい本がわんさかあって興奮。でもこれ以上積読を増やせないので一冊だけ買うことに。小川洋子さんの「物語の役割」という本。友人は探していた奥山 淳志さんの「庭とエスキース」に出会えて嬉しそう。ほうじ茶ラテを飲めない牛乳の代わりにオーツミルクで作ってくださった。ふわふわの飲み物、飲んだのいつぶりだろう。おそろしいくらいに庭の竹がしなり、あっというまに世界は暗闇へ。家へ帰るとパートナーが長い昼寝のまっさい中だった。


2022.12.23

またもや猛烈な風がひと晩じゅう吹き荒れていたせいでほぼ一睡もできなかった。海が近いからかほんとうにひどい。そんな大きな声でしゃべらないでくださいと思う。東京に暮らしていた頃はすさまじい強風で眠れないなんてことを経験したことがなかった。雨戸を閉めればまだましだろうにいちど入った布団からでるのがとんでもなく億劫で、なんども寝返りをうちながら夢におちていく瞬間を心待ちにしていたもののうまくいかなかった。おまけにアトピーのがさがさがこのひと月ほど首周りにひどくでていてかゆさも重なってよけいに寝つけない。

眠れないから色んなことが目の前の空虚をよぎっていく。ふとわたしは東京より北にルーツのある男性には縁がないな、と思う。今までほんとうに好きになった人は東京の人か、西の人。といっても北海道の人と二度、宮城の人と一度、付き合ったこともあったけれど、どの時も波長があわないなあ、ちぐはぐだなあと思いながら過ごして皆短命に終わった。北海道ふたりはダンサーと俳優で、ダンサーは始めからふたりの間になにかなまものが通いあうような人だと思えなかったし、俳優は根はいい人なのにいつも空気を読むために調子いいことばかり言うくせがあってほんとうはそんな人じゃないでしょうにと思ったら一緒にいるのがつらくなってしまった。宮城の人とわたしはほとんどすべてが少しづつきれいにずれていて永遠に噛みあわないだろうなあと思った。でも、いろんな出会いがあったんだなあと思う。どれかひとつでもなかったらじぶんは今のじぶんとはちがうんだと思うと、通り過ぎてくれたすべてのものに感謝したい。

パートナーがまた発熱。のどがよわいからかわいそう。ここで五年前のわたしだったらひどくざんねんがったと思う、このまま寝込んでクリスマスに一緒になにもできないだろうから。でも今はふしぎなほどになにも思わなくなっちゃった。どうしてあんなにクリスマスに浮かれていたんだろう?なんてことのないかけがえのない一日であることはほかの日となんの変わりもないのに。街のあちこちでクリスマスをたのしんでいる光景はいいなあと思う、ゆきすぎた商業主義がどうしてもちらつくからただ純粋にすきだとはもう思えないけれど、多くの人が今日という日を大切にしようとしている気配は好き。でも決まってセットで思う、そのほかの364日だっておなじように大切だと。



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