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この国の時間|ソウル日記2



一日目はこちらです。




2024.5.9(木)

ソウルの朝。野菜もくだものも、太陽をあびて花のぱあっとひらいたみたいに、八百屋の軒先とトラックとにころげおちそうに並んでいる。そこを寝ぼけまなこのツアーの団体が、そろそろ横切る。スーパーに入るとまだだれも入ってきていない、真新しい空気。

ヨンサンの戦争記念館へ。このとき、Yも私もそこがどんなところか知らなかった。ただ名をのみ見て、この国の戦争の歴史を深く学べるものと思い、向かった。

記念館の周辺は、警備がものものしい。道がわからず、うろうろしていると、釣り人みたいなサングラスをかけた背の高い警備員によび止められ、パスポートを見せてといわれる。Yが首からフィルムカメラをさげていたから、だから聞いたんだと、その人は親しげに言った。

途方に暮れそうにだだっぴろい、記念館の入り口に、五月のまぶしい光しぶきがはねている。近寄りがたい空気を出す分厚い石碑に「FREEDOM IS NOT FREE」と彫られてある。胸がひとつ、ぐっと判子を押されたように固くなる。

こつんと抜けたその場の真ん中に、等身大よりずっとおおきい、人びとの彫刻がそびえる。モニュメントの先頭に、猛々しい顔の、武器をかかげた軍人。後方に、列になったさまざまの市民たち。立ち上がったり、座り込んだりしている。軍と民の、一致団結をあらわしたそれが、太陰太極図の陰と陽のように場の左右に配置されている。つまり、片方のかたまりの軍人の視線の先には、もういっぽうのかたまりの市民のお尻があり、逆もしかりになる。

それらをみて、腰がちいさく抜けた。この国で、戦争は決して終わっていないと分かる。日本人が日本にいると、こういうことを感じないだけで、けれどここでははっきりそうなのだ。顔や文化、使う言葉の単語がよく似ていても、まるで体に、ちがう血を流している。流れている。大きすぎて渡ることのできない河を前にしたみたいに、そう思った。

のこのこやってきた無知な外国人の私は、その流れを前になにを思えばいいのだろう。なにを思ってもおかしな気がした。とっさに腹にうまれた気持ちは、持つべきものとはちがうだろうと思った。私はこの人びとの血を、この体に流していないのだから。そういう人間がこれを見たあとできることは一体何だろう。

入り口に、軍人がたくさんいた。休暇なのか、遠征なのか、わからないが、なごやかな空気でいる。かれらはごくふつうの人びとが、軍人の姿になった姿だ。有事になれば、戦場へいく、ふつうの人びとだ。国とはなんだろう。人であり、それ以外ないはずなのに、こういう光景をみると、人ではない、虚構のかたまりのように見える。

中へ入る。戦争の歴史をふりかえり、自省したり、平和とはなにかを真剣に考えられる場と、思っていた。けれど、戦争を、肯定しているようにもみえる。それは、この国の侵略されてきた歴史を思えば、闘わねばやられると、仕方のないことなのかもしれない。そこに、日本もけっしてゆるされないやりかたで大きく関係している。けれど、あまりに痛く、みているのがつらい。この土地にうまれ落ち、この空気の中を生きていかねばならないのだとしたら。私の想像力はたやすくへし折れる。なにも分からない。世界はひとつづきのようで、途切れ途切れにぶつ切れているように錯覚する。

実物の戦闘機が、いくつもきれいに飾ってある。小さな子たちが、そばを駆けていった。そう遠くないいつか、軍に入らねばならない子たち。イ・スンマンの乗っていた車と書かれた、黒光りの仰々しいのが、展示されている。まだ大学生くらいにみえる見学の軍人たちが、かっこいいというようなことを言いながら、たのしそうに写真を撮っている。

壁に、いくつかの国の言葉で、こう書いてあった。

「国民の自由と幸福は国家の存立を前提とする。安全な国家の保全は幾多の外部による侵攻を克服し、明日のために命懸けで守るべき永遠の課題だ。
国家を守る任務は身分・性別・年齢そして理念と宗教的葛藤も超越した最優先価値である。国家を守ろうとする強靭な護国安保共同体意識は国民が持つべき最善の徳目といえる」

「戦争記念館は韓国の希望に満ちた未来と世界平和維持のため、平和な時に戦時に備えろという貴重な歴史的教訓を伝えている」




45分くらい歩き、昼ごはんの店をめざす。外はあかるい。今という時しかなく、あとにも先にも、なにもないように明るい。けれど光は、影と離ればなれにはならない。

長い通りの地面に、緑のすきまから光がこぼれ、その影すらまぶしくみえることがある。私は、じぶんがうまれて生きている広い、広い世界を、どのくらいも知らない。

南山タワーと公園の森をめざすように、北へ歩いた。90度くらいの、あまり舗装のないちいさな坂がつづく町へ入った。汗だくになり、ソウォル釜ごはんに着くと、開店をまつ人の列ができている。さいごのひと席に案内され、釜飯のふたり分のセットを注文した。私は、あわびの釜めし。副菜に、とうふステーキの旨辛いソースと、椎茸とぴったりくっついたえびしんじょが出た。日本の出汁の香りとはちがう、混ぜごはんのような釜飯。にんにくの香りが、どこにも香っていて、たべ慣れないのになつかしい味で、いくらでも口に入る。

ふたり分のセットで好きな釜飯がそれぞれえらべる
えびしんじょ、とてもおいしい
爽やかな風が入る、店内で、きもちがいい
レジ、かわいい



近くを散策した。観光客は少なく、地元の人びと、とくにおじいちゃん、おばあちゃんがたむろして、日向ぼっこをしている。のどかな坂の下町。八百屋や肉屋、クリーニング屋など、小さな区画に生活の店がならんでいる。街並みはふるく、建物のあいだをたて長に風が抜ける。

 

ローカルなエリアだった
むこうに、南山タワー
井戸端会議に、耳をそばだててみる。おじゃまします
ねむそうな猫に会う
メモ紙、落ちていた
ちいさな坂と階段の多い町


いきたかった書店のひとつ、Storage Book & Filmへ。リトルプレスがたくさん。ノートを買った。黒字に、グレーがかった白で植物が描かれてある。ここでも日本語のローテンポのうたが、流れていた。

店の前に、急な階段がある。日帝時代の元神社の参道だと書いてあった。こじんまりしたロープウェイみたいなのりものに乗って、急斜面をのぼると、はるかむこうから開発の波が押し寄せているのがみえた。頂上で、ロープウェイでいっしょになった自転車を引いたおじさんに話しかけられた。わからないというと、日焼け顔のおじさんはあーと言って、ひらひら手をふり、いなくなった。

Storage Book & Film
じわじわ暑かった


長い坂をソウル駅のほうへあがっていくと、南山公園の入り口。映画かドラマの撮影をしている。子どもたちのシーンみたい。よーいはい、で、急な階段をかけあがっていくところ。

さらに歩いて、南山図書館に入った。陽だまりのテラスやデジタルライブラリがあり、空間も広々と、充実している。窓から、新緑のゆれるのがいつまでもみえる。

安重根記念館にも入った。見ごたえがたっぷりある。歴史の教科書にでてきて一行で終わってしまう人の、そこに至るまでの人生をつぶさに知る。ひとりの人間についてここまでくわしい展示のあることに、この国における彼のしたことへ対する人びとの思いを知るような気がした。

南大門市場で、はじめて小銭を両替した。アメ横みたいににぎわっている。ひとりでうろうろしていると、日本人とわかるみたいで、やあやあと声をかけられる。こじんまりした魚市場で、串ざしの練りものをたべてみた。韓国おでんらしい。びろびろ、屏風みたいに串にささっている。ふつうのと、ピリ辛のとあり、辛いのは赤唐辛子、青唐辛子がきざんで入ってある。つゆもピリ辛で、日本のおでんと一風変わっておいしい。口数のすくないおかあさんが、淡々と切り盛りしている。

菓子店で、よもぎもちを買った。いちど新大久保のソウル市場で買ったことのあるのに似た、南瓜と米の層になったもちもあり、それはすぐにたべた。よもぎのほうは、あけてみると表面にごま油がたっぷり塗りつけてあって、すこし苦手な味。

夕方の南大門市場の魚売り場


夕飯に、ソウル駅の北にある、parcでそばのセット。小麦をつかわない麺があるというので、行きたかった。この麺が、つるつるしてのどごしの良く、ちょうどよい塩加減。山菜みたいなナムルと和えて、とてもおいしい。うだる夏にいくらでもたべたい味。Yがマッコリを頼んだらついてきた、分厚い海苔を大きくカットして揚げてあるスナックも、おいしい。お腹いっぱいで、ヨンナムドンへ帰る。






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