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尾道日記vol.2 海が宇宙で、島が星なら




五月十三日 土曜日
海が宇宙で、島は星なら


 朝、持ってきた玄米を三合ほど炊く。宿にあるのはステンレス鍋で、しかもIHで火加減の調節ができないというふだんとちがう状況のなか、なんどもようすを見ながら。きれいな蟹穴ができたのを見てほっとした。昨日買った野菜をソテーして、玄米にはごま塩。地元で育った食材を調理してたべると、旅がはじまった、と思う。それにしても、ひとりしずかに食べる朝食は瞑想にちかい。今日は鼻がぐずぐずで、あたまはふらふら。おまけに冬みたいに寒い。昼からは夜までやまない雨が降る。こんな日はじぶんでもびっくりするくらいゆっくりいくのがいい。

 因島で撮影取材をさせてもらうため、九時すぎ、ちいさなフェリーに乗る。向かう先は初めましてのしょうこさんの家。フェリーはほぼ満員だったが、重井東港の船着場で降りたのは私ひとり。ぱらぱら雨のなか、黒色の柴犬みっちゃんをつれたしょうこさんの娘さんのみかさんが、麦わら帽子にキャベツ色の涼しげなスカートパンツ姿で手を振って待ってくれていた。

 大阪から帰省中のみかさんのスローな運転でお家へ到着。体のちいさなしょうこさんが胸いっぱいに両手を広げて「めぐちゃんだ、ようきたねえ!」と、子どもみたいに迎えてくれた。もう名前をおぼえてくれている。鎌倉まめやの豆菓子をお渡しすると「あら。まめ。わたしはまめがだいすきなんです。よくわかったね、ありがとう」と言われてうれしかった。まめやにしてよかった。

 家の目の前はおだやかな海辺。ここから三原のほうに向かってちいさな船がでる。初めて島をでた日からわたしの旅立ちはいつもここ、とみかさん。美術館のなかでいちばんの大作のための額縁みたいなりっぱな台所の窓から、船の発着がよく見える。みかさんがここから乗船するたび、ちいさいタオルだと見えないから大きなバスタオルを、ちいさなしょうこさんが体いっぱい振るそう。しょうこさんはもうすぐ八十歳。今日もあんまり具合がよくないんだけどね、と言いながら気丈に、じゃあやりましょうか、と動きだす。なんだかわるいなあ、と思いながら、私も今日はぐずぐずなので、お互いゆっくりやりましょう、よろしくお願いします、と言ってスタート。

 撮影のために、この辺りでハレの日に食べられてきた昔ながらの醤油めし、わかめと長芋の酢の物、スナップエンドウと絹さやを炒めた簡単なおかずを、こしらえてもらった。しょうこさんは農家のお嫁さんだから、もう何十年と、農作業のあいまにダッと帰宅し、大人数の分をサッと作ってきた。まるで早回しの映像を見ているようにすべての作業が素早いので、カメラで追うのもやっと。作るそばから同時に使わないものをざぶざぶ洗い、みるみる片していく。手先は丈夫で安定していて、とても器用。しょうこさんのふたつの手がきびきびうごくようすを見ているだけで気持ちがいい。



 撮影に三品だけお願いしたが、いつも食べるからと具沢山のサラダも用意。おまけに昨日の夜の残りなんよ、とえびとそら豆の天ぷらまで出してくださった。撮影を終えて、みかさんと三人で食卓を囲ませてもらった。おいしかった!今日がわすれられない食卓になることは食べる前からだれとの約束でもなく決まっていて、そのとおりにことが運んで、今こうしていることは、なんてありがたいのだろう。撮影させてもらったうえに、こんなにおいしいものをお腹いっぱいいただいて、私はなにがお返しできるのか。ないなんて思うのは失礼だと思う。あるし、やるのだ。お返しと思わずにじぶんにただできることを。「三界のなかにわたしのなすべきことはなにもない。それでもわたしは行為に従事する。」そう、だれが言ったのだっけ。そうだ。真木悠介さんの小品集「うつくしい道を、しずかに歩く」に書いてあったことば。

 インタビューはとても濃い時間になった。気づいたら三人でぐしょぐしょ泣いていた。私はじぶんがもらい泣きをしたことにおどろいた。涙のわけは、しょうこさんが私にはまだ到底わかるはずもない老いに今、全身で向き合っているからだった。じぶんのことも、おとうちゃんのことも、思うようにはいかない老いをどうにか腑に落とそうとして生きているしょうこさんの今日という日。それでも、じぶんのことよりおとうちゃんのこと、みかちゃんのこと、みかさんの大切な二匹の飼い犬のことをいちばんに考えて、しょうこさんはふるえる体で人生に立ち向かっている。

 泣いている場合じゃないからちゃんとインタビューをしなさいよと、じぶんの尻を心のなかでびしびし叩いたが、涙をためた私の顔をしょうこさんが両手でくるっとつつんで、めぐちゃんはほんとうにいい子だねえ、と言うからさらに涙があふれた。私がいい子なのではなく、しょうこさんがいい人だから私がいい子に見えたんだ、と思ったら、しょうこさんはなんてきれいな心をもっている人なんだろうと思って、ますます泣けてしまった。しょうこさんの目に映る世界を、もしもその見方でみんなが見たら、世界が今よりずっといい場所になるのに。

 しょうこさんが豆を好きなのには理由がある。まめとは、島の方言で「元気がある」ということ。まめなら大丈夫。どうかまめでいてね。まめがいちばんだよ。しょうこさんの口ぐせだ。しょうこさんはことばの人、とみかさんが言う。みかさんは、しょうこさんのことばにずっと励まされてきた。そしてコピーライターを生涯の仕事にされて、大阪にでて、その世界の第一線で活躍されている。しょうこさんから届く定期便の段ボール箱にはしょうこさんとお父さんが育てた季節の野菜がいっぱいに詰め込まれ、手紙を便箋に書く時間がないからと段ボールの四つの面には黒ペンのおおきな字でみかさんへのメッセージがいつも書かれている。

 みかさんはしょうこさんを「おかあちゃん」と呼び、うまれたての赤ん坊にするみたいにとても大切に、これ以上ないくらい大切にされていて、いつまでもまめでいてほしいと切に思っているのが肌をさすほどよくわかった。きっとおふたりは今世で出会ったそのときから、こんなふうにして痛いくらい互いを大切に思いあってきたのではないか。澱みひとつない、どこまでも透きとおった場所で交わした約束を、この世でしっかり叶えるために出会って、いたわりあって、心から思いあって、いつかこの世界での別れがやってきたとしてもきっとその先もずっと一緒にいる。そんなふうにしか思えないような親子がいて、私はふたりの人生の一日を、今日ほんのすこし垣間見ている。昨日まで知らなかった人たちの、明るい人生の、二度とおなじ日はない一日を。



 最近はずっと寝たきりだというおとうちゃんが最後に起きてこられて、すこしだけお会いできた。しょうこさんはおとうちゃんがごはんを食べてくれた、よかった、うれしい、とずっと欲しかった贈りものをもらった子どものようになんども口にした。お暇しようとすると、しょうこさんも、ぼさぼさ頭のおとうちゃんも「ほんまに遠くからようきたねえ、ありがとう」となんどもわらって言ってくれた。この人たちがこんなに覚悟を決めたように今日という日にわらっているのに、私などに泣きごとひとつが言えるか、と思った。
 私もいつか、遠くない時間にそちら側へ生き、老いの渦中で想像もできなかったことに沢山出くわすのかもしれない。そのときにはきっと今日のむらかみ家の姿が脳裏に浮かび、私ははげまされるだろう。

 帰りがけにみかさんが、広いお家のなかを案内してくれた。みかさんが帰省中に仕事場にしている二階の部屋から、海がよく見えた。ふと見ると、机と反対側の床に人ひとり分くらいの毛布が敷いてあって、古い写真が渦を描くように広げられている。おかあちゃんが最近、ここに座って思い出を整理しているんだよ、とみかさんがおしえてくれた。その作業は、たとえば今の私が昨日今日の思い出をふりかえって日記を書くようなことと、今日までいっぱいいっぱい生きたしょうこさんがするのとでは、まるで意味がちがう。しょうこさんは命を燃やしている。つい先日亡くなったばかりのしょうこさんの大切なおねえさんの写真が一枚、ちらりとだけみえた。毛布の上に正座でちょこんとすわり、おねえさんに語りかけるちいさなしょうこさんの姿が、ぼんやりと見えた気がした。
 
 外にでた。雨はまだ止まない。みかさんがお友達のけんごさんのカフェ、たくま商店を案内してくれて、温かい紅茶をいただいた。Uターンで島に戻ってきたみどりさんが始めた喫茶店、ミドリノコヤさんにもちらりと寄った。ちいさな庭の花たちが、よわい雨に打たれてにぎやかにしていた。ふと庭の奥にガラス張りの小屋があり、そのなかにピアノが置かれているのが目に入った。小屋はまるで、ピアノのために作られたオーダーメイドの洋服みたいにぴったりとピアノに寄り添い、ピアノは透明な四角いその服にくるまれて、雨からしずかに守られていた。雨音を聴きながら、私の奏でる音はなにもないというふうに、ピアノはしいんと黙っていた。

 帰りは、けんごさんとご家族の方が車で尾道まで送ってくださった。因島から向島、そして尾道へ。橋をつたい、前に前にというより横に横に、流れ星にのるように車はすいすい進んだ。いくつもの島が浮かぶ瀬戸内。海が宇宙で、島は星みたい。星と星のあいだを、毎日、こうしてたくさんの人が船や車にのって行き交う。それはまるで、みんなで星座を作っているようにみえる。あるいは島はいくつも同時に存在する「今」で、そこには過去も未来もなく、その無数の「今」が星々のようにあちこち点在し、それぞれに煌めいて、そのあいだを私たちは今自在にゆくのだと。

 宿へ着き、しょうこさんが持たせてくれた醤油めしの残りで作ったおにぎりを夜ごはんに食べた。あんなにお腹いっぱいいただいたのにもうおなかが空いていて、あっというまになくなった。スナップエンドウ、そら豆、絹さやもおみやげに持たせてくれたけれど、今日はもう料理をつくる気力がなかったので、これで寝ようと思ったが、デンタルフロスや風呂クリーナーを買わなくてはだったので、雨のなか重い腰をもちあげイオンへ。焼き芋が美味しそうだったのでひとつ買う。五月半ばとは思えぬ寒さ。電気ヒーターをつけた。




+ + + + + つづく





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