北関東の石造物⑬:藪塚宝篋印塔(牛の塔)他
名称:藪塚宝篋印塔
伝承など:牛の塔
所在地:群馬県太田市藪塚町
現在は太田市に編入された旧藪塚本町には、古くから「尾島道」と呼ばれ太田と大間々間を結ぶ街道があり、その道沿いには一基の大型の宝篋印塔が建っており「牛の塔」と通称されている。
京都から仏像を運んできた、あるいは石塔を運んできた牛がこの地で倒れて死んでしまったためにその供養塔として建てられたと言う伝承があるが、当初のパーツは笠と基礎のみで、間に別の宝篋印塔の基礎と塔身は挟み込まれており、塔身も別物である。
当初の基礎と笠は、南北朝時代頃の作と思われる。
なお、同じ藪塚町には鉄道工事の際に出土したと言う五輪塔四基があり、新田一族の藪塚氏の墓ではないかと言われている。
現在は積み直されているが、出土したものを組み合わせたためにこれが当初の形かどうかはわからない。
こちらは鎌倉時代末期から南北朝時代頃の作であろう。
藪塚氏の墓から尾島道を南に進み、東武鉄道の薮塚駅を少し過ぎたあたりの線路沿いには、やはり鎌倉時代の作と思われる層塔と層塔の残欠がある(尾島道から細い道を東に入るが、入り口には案内板がある)。
地名から「西野の層塔」と称されており、向かって左塔(下の写真二枚目)は破損が激しいものの概ね当初の形をとどめており、現在は四層であるが、おそらく元々は五層で、四層目が欠損していると思われる。
この層塔も藪塚氏関連の石塔であろうか。
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