北関東の石造物⑰:下野国分寺五輪塔群(伝・聖武天皇、光明皇后、行基供養塔)、附・箕輪城跡五輪塔

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名称:下野国分寺五輪塔群

伝承など:聖武天皇、光明皇后、行基供養塔(小山氏の墓?)

所在地:栃木県下野市国分寺 下野国分寺


栃木県下野市にある国分寺は、元来の国分寺とは場所が異なっているが、奈良時代に建立された下野国分寺が衰退した後に造られた後身寺院である。

現在の寺院の規模は縮小されてしまったが、境内にはひときわ目を引く古様の大型五輪塔三基が建っている。

五輪塔は中央が聖武天皇(二枚目)、向かって左側が光明皇后(三枚目)、右側が行基の供養塔(四枚目)と伝承されているが、これは国分寺に伝わったことから生じた後付である。

鎌倉時代後期以降の五輪塔を見慣れていると、粗削りで不格好な印象を受けるが、初期五輪塔独特の異様な存在感のある石塔で、おそらく鎌倉時代初期の造立と考えられる。

その大きさや造立時期から、下野国の有力御家人・小山氏が始祖の供養塔として造立したと見る説もある。

いづれにせよ、関東地方の五輪塔としては最古の部類であり、極めて貴重な石塔である。

なお、三基の傍らには、ほぼ同時期と思われる凝灰岩製の五輪塔の残欠があるので(五枚目)、当初は五輪塔は四基あったのかも知れない。


・追記(2022年3月15日)

国分寺薬師堂にほど近い、下野市の箕輪城跡北方にも鎌倉時代の五輪塔が存在する。

箕輪城跡に比定されている磐裂根裂神社の北方の住宅街の一角に、石塔が集められた場所があり、その中には一見して中世のものとわかる五輪塔がある(下の写真)。

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地輪の大半が地中に埋まっているため、その全容はわからないが、鎌倉時代の五輪塔と思われ、国分寺五輪塔群の中の伝・行基塔によく似ている。

ただ、こちらの五輪塔の方が火輪の軒が高いため、国分寺の五輪塔よりも下る時期、鎌倉時代中期から後期の造立と思われる。

箕輪城跡は不明な点も多い城郭であるが、小山氏の支城と言う説もあり、そうだとするならこの五輪塔の造立にも小山氏が関与しているかも知れない。

この五輪塔の存在はほとんど知られていないが、栃木県内でもかなり古い部類の五輪塔で、国分寺の五輪塔群同様に貴重な石塔である。


この他、小山氏の墓所としては、小山市本郷町の祇園城(小山氏の居城)の一角にある天翁院にも歴代墓所と称される五輪塔群(下の写真一番目、二番目、三番目)があるが、これは室町時代中期に小山持政が開いた小山氏の菩提寺であり、石塔はいづれも室町時代後期から戦国時代にかけての小型のもので、持政以降の当主の墓所と考えられる。

鎌倉期以前の小山氏当主の墓所は現在小山市内にはなく(小山政光の逆修塔と称される石塔が小山市の満願寺にあるが、石塔の年代と銘文が合致せず検討を要する 下の写真四番目)その点からするにやはり国分寺の五輪塔群は初期小山氏の墓所であろうか。

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