雑記:崇福寺黒田家墓所
福岡県福岡市博多区の崇福寺は、元来は太宰府の古刹であったが、江戸時代になって福岡藩主黒田家が同寺を菩提寺としたことから博多に移転し、現在も境内には福岡藩主黒田家の歴代墓所がある(一部の藩主は同じ福岡市の東長寺にある)。
藩主の墓所はいづれも笠付の角柱塔で、大名家の墓所に相応しい巨大な墓塔であるが、その中でも墓所中央に建つ藩祖・黒田如水の墓(下の写真三枚目)は一際目を引く。
如水は播磨の土豪から身を起こし、豊臣秀吉に仕えて功績があり、豊前中津の城主となり、子の長政の代に黒田家は関ヶ原の戦いの功により筑前福岡五十二万石の太守となった。
如水は諱を孝高、通称を官兵衛と言い、小説やドラマでは秀吉の参謀として描かれることの多い人物で、フィクションの影響で法号の如水や通称の官兵衛の方が通りが良い(個人的な印象であるが、かつては「如水」の方が一般的であったが、近年は書籍などで「官兵衛」として紹介されることが増えたのに加え、如水を主人公にした2014年の大河ドラマのタイトルが「軍師官兵衛」だったため、現在では「黒田官兵衛」が最も通りが良いように思う)。
如水の墓の四面には、博多聖福寺の僧・景轍玄蘇の撰文が刻まれており、如水没後まもなく造立されたものとされるが、これは元来墓碑であった石塔である。
如水の墓を含む黒田家の墓所は福岡空襲で一度焼失したもので、現在の墓所は戦後に墓碑のみを再建したものと言い、それ以前には霊廟(御霊屋)などを備える大規模のなものであった。
京都市の大徳寺龍光院にある如水夫妻の墓(非公開)は、霊廟内に五輪塔を納める形式であるため、おそらく崇福寺にあった焼失前の如水の塔も、霊廟内に五輪塔を納めるものであったと思われる(黒田家墓所は昭和初期まであったのだから、当時の墓所の詳しい情報は崇禅寺には伝わっているのであろうが、墓所内の案内板には特に説明もなく、調べても元々の墓塔の形式についてはよくわからなかった)。
私が崇福寺を訪れた際には、この元々の墓所の情報を知らず、そのため現在の墓を見た時には違和感があったのだが(笠付の角柱塔が富裕農民の墓塔として登場するのは寛永年間くらいからであるため)、元来は霊廟の前に建つ墓碑であったと知って合点がいった次第である。
なお、この石塔の写真は前述の2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」放送に合わせて特別公開された際に撮影したものである。
長らく墓所は黒田家が管理していたために非公開であったが、現在は土日祝日のみ一般に公開されている。
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