中部地方の石造物㊽:林泉寺五輪塔(堀秀政一族の墓)


名称:林泉寺五輪塔

伝承など:堀秀政、秀治、秀重の墓

所在地:新潟県上越市中門前 林泉寺


新潟県上越市の春日山城下(上越市中門前)にある林泉寺は、越後長尾家の菩提寺で、戦国大名として著名な上杉謙信の祖父・長尾能景が開いた寺院である。

この寺院については、以前にも紹介したことがあるため、詳しくはそちらに譲っておく(「雑記:上越市内の上杉謙信関連史跡と石塔」参照)。

林泉寺の墓所内には長尾家だけではなく、上杉景勝の後に春日山城主となった堀家の墓所や、江戸時代後期に高田藩主であった榊原家の墓所などがあるが、このうち堀家の墓所には堀秀重、秀政、秀治の三代の墓塔が残されている。

堀家の墓所は墓地入口近くにあり、三基とも低い土塁で周囲を囲まれている。

堀秀政の墓(一枚目)は、地輪に彼の没年(天正十八年銘)が刻まれており、形式的には戦国時代末期から江戸時代初期への過渡期の作であり、銘文とそれほど隔たっていない、秀政没後まもなく造立されたものであろう。

秀政は織田信長の近臣として頭角を現し、後に豊臣秀吉にも重用されたが、天正十八年の小田原征伐の最中に病を得て早世した人物である。

五輪塔は各部が装飾性に富んでおり、北陸地方の石塔の特徴を示しているため、秀政没後まもなくではなく、秀治が越後移封後に造立した可能性もあるが、移封前の堀家の居城は越前北ノ庄(福井市)で同じ北陸地方であるため、北ノ庄在城時代に造立したものを林泉寺に移動したと考えてもさほど違和感はない。

いづれにせよ、戦国時代末期の造立と見て良いであろう。

秀政の子の秀治の五輪塔(三枚目)もほぼ同型であるが、火輪に若干の差異があるため、これは秀政の没年と秀治の没年(慶長十一年)による差と見てよく、秀治の墓塔も彼の没後すぐに造立されたものと思われる。

三基目の堀秀重(秀政の父)の墓は、他の二基に比べるとかなり時代が降る作であり(秀重自身は秀治と同年に死去している)、後年になって造立されたものか、あるいは元々秀重の墓は林泉寺にはなかったが、後になって別の石塔を秀重の墓と比定したのであろうか。

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