癖
思いつくままに書き殴る。いつものことだけれど。だからなんだよとツッコミたくなるお話。
昔から変な癖というか感覚があって。
1番最初にそれを感じたのはたぶん、たぶんだけれど5歳くらいのとき、幼稚園の砂場で遊んでいたときだったと思う。この感覚に包まれるとき、きまってその景色を思い出すからそういうことにしている。
なんで生きてるんだろ、死んだらどこに行くのだろう。この世界以外で生きることはできないのか、生命は存在しないのか。
こんな思考でぐわっと体全体が包まれる感覚。それで脳裏には「地球は青かった」みたいは映像がよぎる。
初めてこの感覚を味わったとき、幼いながら真剣に疑問に思ったというか答えを探したような気がする。テレビの中の世界とは?あの世界で生きる人がいて…?みたいな、なんだかかわいいね。
宇宙の外、はずっと気になっていて。だれもかれも宇宙っていう箱の中にしかいられないのか。哲学と呼んでしまうとそんな大げさなものではないのだけれど。
この感覚を味わうとき、なんかよく分からないものに包まれる感覚があって、それはどこか変に心地よさが残っていて不思議なのだけれど、歳をとってからは変に悟ってしまって。最近は、なんで生きてるんだろ、とか、俺は何やってんだろ、とかが先行しちゃって絶望感がまざってくるのだけれど。
べつにこれは普通の感覚なのかな、感性の問題。
さて、もうひとつ。これは悪い癖で。
あたしは男だけれど語感優先で。
悲劇のヒロインを演じる
でもなぜか人にそれを示すんじゃなくて、夜お布団の中で独りしくしく。きっと全く示さないわけではないと思う、やや無意識。
自分で判断していいのかな、それは分からないけれど、あたし境遇は恵まれてなくて。人が当たり前に持っているものも持っていなかったり失っていたり。
変な比較をしちゃっているから、なんであたしだけこんな目に…とか思うことがあって。それに嫌なことがあれば当然のごとく拍車をかける。いや、逆かな。嫌なことがあって落ち込んでいるときに境遇が拍車をかける、境遇で拍車をかける。子どもだなって思う。
でもね、どこかでハッとなるんだよね。
結局、この状態を続けていても誰も手はさしのべてくれないし、現実は何ひとつ変わらない。
知っているんだけどね、本当は。気づけたら大丈夫。少しずつ元気になっていくんだけれど。
受け入れたくないこと、納得したくないことを言い聞かせて受け入れたり納得するのが大人なのならあたしは子どもでいい。むしろ子どもでいたい。
なんか聞き飽きたような台詞だねぇ。
ほんと、だからなんだよ、でしょ。
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