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【3分で読める世界史】コーヒー・メッカ事件

今日はイスラームの世界で流行り出したコーヒーが一転ピンチに陥った話をお送りします。

例によって中公新書の『コーヒーが廻り世界史が廻る』を参考に紐解いていきますね。

これまでのお話

コーヒーがイスラーム世界で流行り出した頃、気分に高揚感を与える物質としてお酒と一緒ではないか、怪しいと一部から批判があがるようになりました。

新しいものが批判を受けるのは、いつの世も常ですね。

とくにメッカの総督ハーイル・ベイは、厳格なイスラーム教徒で、コーヒーの存在を疑問視しました。

医療の専門家も呼ばれ、コーヒーの成分についての否定的な見解も示されました。(これはハーイル・ベイが頼んでいたとされています)

そして会議のすえ、聖地メッカでついに「コーヒー禁止令」を出したのです。コーヒーを飲んだのが見つかると鞭打ちの刑に処されました。

これでコーヒーも終わったかに思われましたが、メッカの高官達も一枚岩ではありませんでした。

コーヒーを気に入っている者も多く、この決定を早急すぎるとし、当時のイスラームの政治的中心であったカイロに意見を求めることにしたのです。

そこで下った判定は、「コーヒー禁止令」の撤回でした。エジプトの君主はコーヒー好きだったと伝えられています。

これで晴れてコーヒーはイスラーム世界で認められ、メッカで改めて広まりました。

ちなみにコーヒー禁止令を出したハーイル・ベイはその職を解かれます。この一連の流れはコーヒー・メッカ事件と呼ばれました。


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。この記事もコーヒーを飲みながら、思いを馳せ、書いております。

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それでは、また次回!

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