世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、お越しくださりありがとうございます! 欧州を中心に世界史の現場を訪れてい…

世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、お越しくださりありがとうございます! 欧州を中心に世界史の現場を訪れています。高校時代に世界史が大好きだった自分のような学生さんや、元学生さんがロマンを感じる記事を書きたいと思っています。

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【自己紹介】世界史の現場探訪/英国駐在@えのもと

はじめまして、えのもとと申します。英国駐在中の会社員です。欧州を「中心に世界史の現場を訪れています。 高校時代に世界史が大好きだった自分のような学生さんや学生さんだった方がロマンを感じる記事を書くのが目標です。現場を訪れたからこそわかったことや考えたことを盛り込みます。 どうかよろしくお願いします! これまでの記事一覧を、国別にご紹介します。↓↓↓ 【イギリス】 【フランス】 【ハンガリー】 【ギリシャ】 【ポルトガル】 【オランダ】 【ベルギー】 【ソ

    • イギリス旅)グリニッジ②天体観測で経度を割りだせるのか(割りだせない)

      世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名なグリニッジを訪れています。前回の記事では、航海の海上では自船の東西の位置(=経度)を見つけるのが困難なこと、グリニッジの天体観測でそれを見つけようという試みが始まったことをお伝えしました。さてその試みは成功するのでしょうか(成功しない) 王宮の街、グリニッジ そもそもグリニッジは王室とゆかりのある地でした。テューダー朝のヘンリ8世、その2番目の妻との子であるエリザベス1世が生まれたのもグリニッジです。 冒頭の画像の真ん中にある

      • イギリス旅)グリニッジ)なぜ天文台と本初子午線の街になったのか?

        ロンドンの街、グリニッジを訪れています。グリニッジ天文台と、世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名な街です。なぜグリニッジはこうした街になったのか、街を歩きながら探訪しました。 本初子午線の街グリニッジ! グリニッジを訪れてまずやりたいことは、本初子午線の上で写真をとることですよね。タイトルの写真がまさに本初子午線です。右に一歩踏み出せば東経、左に一歩踏み出せば西経、そして両足を開いて踏ん張れば、世界の東と西を股にかけることができる・・、楽しいです。 実際の本初子午

        • ドイツ旅)フランクフルト⑤第二次世界大戦で歴史的建造物を失った街

          前回までの記事では、いかにフランクフルトが神聖ローマ帝国とゆかりが深く、ゲーテをはじめとした近代ドイツ語を生み出した街かということを書きました。ただ多くの歴史的建造物は第二次世界大戦で破壊され、東京のように近代的建造物がいまは並んでいます。 まるで東京のような街 フランクフルトを歩いた印象は、実は「東京と似ている」というようなものです。冒頭の写真は欧州中央銀行(ECB)本部です。フランクフルトにあり金融都市の存在感を示しますが、建物はガラス張りの近代的なビルです。 街を

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        • イギリス旅・世界史現場探訪
          13本
        • フランス旅・世界史現場探訪
          4本
        • ハンガリー旅・世界史現場探訪
          5本

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          ドイツ旅)フランクフルト④近代ドイツ語の父ゲーテ

          前回からフランクフルトのゲーテの家「ゲーテハウス」を訪れています。ゲーテはどうして近代ドイツ語の父と言われるのか、その歴史についてひもといていきます。 若きウェルテルの悩み 前回の記事で紹介したように、ぐんぐんと教養を身につけたゲーテが20代半ばで書いたのが小説「若きウェルテルの悩み」です。自らの恋愛と友人の自殺経験に基づいてドイツ語で書かれたこの小説はたちまちベストセラーとなりフランス語、英語、イタリア語にまで翻訳されます。 ドイツ文学界はこうした悩みを抱える若者を主

          ドイツ旅)フランクフルト④近代ドイツ語の父ゲーテ

          ドイツ旅)フランクフルト③ゲーテが住んだ家とその少年時代

          フランクフルト出身の有名なドイツ人といえばゲーテです。ゲーテが住んだ家を訪れて、その少年時代に思いをはせました。 日本人にも人気な「ゲーテハウス」 ゲーテが住んだ家は「ゲーテハウス」として、当時の住まいが保存されており、解説付きの博物館となっています。中には日本人向けの日本語パンフレットもありました。こういったことはヨーロッパではなかなか珍しいです。観光客の何人かも日本人でした。日本での人気の高さがうかがえます。 14歳で神聖ローマ皇帝の戴冠式を目撃 フランクフルトは

          ドイツ旅)フランクフルト③ゲーテが住んだ家とその少年時代

          ドイツ旅)フランクフルト②国民議会設立で「ドイツ国民」を育んだ街

          フランクフルトを訪れています。前回は、神聖ローマ帝国とともに歩み、皇帝の選挙と戴冠の地として紹介しました。国民議会を初めとしたドイツ国民を育んだ街としての顔について巡っていきます。 ナポレオンの衝撃 神聖ローマ帝国は、そもそもが分権的な「国家」でした。ウエストファリア条約で各国の主権が認められ、ナポレオンのドイツ占領と圧迫の下で帝国の消滅が宣言されました。 一方でナポレオンの衝撃はかえって、ドイツ人のナショナリズムを育てて統一国家を建設しようとの機運が生まれます。解放戦

          ドイツ旅)フランクフルト②国民議会設立で「ドイツ国民」を育んだ街

          ドイツ旅)フランクフルト)神聖ローマ帝国とともに歩んだ街

          ドイツ南部のフランクフルトを訪れました。神聖ローマ帝国の起源、フランク王国の宮廷があり、皇帝の選挙と戴冠式の地であり、ドイツ国民のナショナリズムが結実した国民議会の地であります。帝国とともに歩んだ街の現場を巡りました。 神聖ローマ帝国の「聖地」 フランクフルトは神聖ローマ帝国の聖地といってもよい場所です。 そもそもフランクフルトが歴史に現れるのは749年のフランク王国カール大帝の文書です。かつてローマ人がマイン川沿いに防衛拠点を築き、やがて大帝の宮廷が置かれます。 カ

          ドイツ旅)フランクフルト)神聖ローマ帝国とともに歩んだ街

          イギリス旅)ブレナヴォン②産業革命を 支えた製鉄の跡

          ウェールズ南部の産業革命遺産の街、ブレナヴォンを訪れました。前回は炭鉱跡を巡りましたが、今回は製鉄所。イギリスの鉄道の時代を生み出した舞台装置を間近に見ることができました。 ダービー父子によるコークス製鉄法 産業革命の製鉄法の一つの革新は、燃料を木炭から石炭に変えたことです。木炭はかねて製鉄に使われていました。しかしあまりにも大量に消費せざるを得ないのでイギリスの森林は切り倒され、木炭は枯渇するという事態になりました。 ここで石炭を燃料として使うことを発明したのがダービ

          イギリス旅)ブレナヴォン②産業革命を 支えた製鉄の跡

          イギリス旅)ブレナヴォン)ラピュタのモデルの産業革命遺産と炭鉱のカナリア

          英ウェールズ南部の町、ブレナヴォンを訪れました。ラピュタのモデルとなった廃炭鉱があり、危機を察知する比喩として使われる「炭鉱のカナリア」の存在を間近に感じることができました。 産業革命遺産の町、ブレナヴォン ブレナヴォンは、18~19世紀の産業革命を代表する史跡として、地域一帯が世界遺産として登録されている町です。かつては石炭を採掘する炭鉱と製鉄所で栄えました。 1980年の廃坑で町は活気を失いましたが、跡地には「ウェールズ国立石炭博物館」が開かれました。かつて使われた

          イギリス旅)ブレナヴォン)ラピュタのモデルの産業革命遺産と炭鉱のカナリア

          イギリス旅)ブリストル②鉄製吊り橋に鉄道に、産業革命が生んだ天才ブルネルを辿る

          イングランド西部の街、ブリストルを訪れました。19世紀の「イーロン・マスク」と呼ばれる起業家、ブルネルが生み出した鉄製吊り橋や鉄道といった足跡を辿ることができました。 現存する世界最古の鉄製吊り橋「クリフトン」 ブリストルの街のシンボルとなっているのが、現存する最古の鉄製吊り橋「クリフトン・サスペンションブリッジ」です。この吊り橋を設計したのは、またもやブルネルです。 橋の下にの深い谷底にはエイボン川が流れ、荒れた山肌が見える断崖絶壁となっています。 ここに鉄製の橋を

          イギリス旅)ブリストル②鉄製吊り橋に鉄道に、産業革命が生んだ天才ブルネルを辿る

          イギリス旅)ブリストル)19世紀の「イーロン・マスク」、ブルネルと産業革命

          イングランド西部の街、ブリストルを訪れました。19世紀の「イーロン・マスク」と呼ばれる起業家、イザムバード・キングダム・ブルネルと産業革命の足跡を存分に感じることができました。 19世紀の「イーロン・マスク」ことブルネル イザムバード・キングダム・ブルネルを知っている日本人は少ないかもしれません。実は英BBCが選んだ偉大なイギリス人100人のランキングで、ウィンストン・チャーチルに次いで2位にランクインしているのがブルネルです。 ブリストルのブルネル博物館では、館内の案

          イギリス旅)ブリストル)19世紀の「イーロン・マスク」、ブルネルと産業革命

          スロバキア旅)ブラチスラバ②)マリア・テレジアとナショナリズムとツーリズム

          先週に続いて、中欧のスロバキアの首都、プラチスラバを訪れています。ハプスブルク家下のハンガリーの重要な都として、さらにハンガリー・ドイツ・ユダヤ人の消滅という歴史もあります。揺れながらもナショナリズム・ツーリズムで統合を模索するスロバキアの姿に触れました。 ハンガリー王はブラチスラバの聖マルチン教会で戴冠 プラチスラバはハプスブルク家のオーストリア女王、マリア・テレジアが愛した街です。ハンガリーは16世紀前半、オーストリア大公だったハプスブルク家を国王として選びます。

          スロバキア旅)ブラチスラバ②)マリア・テレジアとナショナリズムとツーリズム

          スロバキア旅)ブラチスラバ)ナポレオンも鉄のカーテンも見たデヴィン城

          中欧のスロバキアの首都、プラチスラバを訪れました。ドナウ川沿いに建つ要衝デヴィン城は、交通の要衝。かつてはナポレオンに攻められ、さらに冷戦期には「鉄のカーテン」の最前線となりました。スロヴァキア・オーストリアの国境にあり、チェコ・ハンガリーも臨めるという、中欧の地政学の最前線に立つ城でした。 ハンガリーに対しての「スロヴァキア」 スロヴァキアは、日本人にとってはなかなかなじみのない国かもしれません。スロヴァキアは「スラブ人の地」という意味。ただスラブ人は中東欧一帯にいる民

          スロバキア旅)ブラチスラバ)ナポレオンも鉄のカーテンも見たデヴィン城

          イギリス旅)バース③寺院の扇形天井とローマ帝国の温泉インフラ

          イングランド西部の街、バースを訪れました。ため息が出るほど美しいバース寺院と、ローマ帝国の「温泉インフラ」力を実感しました。 抜けるような白さと光が美しいバース寺院 冒頭の写真はバース寺院です。これまでいくつもの寺院や大聖堂をヨーロッパで訪れましたが、その中でも一、二を争うほど美しいと感じました。内観の美しさに心が表れる気持ちとなりました。 秘密はやはりまず「バースストーン」でしょう。下記の記事でも紹介したバースストーンをふんだんに使い、建物がぬけるような白さと軽やかさ

          イギリス旅)バース③寺院の扇形天井とローマ帝国の温泉インフラ

          イギリス旅)バース②ローマ帝国が愛した温泉の街

          イングランド西部の街、バースを訪れました。バース(Bath・お風呂)の由来はローマ帝国が2世紀に温泉街を作ったことです。「浴場博物館」は、当時の様子が実際の遺跡をもとに再現され、その雰囲気に浸れる素敵な場所でした。 ローマ浴場博物館へ バースの目玉は、「ローマン・バス(ローマ浴場博物館)」です。実はバースの電車の駅も「バース・スパ」という名前です。日本でいうと「箱根湯本」駅や「加賀温泉」駅というようなイメージでしょうか。 表題の写真はローマン・バスのメイン浴場です。前回

          イギリス旅)バース②ローマ帝国が愛した温泉の街