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ドイツ旅)フランクフルト⑤第二次世界大戦で歴史的建造物を失った街
前回までの記事では、いかにフランクフルトが神聖ローマ帝国とゆかりが深く、ゲーテをはじめとした近代ドイツ語を生み出した街かということを書きました。ただ多くの歴史的建造物は第二次世界大戦で破壊され、東京のように近代的建造物がいまは並んでいます。
まるで東京のような街
フランクフルトを歩いた印象は、実は「東京と似ている」というようなものです。冒頭の写真は欧州中央銀行(ECB)本部です。フランクフルトにあり金融都市の存在感を示しますが、建物はガラス張りの近代的なビルです。
街を歩くと、基本的に街並みは下記のような雰囲気。コンクリートでできた四角形の窓が並ぶビルや建物が立ち並んでいます。
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街中で見つけたグーテンベルクの銅像の裏に見えるのは、近代的なビル群です。これも東京の大手町や丸の内、新宿のようですね。
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第二次世界大戦で廃墟に
その理由は、第二次世界大戦で連合国の空襲を受けて歴史的建造物がほぼ破壊されたためです。市域の約70%を失いました。ドイツはナチス・ドイツ下の敗北のため、多くの都市がこのように焼失後に復興した経緯をたどります。こうしたことから、米国の空襲を受けた日本・東京と同じような構図になっています。
聖バルトロメオ大聖堂もレーマー広場も戦後の復元
こうしたことから、これまで紹介した聖バルトロメオ大聖堂も、レーマー広場も中世の雰囲気がありますが、戦後に復元して建てられたものです。
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レーマー広場に並ぶのは、ウクライナの旗とイスラエルの旗です。ドイツはナチスドイツのホロコーストの反動から、戦後は徹底したイスラエル寄りの姿勢をとっています。
この写真を撮影したのは24年3月で、イスラエルとパレスチナのハマスの戦闘が続いているころです。ロシアの侵略を受けたウクライナへの連帯の意思を示してウクライナの旗を掲げるのはヨーロッパでは珍しくないですが、イスラエルの旗を一緒に掲げるのは相当珍しいです。
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フランクフルト最古の城壁、でも・・
フランクフルトの中で最古とされる城壁に向かいました。1180年ごろに建設され、1711年に再建されたものです。それでも18世紀初頭と、もはや中世ではなく近世のものです。
第二次世界大戦がなければどれほどフランクフルトの歴史的建造物に触れ、歴史の感じることができたでしょうか。戦争とその破壊の愚かさを感じざるを得ませんでした。
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