ドイツ旅)フランクフルト③ゲーテが住んだ家とその少年時代
フランクフルト出身の有名なドイツ人といえばゲーテです。ゲーテが住んだ家を訪れて、その少年時代に思いをはせました。
日本人にも人気な「ゲーテハウス」
ゲーテが住んだ家は「ゲーテハウス」として、当時の住まいが保存されており、解説付きの博物館となっています。中には日本人向けの日本語パンフレットもありました。こういったことはヨーロッパではなかなか珍しいです。観光客の何人かも日本人でした。日本での人気の高さがうかがえます。
14歳で神聖ローマ皇帝の戴冠式を目撃
フランクフルトは神聖ローマ皇帝の選挙と戴冠式が執り行われた場所です。(1356年の金印勅書で定められました)前々回での記事では、その舞台となった聖バルトロメオ大聖堂について書きました。
1764年、有名なマリア・テレジアの息子のフランツ2世の戴冠式を、当時14歳のゲーテは目撃しています。華麗なる儀式に少年の心はひきつけられたといいます。
戴冠式を記念した壁飾り
この壁飾りは、ゲーテが目撃した戴冠式を記念したものです。上部の肖像画は神聖ローマ皇帝についたヨーゼフ2世で、下にも名前が書かれています。中部にはマイン川とフランクフルトの街並みが描かれています。
この街並みのなかでもひときわ高くそびえるのが、戴冠式がされた聖バルトロメオ大聖堂です。ゲーテが感じた興奮が伝わってくるようです。
少年ゲーテと七年戦争
ゲーテは1749年にフランクフルトで生まれました。祖父は仕立て屋でしたが、父が手広い商売に成功し、帝国顧問官の称号を買い取って街の名士となりました。
1756年から始まった七年戦争では、オーストリア・フランス連合軍にフランクフルトは占領されます。ゲーテの家はフランス軍に接収されて高級将校が泊まるようになりましたが、決して粗野な扱いはされなかったといいます。
このフランス将校が滞在したのが、「ペキンの間」と呼ばれる部屋です。黄色い壁紙には、当時のシノワズリ(中国趣味)の流行を思わせる、中国風の絵柄が描かれています。
少年ゲーテの教養を育む
全3階建てのゲーテの家には、約2000冊の本が収納された図書室がありました。のちにドイツ文学の旗手として愛されるゲーテの感性は、こうした蔵書から育まれました。
天文時計もありました。日付、時刻、月の満ち欠け、星座と太陽の位置関係、ねじまきを忘れないための警報装置、複雑な仕組みの時計の動きを、ゲーテは存分に堪能することができました。
こちらは音楽室です。ゲーテの父親はリュート、母は歌、ゲーテ自身はチェロを演奏していました。
当時の生活がわかるタンスやアイロン
ほかにもゲーテの家には、当時の生活の様子がわかるものが多いです。例えばこちらはタンスです。
こちらはアイロンだそうです。
こうした比較的豊かで教養ある家庭に生まれたゲーテは自らの才能を伸ばし、ドイツ語を生み出した父として活躍していくことになります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?