イギリス旅)グリニッジ)なぜ天文台と本初子午線の街になったのか?
ロンドンの街、グリニッジを訪れています。グリニッジ天文台と、世界の経度0度を示す本初子午線の存在で有名な街です。なぜグリニッジはこうした街になったのか、街を歩きながら探訪しました。
本初子午線の街グリニッジ!
グリニッジを訪れてまずやりたいことは、本初子午線の上で写真をとることですよね。タイトルの写真がまさに本初子午線です。右に一歩踏み出せば東経、左に一歩踏み出せば西経、そして両足を開いて踏ん張れば、世界の東と西を股にかけることができる・・、楽しいです。
実際の本初子午線の上には、東京を含めた世界の都市の名前があります。世界中から来た人が自分の都市を指さしながら写真を撮っていく、みんな楽しんでいます。
でもなぜ、グリニッジ天文台が本初子午線の街に決まったのでしょうか。会議で決まったから。それは確かにそうです。でももうちょっと深く、本質を歴史から読み解いていきましょう。
時はまさに大航海時代、海上で自分の位置を割り出すという難問
時はまさに大航海時代。17世紀にさかのぼります。スペインのコロンブスがアメリカ大陸を発見し、ポルトガルのマゼランが世界一周を実現し、西欧にとっての新世界や新航路の発見で、世界の船による移動が活発になります。
難問は、海上で自分が世界のどの位置にいるかわからないということです。もちろんGPSもないし、無線もありません。さてどうしたのでしょうか。
緯度は実はわりと簡単
緯度、つまり自分が南北のどこにいるかどうかを割り出すのは、実は意外と簡単とされていました。
古代ギリシャから知られていたのは、北極星の高度を図る方法です。常に地球の地表から見て北側にある北極星は、北に行けば行くほど高く見え、南にいけばいくほど低く見えるためです。
難問なのは経度
難しいのは東西のどこにいるか、経度です。地球は自転をしてぐるぐると回っているので、頼りにできる星は固定した位置になく、北極星を目印にした方法には頼ることができません。
例えばコロンブスは、自身が見つけたカリブ海の島をインドだと勘違いして、「西インド諸島」と名付けられることになりました。インドとカリブ海、今の我々の目からみると全く違う位置にあります。でも当時は正確な地図もなく、東西を図る方法もない、それがこうした勘違いを生むことになります。
天体観測で解決できるか・・・?
なんとかして北極星のような天体の目印を見つけだすことができないか。こうして始まったのがグリニッジ天文台の創設とそこでの天文観測です。つまり天文観測は、航海の必要性に迫られて始めたことだったんですね。
例えば上記の写真は1679年に造られた、グリニッジの最初の天文学者による望遠鏡の跡地です。地下30メートル超の穴を掘って、長い長い望遠鏡を入れて天文観測をしました。でも地下の状態が悪く、この望遠鏡はすぐ使えなくなってしまいました。苦闘がうかがえます。
こちらは1789年に造られた当時最大の望遠鏡です。でもこちらも維持が難しく、30年後には落木の事故で使えなくなってしまいます。
苦難は報われるのか・・?(報われない)
こうした地道な天体観測によって、見事東西の経度の位置を人間は割り出せるようになったのでしょうか。実はこの努力は報われず、あるイノベーションが本初子午線を生み出すことになっていきます。
この紆余曲折は、また次回の記事でご紹介します。
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