見出し画像

世界史のまとめ × SDGs 第8回 さらに巨大化する国家と"情報"の蓄積(前400年~前200年)

SDGsとは―

世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。

***

Q.「人間らしい」働き方とは?

SDGs 目標8.7 強制労働を根絶し、現代の奴隷制、人身売買を終わらせるための迅速で効果的措置の実施、最も劣悪な形態の児童就労の禁止・撲滅を保障する。2025年までに少年兵の徴募や利用を含むあらゆる形態の児童就労を撲滅する。

奴隷が当たり前だった時代

歴史:この時期のユーラシア大陸では、国のさらなる「巨大化」の時代を迎える。
 遊牧民も定住民も競うように国のサイズを大きくしていく。

 ユーラシア大陸の東のほうでは、いくつもの遊牧民グループを大同団結させることに成功した「匈奴」(遊牧民の親玉グループ)が、「皇帝」によって統一された中国の定住民の国と対立している。
 「皇帝」というのは、中国では天の神様に認められた最強の支配者(と考えられた支配者)のことだ。

ユーラシア大陸の西のほうではどうなっていますか?

地理:ペルシア人が独自の文化を発展させているよ。

 ペルシア人のふるさとは乾燥エリアにあたる(注:ファールス地方)。
 パラパラ草原が広がっていて家畜を飼うことができるし、場所によっては地中海沿岸の気候に似ていて麦などの穀物もよく育つ場所だ。

歴史:でも、そんな地域を中心とする西アジアのペルシア人の巨大国家は、今度はギリシャの北のマケドニアという王国に飲み込まれてしまう。
 若い王がたった一代で超巨大国家を建てたからだ(注:アレクサンドロスの大帝国)。

地理:ギリシャのこの国王のねらいは、イランを突っ切る道の確保だ。
 ペルシア人の「ふるさと」にある街(注:ペルセポリス)も、このときに奪われてしまった。

これだけの領土を支配するには大変な労力が要りますよね?

歴史:当時の人間たちが頼りにできた動力は、せいぜい家畜の力だよね。
 ということは、大きな建物を建てるにしても、荷物を運ぶにしても、人間の力が不可欠なわけだ。
 この時代の多くの国が、税として「労働力」を徴収していたのも、それが理由だ。

 誰かの持ち物として所有され、道具のように働かされる人のことを「奴隷」という。当時の人間にとって、「奴隷」はなくてはならない存在だった。


 ギリシャから西アジアまでの広い範囲を支配したこの王様は、しばしば「自由なギリシャの文化を東方の世界に広げたい」と語っていたとされるけど、ギリシャの社会自体も多数の奴隷によって成り立っていたわけだから、ちょっと違和感がある。

たしかに。

歴史:この王にまつわる生前の記録は実はかなり限られていて、ほとんどが後世になってつくられた記録だから無理もない。


彼の超巨大国家はその後どうなってしまうんですか?

歴史:王は若くして死んでしまう。
 マラリアではないかという説もある。

3.3 2030年までに、エイズ、結核、マラリアおよび顧みられない熱帯病といった伝染病を根絶するとともに肝炎、水系感染症およびその他の感染症に対処する。

 アレクサンドロスと戦を共にした有力な部下たちが領土を取り合い、マケドニア、エジプトとその他の領土に分かれてしまう。彼らはもう一度「世界征服」を成し遂げようと夢見るけど、結局かなわなかった。

 一方、地中海ではローマが勢力の拡大を始め、手始めにフェニキア人と地中海の貿易ビジネスをめぐって大戦争を起こしている。ローマも戦い方や考え方の面では、西アジアや北アフリカの影響を強く受けている。
 この時代も引き続き、西アジアを中心とする地域が世界の最先端をいっているわけだ。

さらに東のインドには影響を与えていませんか?

歴史:インドに広い地域を支配する王が出現するきっかけを与えているよ。

 もともとインド(≒南アジア)ではたくさんの国が土地をめぐってケンカしていたんだけど、この時期に西のほうから史上最大の国家を建設した若い王(注:アレクサンドロス)が大軍を率いてやって来たものだから、インドの王様たちは腰を抜かしてしまった。
 インドを守るため勇敢にたたかった武将が、その勢いで北インドの大部分を統一することに成功。はじめてのインド統一だ。

でも、武力で統一しても長続きしませんよね。

歴史:そういうものだよね。
 だから、のちの王様は仏教の教えを利用して、広い領土のいろんな人たちを支配しようとしたんだ。教えの内容がわかるように各地にモニュメントを建てて、仏教の内容をディスプレーしている。努力の結晶といえるね。

現在のアフガニスタンのカンダハルで発見された碑文には、ギリシア語とアラム語で碑文が刻まれていることから、「外向け」に発せられた文書だということがわかる。


Q. 人間はどうやって知識を共有してきたのだろうか?

SDGs 目標17.6 科学、技術、およびイノベーションに関する北南協力、南南協力および地域的・国際的な三角協力を強化するとともにこれらへのアクセスを向上する。また、国連レベルをはじめとする既存のメカニズム間の調整改善や、グローバルな技術促進メカニズムなどを通じて、相互に合意した条件において知識共有を進める。

人間は世代を超えた ”共同作業” ができる動物だ

歴史:この頃、中国は戦国時代に突入し、時代の激変期を迎えている。 そんな中、秦という国が遊牧民の戦法を取り入れて強大化し、ルールによってガッチリ支配する国の仕組みを発展させた。

 秦は中国を統一し、王は「皇帝」を名乗った。「皇帝」とは天の神様に「地上の支配者」として任命された最強の称号だ。

驚くべき大きさを誇る皇帝の墓である(注:兵馬俑

広い領土を支配する仕組みは、この頃世界中でいろいろ考えられているんですね。

歴史:そうだね。

 秦もペルシアと同じように、全土をいくつかの区画に分けて役人を派遣したんだ。でも厳しい支配は農民の反乱を招き、すぐに滅亡してしまう。

 その後、中国をもう一度統一しようとする武装集団の争いの末、漢という国が建てられ、王は「皇帝」を名乗っているよ。
 中国を統一した者は「皇帝」を名乗る伝統がつくられていったわけだね。

それがだんだんと”中国の文化”になっていくわけですね。

地理:そうそう。
 ここでいう「中国」っていうのは”国の名前”じゃないから注意しよう。
 「ヨーロッパ」とおなじように、地域の名前を表す。
 
 ヨーロッパの文化が、さまざまな要素が混じって成立したように、中国の文化も多様な文化のミックスによって成り立ってきた。
 とりわけ「の中国」と「の中国」の違いは根強く残り、今でも北のペキンと、南のカントンでは中国人どうしでも話が通じない。

 そこで、異なる言語をのりこえるコミュニケーションの必要から漢字が使われたわけだ。
 いままで各地で使われていたいろんなタイプの漢字を、秦の皇帝は1種類に統一しているよ。
 この自体は今では賞状に押すハンコなどに使われる書体だ(注:篆書(てんしょ))。

文字が統一されると、情報の共有も進みそうですね。

歴史:ゼロからはじめたらものすごい労力がかかることでも、研究の蓄積があればとても楽になるよね(車輪の再発明)。


 単純にアイディアにをパクるだけではなく、翻訳したり換骨奪胎したりする中で、さらに新しいアイディアを付け足してみることで、まったく違ったアイディアに発展することもよくあることだ。
 誰かが発見したことを共有することで、人間は「自身の寿命を超えて共同作業をしている」と言えるかもしれない(注:コレクティブラーニング)。


  
 当時、地中海有数の港町に発展していたアレクサンドリアという都市では、当時の世界最大級の図書館付き科学研究施設が建設されている。


この記事が参加している募集

推薦図書

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊