世界史のまとめ × SDGs 第10回 世界観の広がりと気候変動への対応(紀元前後~200年)
SDGsとは―
「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
17の目標の詳細はこちら。
SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。
***
Q. 当時の人々は、どのような世界観を持っていたのだろう?
目標10.2 2030年までに、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々のエンパワーメント、および社会的、経済的、および政治的な包含を促進する。
「世界地図」が人々の交流をさらに深めていく
歴史:この時代にはユーラシア大陸では「西の横綱」ローマと「東の横綱」中国が、それぞれ巨大な国の代表格となっている。
ユーラシア大陸の西の端の人々は、東の端の人たちがどんな人たちなのか知っていたんでしょうか?
地理:正確にはわかってなかったけど、当時の地中海周辺で出回っていた「世界地図」を見てみると、東の橋には「シナ」(SENAE)という地名がみられる。
シナ?
地理:秦(しん)から転じて、中国のことを指す地名として使われていたとみられる。
絹(セリカと呼ばれていた)の産地として知られていたんだ。
歴史:絹が蛾の幼虫からつくられる繊維っていうことは謎のままだったから、地中海周辺ではシルクの布の価値はとっても高かったんだよ。
ローマの貴族の服装(『図解 古代ローマ人の日常生活』)
地図に描かれていても、実際にどんな人が住んでいるのかまではわからなかったんでしょうね。
歴史:インド洋周辺のガイドブック(注:『エリュトゥラー海案内記』)も出回っていたけど、実感はなかっただろうね。
『エリュトゥラー海案内記』に登場する地名(推定)と産物
一方で、当時の地中海周辺では、「たとえ言葉や文化が違っても、同じ人間であることには変わりない。すべての人間に共通の真理があるはずだ」という考え(注:自然法思想)も発展していた。
こういうルールが制定されるってことは、地中海周辺にはそれだけ大きな国があったってことですよね?
歴史:そうそう。ローマという大きな国が広い範囲を支配しているよ。
ローマの文化は“先輩”とされるギリシャを受け継ぎ、文系・理系・芸術にいたるまで多岐にわたって発展し、その後のヨーロッパにおける「教科書的文化」となっていく。
ローマではどのような宗教が信じられていたんですか?
歴史:ローマではさまざまな神様が大切にされ、皇帝も神様の一人とされていたよ。
一方で、「この世界をつくった神様はひとつ」とするユダヤ教という宗教も、ローマの国内では信じることが認められていた。ユダヤ教の人たちはローマの神々の儀式には参加しなかったけど、伝統的な宗教ということで一応みとめられていた
でも、ユダヤ教の中にはこんな意見を出した人がいた。
「ローマ人だって神様がつくった人間なんだから、神様はすべての人間のことを大切に考えているはずだ。そのことに気付くべきなんじゃないかな」
支配者のローマ人だって、同じ人間だ。敵味方関係なく愛し合おう。
この考え方はローマからも、ユダヤ教の多数派からもにらまれた。結局この考えを広めようとした人は十字架にかけられ、亡くなってしまったらしい。
でもその死後、「あの先生の言っていたことは、正しかったんじゃないか。見殺しにしてしまった僕たちが、こんどはこの考えを広めるべきだ」と弟子たちがローマに出向いて活動するようになった。
そのうちに、彼らの考えはユダヤ教とは別の考え方に発展していったんだ。
それが「キリスト教」ですね?
歴史:その通り。
でもローマでは次第に皇帝から目をつけられるようになり、大きな弾圧事件も起きている。
それにもめげずに、キリスト教のグループはローマ中に勢力を広げていくよ。
ローマはどのくらい強い国だったんですか?
歴史:広さでいうと最大時には日本の10倍以上の面積にまで広がった。「ローマのおかげで戦争もなく平和な世の中になった」と、讃えられたほどだ。
でも、広くなればなるほど維持費はかかるし、平和になったらなったで大事な労働力である奴隷も得られなくなる。戦争で負けた敵が奴隷になることが多かったからね。
南北アメリカ大陸の状況はどうですか?
歴史:この時代になっても、ユーラシア大陸やアフリカ大陸との関わりはほぼ皆無だった。
単純に進み具合が「速い」とか「遅い」とか決めることはできないけど、ユーラシア大陸に比べるとスローペースだよね。鉄、馬、戦車がないことが一番の理由だろう。
南北アメリカは南北(タテ)方向の伸びているから、長い距離を移動するとなると気候の変化が大きく大変だし、ユーラシア大陸に比べると季節風も使えない。
というわけでユーラシア大陸では貿易ビジネスで利益をあげる国が、陸でも海域でも現れる。もちろんアメリカでも貿易は行われているけど、規模が違うね。
Q.人類はこの時代の気候変動にどのように対応したのだろうか?
SDGs目標1.5 2030年までに、貧困層や脆弱な立場にある人々のレジリエンスを構築し、気候変動に関連する極端な気象現象やその他の経済、社会、環境的打撃や災害に対するリスク度合いや脆弱性を軽減する。
ユーラシア大陸の巨大な国では支配システムを整備して繁栄を迎えるけど、しだいに問題点も見えてくる。
ローマにしろ中国にしろ、「拡大することが繁栄につながった」面があるけど、拡大には限界があるから、そこで行き詰まってしまうというわけだ。
社会が安定すると人口も増えそうですね。
歴史:でもたとえ人口が増えたとしても、食料の生産にはスピードに限界がある(注:マルサスの罠)。
ふつう食料の生産スピードは、人口の増加スピードに追いつかないんだ。だからどこかで結局無理が生じるわけだ。スピードに追いつこうとすれば開発のしすぎで環境破壊になるしね。
追い打ちをかけたのは、この時代の後半から次第に気候が変動していったことだ。
どんな影響があったんですか?
地理:中国では2世紀の頃から自然災害が増え、水害、干ばつも多発した。イナゴの大量発生や疫病、地震も報告されている。
当時の人々はどんな対応をしたんでしょうか?
地理:天人相関説といって、天災が多発するのは地上の支配者がだらしないからだって信じられていたこともあって、政情は不安定になっていった。
歴史:でも「火事場のバカぢから」ってやつで、ピンチになった分、それを克服しようとする人も現れているね。
漢方のルーツとなった医学者や、地震計や天球儀を開発した科学者なども活躍した。
地震計―地面が揺れると球がカエルの口に落ちる仕組み
また、病気を「まじない」によって治療する集団(注:太平道)が現れるのもこの時期だ。世の中が大変な時期に、もう一度秩序を取り戻そうと「儒学」の持つ力も注目されているよ。
アメリカ大陸の様子はどうですか?
歴史:アンデス山脈の方面で、神殿を中心に広い範囲を越えて支配する指導者が現れるよ。
現在のペルーというところでは巨大な「地上絵」を大地に描いて雨乞いの儀式を行う人々もいた(注:ナスカ文化)。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊