歴史の扉③ タピオカミルクティーの世界史
コロナ禍の影響から、一時に比べ下火となったタピオカミルクティーの流行(ちなみに私は1點點が好き)。早くも懐かしむつもりで、世界史とのつながりについて、話題の『中国料理の世界史—美食のナショナリズムをこえて』(岩間一弘著、慶應義塾大学出版会、2021年)をもとに簡単に紹介します。
ルーツは台湾の屋台
1980年代頃、台湾の屋台では、ポリ袋入りの紅茶が売られていました。東南アジアでよく売っているやつですね。
これにかき氷のトッピング用に大粒のタピオカが入れられるようになったものが、タピオカミルクティー(珍珠奶茶)のルーツだといいます。
日本から香港、そして東南アジアへ
1990年代に、台湾人の経営する料理店でタピオカミルクティーが導入され、2000年代にブームが訪れました(なお、「台湾人」という呼称については、次も参照されたい。何義麟「戦後日本における台湾人華僑の苦悩」『大原社会問題研究所雑誌』679号、2015年5月)。
それが香港に波及し、華僑ネットワークを伝わり、マレーシアや東南アジアへと伝わっていきました。
キャッサバは南米から
しかし、そもそもタピオカミルクティーの「タピオカ」は南米原産のキャッサバ(マニオク)からとれるデンプンの加工品。ポルトガル人によって奴隷用の食料としてアフリカ大陸にもたらされ、旧大陸に広まった経緯がある(https://digitalrepository.unm.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1012&context=ltam_etds)。
ミルクティーはイギリスからの逆輸入
また「ミルクティー」は、中国茶が欧州で紅茶として受容され、それが台湾に逆輸入されたもの。遊牧民の間では、ヤギやヒツジのミルク入りの茶(奶茶)を飲む習慣はあったものの、歴史的に見れば比較的新しいスタイルの飲み方なのです。
著者の岩間氏は、次のように述べます。
タピオカミルクティーは鼎泰豐(ディンタイフォン)の小籠包のように「台湾」を代表する商品に成長しました。
その一方で、韓国や中国、日本など、各国で特色あるチェーン店も展開され、グローバルに展開されるようになっています。2020年初頭頃までのブームにおいては、「映え」を狙ったSNSの果たした役割も少なくないでしょう。
今後も、各地で独自の進化を遂げていくかもしれませんね。
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『中国料理の世界史』について
最後にこの本について少しだけ紹介しておきたいと思います。
中国人の移動とともに世界各地に広まり、変幻自在に土着化する中国料理。何がお国料理で、何が中国料理なのか。特に東南アジアにおいて、その線引きは、もはや非常に曖昧です。
でも、いったん現地料理にアレンジされるや、人々は「これは◯◯のご当地料理だ」と主張したがるところが、おもしろいところ。
台湾のタピオカ、日本のラーメンやインドネシアのテンペが、なぜそれぞれの国民食として語られるようになったのか。本書は、ナショナリズムや、植民地主義との関わりから、語りの変遷をたどっていきます。
しかし、中国料理は、一体なぜここまで世界的に普及していったのでしょうか?
本書において著者が注目するのは、(1)炒める・揚げる調理法が、外から旨味を注入し、現地料理を取り込みやすかった点、それに(2)19世紀以降の大量出国により、中国内部の料理の多様性が、現地料理の多様性と結びついていった点です。
「日本でラーメンを初めてつくったのは水戸光圀」とか、「回転テーブルは日本人がつくった」「トンポーローは北宋の詩人蘇軾(蘇東坡)が発明した」といった俗説の誤りについても次々に指摘が入る中、世界各地のチャイナタウンを巡りつつ、なるほどなるほどとページをめくっているうち、あっという間に読了。読後はお腹いっぱい。『歴史総合』のネタにもなる。オススメの一冊です。
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