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【試し読み】『中国料理の世界史』

チャジャン麺、フォー、パッタイ、海南チキンライス、チャプスイ……

チャジャン麺は「韓国料理」、フォーは「ベトナム料理」、海南チキンライスは「シンガポール料理」としてすっかり浸透していますが、これらすべて、もとは中国にそのルーツをもつ料理なのだそうです。

なぜ中国料理は世界中で愛され、食べられているのでしょうか。

中国料理の世界史——美食のナショナリズムをこえては、国家建設とナショナリズムに注目しながら、中国料理の成立と伝播の過程を探ります。

本書を手に取った方が驚かれるのは、ページの一枚一枚にぎっしりと詰め込まれた膨大な情報量(四六版ながら、600ページをゆうに超えています)。近年急速に蓄積されている華人学者たちの学術研究成果を整理・紹介しながら、そこに新しい史料や議論を追加し、日本人学者独自の視点から書き直しています。

「たべもの文化史」というジャンルに関心を持つ方が多いこともあって、刊行以来、たくさんの媒体で本書をご紹介いただきました。

『週刊ポスト』2022年1月1・7日号に書評が掲載されました。評者は香山リカ氏(精神科医)です。本文はこちら
▶『北海道新聞』
2021年12月5日「読書面」(8面)「鳥の目×虫の目」にて紹介されました。評者は、平松洋子氏(エッセイスト)です。
『読売新聞』2021年11月21日(12面・文化面)「本よみうり堂」に書評が掲載されました。評者は中島隆博氏(哲学者・東京大教授)です。
『朝日新聞』2021年11月13日(23面)「読書面・書評欄」に書評が掲載されました。評者は藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所准教授・食農思想史)です。本文はこちら
『週刊読書人』2021年11月12日に書評が掲載されました。評者は森枝卓士氏(写真家・ジャーナリスト)です。
『毎日新聞』2021年11月6日(11面)「今週の本棚」に書評が掲載されました。評者は持田叙子氏(日本近代文学研究者)です。
『RiCE』No.20 Autumn(p.128~p.133)に、本書の紹介、並びに著者のインタビュー記事が掲載されました。聞き手は平野紗季子氏。「おいしい学校 日本における中国料理の受容と現地化の歴史」(https://www.rice.press/magazine/
『三田評論』2021年11月号(No.1260)(p.89)「執筆ノート」で、本書が紹介されました。本文はこちら
『日本経済新聞』2021年10月2日(30面)「読書面・あとがきのあと」に、著者並びに本書が紹介されました。本文はこちら(※有料会員限定記事です)

また、2021年11月13日には、ジュンク堂書店池袋本店さんにて刊行記念イベントが行われました。
↓イベントレポートはこちらから

そしてなんと、「紀伊國屋じんぶん大賞2022」の8位にも選ばれました。

このnoteでは『中国料理の世界史』の盛り上がりを記念しつつ、さらにたくさんの方に興味を持ってもらうべく、序章の一部を公開します。ぜひご一読ください。

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料理のナショナリズム

なぜ中国料理は、これほどまで世界中に広がったのか? 中国料理は、世界各国の食文化をどのように変えたのか? 私たち日本人と中国料理との関係は、世界のなかで特別なのだろうか?

本書は、こうした素朴な疑問を念頭に置きながら、今日の「中国料理」が形成されてきた過程を跡づけ、そしてさらに、中国各地の料理が、諸外国の「国民食」にもなってきたことを明らかにする。そのうえで、私たち日本人がこよなく愛する中国料理を、世界史のなかに位置づけて、客観的に見つめ直したい。言い換えれば、本書が目指すのは、世界各国の人々が中国料理にこめた考えや思いを読み解いて、それを一つの歴史物語に紡ぎ出して伝えることである。

人類の食料そのものは、穀物にしても動植物にしても、数千年以上にわたって、それほど大きく変わってはいないのかもしれない。しかし、その味つけや意味づけは、時代ごとに大きく様変わりし、より多様かつ複雑なものに進化してきた。そして、今日の料理は、例えば、効率を追求するファーストフード・チェーンのハンバーガーから、旬の食材や顧客一人一人へのおもてなしを重視する日本料亭に至るまで、幅広い「思想」があるし、中国料理、フランス料理、日本料理といった「国籍」までも有している。

こうして進化してきた料理を、文化や芸術の一分野として捉えることには、すでにあまり多くの異論がない。そして、他の文化・芸術分野と同様に、料理も政治権力と無関係に発展することはありえない。
それにもかかわらず、食の文化を社会・政治と関連づけながら考察して、料理をミクロの生活史だけでなく、マクロのナショナル・ヒストリーや国際交流史のなかに位置づけようとする研究は、まだ十分に試みられていない。

とりわけ、国家権力が文化を利用して強化され、国家権力に貢献した文化が栄える、という文化と政治の密接な関係は、洋の東西を問わず具体例に事欠かない。例えば、古代の青銅器を収集した北宋の徽宗、茶の湯を重んじた織田信長や豊臣秀吉、ウィーン会議で天才シェフ・カ㆑ームに料理をふるまわせたフランスの外交官・タ㆑ーランなどを、人それぞれに思い浮かべるだろう。だからこそ、無意識のうちに一国の政治や社会によって枠づけられている料理や食に対する見方を、世界史的な観点から客観的に見直すことに意義がある。

本書はおもに、近現代の世界史を理解するうえで、最重要テーマの一つである国民国家建設に焦点をあてて、それが中国や世界各国の料理を、どのように変えたのかを明らかにしたい。領土・主権および主体的な国民を擁する国民国家(nation-state)は、18世紀後半のアメリカ独立宣言やフランス革命から欧米で出現し、20世紀中葉までに、アジア、アフリカ、ラテンアメリカを含む全世界で勃興した。
そして、フランスをはじめとする国民国家が「国民料理(national cuisine)」を創成して外交の場で活用し、21世紀にはそれを対外的に宣伝して輸出する国々も増えた。このような「国民料理」に関して、欧米では議論が蓄積されているし、日本でも近年に熱心な議論が行われた 。

本書はまず、清朝の宮廷料理から論じ始めて、近代中国の都市文化としての中国料理の変化を明らかにし、さらに中国料理という一つの「国民料理」が形成される過程を見ていく。A・アパデュライの有名な論文が指摘するように、フランスや日本などに比べて、広大な国土と多様な民族を有する中国やインドでは、国民国家を建設するのが困難であった。そして、地方料理やエスニック(民族)料理の固有性が目立って、一つの「国民料理」を形成するのも容易ではなかった。しかしそれでも、中国やインドの「国民料理」創成の試みは、20世紀後半から進展してきた。

なお、当然ながら重要なことに、「国民料理」と「国民服」の形成過程は、軌を一にするところがある。だから、どのように「中国料理」が確立されていったのかを考えるうえでは、「中国服」の形成過程が参考になるだろう。山内智恵美の中国服飾史研究によれば、孫文が愛用した中山服が、1920年代末までに「国服」になったという説は、事実からかけ離れているという。すなわち、1929年に南京国民政府が公布した服制条例には、中山服が登場していなかった。一九四二年に汪精衛(汪兆銘)の対日協力政権が公布した服制条例が、初めて「国民服」を法令化し、「中山装式」を「国民服」に定めていたが、その影響力は限定的であり、この不都合な史実が後世に顧みられることもなかった。

他方、1929年の服制条例は、西洋風に改良したチャイナド㆑スへと変身を遂げつつある旗袍(チーパオ)を、女性用の礼服と公務員の制服に定めていたものの、国際的な場面では西洋式の礼服の着用を求めていた。

中華民国期は、きわめて多種多様な服飾が混在して着用された希有な時代であった。旗袍は、服制条例と関係なく流行したが、中華人民共和国の成立後には、それが搾取階級の華美な服として見られて着用者が減っていった。

そして文化大革命が発動され、1960年末頃までには、官服の中山服とその支流にあたる平服の人民服(軍便服)が、実質的な「国民服」になった。しかし1980年代以降、「改革・開放」政策の浸透と経済発展のなかで、旗袍が、礼服や㆑ストラン・ホテル従業員の制服などとして、再び着用されるようになる。すると、中山服と旗袍が、中国の「民族服」「国服」として認識されていき、さらに2001年の上海APEC後に新唐服ブーム、その翌年に漢服運動が起こって、これらの四つの服装が「民族性」「愛国主義」を競い合う現状になっているという 。こうして明らかにされている「国民服」の形成を念頭におきながら、本書ではまず、中国の「国民料理」の創成過程を解き明かしていきたい。

(続きは本書で……)


↓本書より、銀座アスターのクリスマス中華「宴華」のリーフレット(1968 年)。(とはいえ、その後あまり普及しなかった。)

↓本書より、銀座アスターの中華おせちのリーフレット(1970年)。銀座アスターが中華おせちの先駆だった。

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