あの時の思い出~中三~

最近ノート書いていて気がついたんですが、特に中学生時代のことはほとんど振り返らずにきたsekunです。

ノートを始めたのは役に立つ情報発信を勉強したいと思ったからなのですが、最近、1ヶ月くらい習慣化してみた結果、「自分の頭の中を文章にまとめる作業」って情報の代謝をよくするなぁと思っています。

今日も思い出です。どうしても中学生の頃を振り返らないと前に進めないだろうなっていう壁に直面したので、振り返っています。

何となくここまで3回思い出話続けてみて思ったことは、
中学は本当大事!…ですね。

ここから振り返ります。

あの時の思い出~中二・中三~|sekun https://note.com/seiyakun/n/nda25b0e32c77

情熱という感情が消えてしまった中三の春、私は普通に生活していました。もちろん人並みに好きな人もいたし、したいことも人並みにありました。

その当時の私は何かを行動すると、人に否定されると思っていたので積極的な行動にうつすことはなかったです。

そのくせに、やりたいことを見つけようとか進路を考えようとか、そんな授業が胸糞悪かったのを覚えています。どーせ否定するくせに。

今みたいにインターネットが発達していなかったあの時代、パソコンも家にありましたが、インターネットを閲覧していい時間は限られていて、ゲームする時間も限られていて、家でパソコンやってるって友達に言うと「オタク」とバカにされるような環境でした。

考え方の根底に「イチローモデルのグローブはイチローが使う前はただのグローブだった。だからただのグローブもお前が使ったら『ブランド』グローブになるくらいの大物になればいい」という考え方がありました。これは私の父の言葉です。

今ではそれもそうだなって思えるのですが、中学生の頃「自分」が人と違う趣味や道具を持っていると、バカにされる・弱点をさらけ出してしまう…という恐怖もありました。その事から次第にパソコンも避けるようになって、漫画もみんなが読むものを読んで、勉強も中途半端に頑張って、意見もみんなに合わせるようになっていました。

小学生の頃は「自分は自分」と思えたのに、中学生になったら「一緒でないといけない」と思ってしまうのはきっとよくあることでしょう。これに関してはどっちが正しいかはよくわかりません。

ただ、「一緒でないといけない」派の人の中には『自己肯定感が瀕死』の状態の人がいるかもしれません。それが中学生のときの私です。

やることなすこと否定されている気がする…。という悩みは誰にもうちあけることができなかったことも1つの要因かもしれません。部活中は部活のことだけ考えてやらなければダメだ!家に帰ったら勉強しなきゃダメだ!それは私のためを思って言ってくれている、みんなそう。

だったら何も言い返せないだろ。

そんな中受検シーズンになります。私は少しだけ自己肯定感を身につけるきっかけを得ます。

模試みたいなテストで一教科だけ満点をとったのです。それが「理科」でした。これは本当にたまたまだったと思います。この事は当時行っていた塾で当時の友達に話をしました。すると、結構な友達が私に勉強のことを質問しにくるのです。これは密かに楽しかったです。「俺自分の勉強ができへんから~」と嫌がっているポーズをとっていましたが、これは正直嬉しかった。

一人、今は漁師をしているある友人のおうちでよく勉強をしました。私は当時のことをよく覚えていて、その友人はお世辞にも賢い友人とは言えないような成績でした。彼は勉強が全くできない…と言ったら言い過ぎですが、そんな友人です。同じ高校に行こうな!みたいなことではなくて、その友人は人に見てもらわないと勉強ができないから、一緒にやろうみたいな流れだったような気がします。

私はその友人の勉強を見ていく中で、「俺の力で合格させてやろう」と謎の自信と目標を持って勉強を教えていました。これは入試の3ヶ月くらい前の事です。

そんなこと言いながら、9時からやってた香取慎吾主演の「人にやさしく」を見たり、飽きたらゲームしたり好き放題やっていたなぁ…。私にとっては友人と過ごす自由な時間は結構久々の感覚でした。もちろん時間も決めて勉強もしました。

結局、私は何したいかよくわからんしテキトーに受けた一番自由度高そうな高校を受けて、友人も自分の第一志望の高校を受けました。

私は合格したけど、友人は不合格でした。別々の場所での合格発表だったのですが、その一報を聞いたとき沸き上がった感情「悔しい…」でした。

この感情は本当に忘れかけていた感情で、あのときテレビ見てないで勉強していれば、自分がもっと入試とか研究していれば…。そんな感情になったのです。もはや、合格発表の日のことはその友人の不合格のことしか覚えていません。「後悔」「謝罪」「無念」の感情です。

このとき、私は自分に欠けてしまった感情を、友人を通じて少し取り戻せたのかな、と回想してみる。私の高校受験はどーせ落ちてもなんとかなる、どーせ大したことない人生なんだから…という感じだったんですけど、こと友人に関しては「自分じゃない」のだから取り返しがつかなかった…ので余計に後悔したのかもしれない。何より、「頼ってくれた人の頼りにならなかった経験」として深く刻まれたのです。

これも、振り返ったからこそ気づいたのですが、私は悔しいという感情を「どーせ無理」という感情で圧し殺していました。これはクセみたいなものだと思います。このどーせ無理を繰り返したのが中学時代で、これが原因であまり思い出したくない過去なのかもしれません。

その当時の私にアドバイス送るとしたら、

「野球が嫌いだったらやらなくていい。パソコンでゲームやりたいならやっていい。でもやりたいことあるのに『どーせ無理』とか言っちゃいかん」

その友人は今でも元気に地元で暮らしています。話すと、すごくかっこいい友人だと思います。

思い出したので、感謝します。自己肯定感を、反省という感情を思い出させてくれたのはその友人だったと思います。ありがとう!

そして、高校生では別々の道へ…。その高校生活。とはいえ、まだ屈折してしまった私はさまざまな場面で人を傷つけたり、どうしようもないことをしてしまいます。どーせ俺なんて…どーせ無理…という感情はちょっとやそっとじゃ消えません。

それは胸にしまっておかなきゃならんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました(*^^*)

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