ナイン・ストーリーズ
タイトルの通り「9つの物語」が収録されている。
しょっぱなの「バナナフィッシュ日和」が最高だった。いきなり繰り返して読んでしまった。
「シーモア」が出てくるけれど、これはサリンジャーの次作「フラニーとズーイ」で既に亡くなっている長男だね。
柴田元幸さん以外の過去の訳者は「バナナフィッシュにうってつけの日」と訳しているけれど、どちらもいい訳だなぁとほれぼれする。もうとにかくおかしな話で。
おかしな話といえば「笑い男」も強烈。何度か吹き出してしまった。
非のうちどころのないチーフ。しかしチーフがガールフレンドの弾丸トークに翻弄されて、運転するバスのギアシフトの把手(とって)が「もげる」ところとか最高だね。
もげるか?
いや、これはまじめな話、諸々のギャップと本人たちの平静さがおもしろい話。
「エズメに-愛と悲惨をこめて」では手紙でのコミュニケーションを好む60人の軍人がおかしかった。
「可憐なる口もと 緑なる君が瞳」は、読んでいていらいらとさせられたね。
銀髪の男のなんとかしてあげたい態度も、アーサーのなんとかしたいけど支離滅裂ってのも、わからんではないんだけど。
そしてラスト2作の「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」と「テディ」は、「フラニーとズーイ」への助走となっていく。特に「テディ」は何かと仏教的な(禅的な)な描写が多かったように思う。
訳者である柴田元幸さんの非常に短い「訳者あとがき(の・ようなもの)」の一部分(というか半分ぐらいか)が印象的だったので引用すると、
**引用ここから**
聴覚的にも視覚的にもできるだけノイズのないよう(結果はともかく志としては)努めた訳文を介して、世界に対してムカついていたり、過剰な自意識を抱え込んでいたり、傷から癒えるすべを探っていたりするサリンジャー世界の人たちが、読む人の目の前に見えてくれれば嬉しい。そうやって見えてきた人たちは、善人とか悪人とかいった「物語」的な判断を下される前の、いわば丸腰の個人である。そういう丸腰の個人を浮かび上がらせるのが小説のひとつの仕事だとすれば『ナイン・ストーリーズ』ほど、あざやかにその仕事をなしとげている小説もそうザラにないのではないかと思う。
**引用ここまで**
…とても心あたたまるあとがきです。柴田さんとてもいいことをおっしゃる。
なにがなんだかわからないような話も含めて、サリンジャー作品全体で「人にしっかりコミット」しているようなところが好きです。
ところで、サリンジャーの作品って、全体的に「ませた子ども」がよく出てきました。
それでは、再びフィリップ・マーロウの世界に戻ります。
次は「プレイバック」。(少し読書ペースが落ちるかと思います)
(書影は https://villagebooks.net より拝借いたしました)