愛について語るときに我々の語ること / ビギナーズ

レイモンド・カーヴァーの短篇集『愛について語るときに我々の語ること』は、編集者ゴードン・リッシュにより過剰な改変がなされたものだった…。オリジナル版が『ビギナーズ』。
これらは17篇から成り、それぞれ1~17まで順に収録されている。タイトルは同じものもあれば異なるものもある。表題作はいずれも16番目に収録されているもので、それぞれの作品はオリジナル版に対して30~70%ほど縮められている。

『ビギナーズ』の方に、カーヴァーがリッシュに宛てた痛切なる手紙が収録されていて、3回ぐらい読んだが本当につらい。こんな作家は他に知らない、ぐらいにつらい。
当時のカーヴァーは立場的にも収入的にも苦境に立たされていて、そこに救いの手をさしのべてくれた(もしくは、くれたような)リッシュを頼る。リッシュにチェックを託したところ、あまりにも想像を絶する改変がなされていてカーヴァーは目の前が真っ白になる。しかしもうサインは済んでおり、出版の話はそのプロモーションとともにとんとん拍子で進んでいて…リッシュはカーヴァーの訴えに耳を貸さない…。

訳者(村上春樹)がレイモンド・カーヴァーを訪れたのは(1980年代)まさにこの渦中のさなか、もしくは袂を分かった直後だったようだが(記憶があいまいですみません)そういった素振りをカーヴァーさんは一切みせなかったようだ。訳者は『愛について~』の巻末の解題の中で、あまりにもそぎ落とされすぎていることに違和感をもちつつ、カーヴァーはその後の作品集でぼちぼちとオリジナル版も発表しているから、あえて数パターンを出していたのだろう(あるいは作家としての実験として)とは推察するが、首をひねるところがないわけでもなかったようだ。

以下、『ビギナーズ』の訳者あとがきP524より引用してみる。

 しかしカーヴァーは、そのようないくつかの作品の書き直しがリッシュによって滅多切りにされたものの修復作業だとは明らかにしなかった。彼はそれを-僕に向かって言ったのと同じように-物語の『拡張作業』なのだと説明した。彼にはどうやらリッシュとの確執を世間に明らかにしようというつもりはなかったようだ。
「カーヴァーはすべてが平穏に進むことを求めていたんだ」とトバイアス・ウルフは語っている。インタビュアーたちに「キャプテン・フィクション」との関係について質問されると、カーヴァーは常にリッシュのことを友人であり、才能ある編集者であり、自分が困難な状況にあるときに助けの手を差し伸べてくれた人だと言った。しかし彼との編集上の関係の変転については、語ることを巧妙に避けたし、作品に関心を持つ人々のために何かしらの事実を明らかにすることもしなかった。

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僕(誠心)はそれぞれを改変版(ショート版)→オリジナル版、というぐあいに1冊1冊を替わりばんこで1作目から17作目までを順に読んだ。
もはやこういう読書のしかたは初めてで、作品そのものに吸い込まれていくというよりは、カーヴァーとリッシュと訳者のそれぞれがそれぞれの時に感じた気持ちの方が気になってしまった。

僕自身の仕事における、生活における基本指針のひとつに「沈黙は金」、もしくは「沈黙が金」がある。いや、言うべきははっきりいうところもあるので実行動としてそうだとは限らないのだけれど。いずれにせよ態度で示していくことを、声にならぬ声に耳を傾けていくことの方を僕は好む。カーヴァーさんの姿勢や訳者である村上春樹さんの姿勢にもそれを感じる(春樹さんは最近は沈黙を破ってきている感もあるけれど)。

さて、ここからカーヴァーの最高傑作といわれる『大聖堂』にステップアップ、キャリアアップしていく様子は実に楽しみ。カーヴァー・ジャーニーはまだまだここからなのだ。(ちなみに時系列だとこのあとに『ファイアズ(炎)』があるのでまずはそれを読む)

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※以下は内容のレヴューにつき、ネタバレにご注意ください。

☆17作目まで順に①~⑰にて(ノーコメントのものもあり)
☆別タイトルの場合は【 】内がオリジナル版(=『ビギナーズ』)でのタイトル
☆ショート版とはもちろん『愛について~』の方

① ダンスしないか?
オリジナル版の方が家財道具を売る男の状況が鮮明。そのことがかえって不気味さをかもしだしている。ショート版は少し削ぎ落としすぎている気がする。

② ファインダー
オリジナルのが良い。描写もつかみやすい。「両手のない写真家」との共同作業がほほえましい。屋根から石を投げるシーンもうまく撮れていると言ってくれる。

④ ガゼボ
夫の不倫が原因で破たんしていく夫婦の話。妻はかつての旅先でのガゼボ(あずまや)での老夫婦の会話と自分たちの将来(結婚当初に思い描いていた未来)を別れ際に回想して話す。妻の夫への愛…こんなふうになるはずじゃなかった…。これがショート版では状況説明がけっこう省かれていて、僕はロング・ヴァージョンが好き。(「そこ、省くの…」というのが今後も出てくる)

⑤ 私にはどんな小さなものも見えた【いいものを見せてあげよう】
オリジナルが良い。ふと、隣の人との深夜のやりとりで、過去から今の自分をみる。そして、眠っている夫に愛していると言葉をかける。ひとしきり伝えると、涙を流して眠りにつく。エンディングのイメージがそれぞれで異なる。

⑥ 風呂【ささやかだけれど、役にたつこと】
圧倒的にオリジナル版が良い。何度よんでも傑作。全部で3バージョンぐらい読んだ気がする…。誕生日に子どものケーキをパン屋さんに頼んでいたが、子どもが事故に遇い生死をさまよう中でケーキのことを母親は忘れてしまう。このパン屋さんがいかにも職人という感じなのだが、最後の方で少し様子が変わり、それがほんとに温かい。『レイモンド・カーヴァー傑作選(カーヴァーズ・ダズン)』でお読みいただくのがお手頃かと思います。

⑧ 出かけるって女たちに言ってくるよ
訳者の解題に詳しいが、これはショート版の方がいいかも。ラストの3行がかなり不気味。オリジナルの方は読めばなるほどとわかるが、これは読まないほうがいいかもしれないと感じた。なかなかにダークで重い作品。

⑨ デニムのあとで【もし叶うものなら】
これは初めて読んだけれどすごくよかった。夫婦は定例のビンゴの会に出かけるが、そこにインチキをしている若いヒッピーのカップルを見つける。夫は彼らがいろんな意味で気になってしかたない。そのインチキも直接指摘する。一方で妻には重い病が見つかる。どうして俺だけこうなんだ…と苛立つ…。後半、「今まで立ち止まって考えてこなかった」と振り返り、涙を流しながら祈る。ヒッピーのことも思って祈る。人生のあらゆることがこの短篇の中にちりばめられている感じ。すごくよかった。

⑩ 足もとに流れる深い川
夫婦の違いというか、男女の違いというか、アメリカの小説はそういう切り取り方をしているものが多いなぁとわずかな読書体験の中でも感じる。これもその1作。それは怖いことでもある。これも3バージョンぐらい読んだ記憶が…。

⑪ 私の父が死んだ三番目の原因【ダミー】
これも負の連鎖の話。暗い話。人は何かを強烈に所有することで、時にその穴を埋めうる。しかしそれは埋めることになっているのか。カーヴァーによくあるパターン。自分に置き換えても、何かに執着しようとするならそれは危険な合図かも。「ダミー」には、生まれつき物が言えない人、という意味がある。

⑬ 静けさ
これは訳者(春樹さん)が絶賛。オリジナルの方が終わりがいいかも。「静」を感じて、それから動き出そうとする。大きく羽ばたく前にしゃがみこむ。やさしく、やわらかく、そして力強い。カーヴァーさんにも何かあったのだろうか…?

⑮ 何もかもが彼にくっついていた【隔たり】
オリジナル版の方が描写が鮮明で良い。まだ大人になりきれない若い夫婦の話で、彼らの娘が赤んぼうの頃のことを父に尋ねるというシチュエーション。それぞれにわがままだったり、どうしていいかわからなかったりするけれど、それぞれ歩み寄ろうとするのがほほえましい。珍しく(?)ピースフルな物語…なのだがちょっとそれだけでは終わらない。

⑯ 愛をについて語るときに我々の語ること【ビギナーズ】
ショート版はずいぶん大切なシーンが省略されていて…その不満は訳者と同じだった。土曜の午後から夜にかけて、ジンを飲みながら2組の夫婦が語り合う。いろいろな愛のカタチについて。この世の喜びはほんの表層的なところで、下層にはたくさんの哀しみがあるのだろうと思わせる。読み終えたとき、もうひとつ寛容に今日の暮らしをやっていこう…と思えた。(5月30日の早朝に読了)

⑰ もうひとつだけ
ショート版もオリジナル版もそれぞれのまぬけさがありおもしろい。カーヴァーは(もしくはリッシュは)この話にどのような意味づけを行い、さらにはラストにもってきたのかを考えるとそれもまたおもしろい。けっこう短い話。訳者による解題(全文)は次のとおり(以下、引用)。
 再び登場する情けない男の情けない話。読んでいてうんざりして、読み終わったらあとで思わず笑ってしまう。いかにもカーヴァーらしい勢いのある一筆描きだが、内容にさして新味はない。

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