滝への新しい小径

【書籍紹介(出版社Webより)】
人生に残された時間はわずか。小説の執筆を諦め、詩作を選び、心血を注いで刻みつけた命の終わりの鮮烈な輝き--。一人の真摯な創作者レイモンド・カーヴァーの遺作となった詩集。


好きなのを3つ、転載します。


ワールド・ブック・セールスマン

彼は会話を聖なるものと考えている。
それはもう死にゆく芸術なのに。微笑みを浮かべつつ
かわりばんこに、彼の一部は今日であり
一部は大総統である。その
タイミングがコツだ。
ひらべったいブリーフケースからは
全世界の地図が出てくる
         砂漠やら、大洋やら
写真やら、図版やら-
そういうものがみんなそこに入っております。求めさえ
すれば……そこでドアが
さっと開いたり、ちらっと開いたり
あるいはぴしゃっと閉められたりする。
毎夜、空っぽの
部屋の中で、彼は一人で食事をし、
テレビを見て、新聞を
読む。指先に生まれそこで終わる
渇望とともに。
神はなく、
会話というのは死にゆく芸術である。


ワイン

アレクサンドロス大王の伝記を読むと、アレクサンドロスの
父親である厳しいフィリッポスは、その若き後継者たる戦士に
一層の磨きをかけるべく、アリストテレスを教育係として
招聘したということである。後年になってアレクサンドロスは
ペルシャ遠征の折に、ビロード貼りの箱に入れた
『イリアス』を一冊携えていった。彼はその本を深く愛した
のである。彼は戦闘と酒をも、また同じく愛した。
私はアレクサンドロスの生涯について読み進んで、彼が
夜通しワインを痛飲したのちに(こいつは最悪の飲酒だー
二日酔いが誠におぞましい)、ペルシャ帝国の都ペルセポリスを
(それはアレクサンドロスの時代にあってさえ古都というべきものだった)
焼き払うことになる最初の松明を投じた、という箇所まで来た。
それを跡形なきまでに破壊したのだ。もちろんそのあと、
夜が明けて-おそらくまだ火が燃えさかっているうちからだろう-彼は
そのことを深く後悔した。しかしそれも翌日の夜に
感じることになった後悔の念に比べればなんでもないこと。ちょっとした
口論の雲行きがおかしくなり、傲れる
アレクサンドロスは、度を越した生のワインに顔を赤らませ、
     すっくと立ち、
傍らにあった槍を手に取って、朋友のクレイトスにずぶりと突き立てた。
グラニコスの戦いで彼の命を救ってくれたその男の胸に。

三日間、アレクサンドロスは後悔の淵に沈んだ。啜り泣き、食べることを
拒否した。「肉体的欲求に関わる一切を拒んだ」もうワインは永遠に
口にはしないとさえ誓いを立てた。
(酒についてそのような約束や、それに伴う悲嘆の声を私は何度も耳にしたことがある)
いうまでもなく、アレクサンドロスがそのような哀しみに浸りきって
いるうちは、兵士たちの生活はすっかりお休みになっていたわけだ。
でもその三日目が終わろうとする頃には、猛烈な暑さが
その友人の死体に当然の効果を及ぼしていった。
このまま放置しておくことはできませんと部下たちは言った。はっと我に戻り、
野営天幕を出ると、彼はホメロスの書を取り出してひもとき、そのページを
繰った。そしてようやく命令を与えた。そこに記述されている
パトロクロスのための葬儀を、一字一句そのままに躊躇すべしと。
彼はクレイトスのために可能なかぎり盛大な葬式を出してやりたかったのだ。
そして薪に火がつけられ、通夜のワインの碗が彼のもとにまわされたときに
何が起こったかって? そんなことあえて言うまでも
ないでしょう。彼は思い切り飲んだくれ、酔いつぶれて
しまったのだ。部下たちは彼を担いでテントまで運び、そして
持ちあげてベッドに放り込まねばならなかった。


いらない

テーブルに空席が見える。
誰の席だ? 決まってるよね。つまらないことは言うまい。
船が待っている。オールもいらないし、
風もいらない。キイはいつものところに
置いてきたよ。どこだかわかるよね?
僕のこと、僕らが一緒にやったこと、みんな覚えていてくれ。
さあ、強く抱きしめてくれ。そうだよ、唇にしっかりと
キスしてくれ。さあ、僕はもうそろそろ
行かなくちゃ。もう出ていく時間だ。
この世では、僕らはもう二度と会うことはない。
だから、さよならのキスをしよう。
もう一回。それでいいよ。それでもう十分。
さあ、僕はもうほんとうに行かなくては。
旅路に向かうときがやってきたんだよ。

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