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名ジョッキーの蛯名騎手が引退。ダービーを獲らせてあげたかった。それでも夢は終わらない。

JRAで通算2541勝の名ジョッキー、蛯名正義騎手(51)が引退した。この勝ち星は歴代4位の多さ。GⅠレースも26勝と歴史に残るレジェンドである。その大物騎手をもってしても勝ち取れなかった日本ダービーの栄冠。どうしても獲らせてあげたかった。

1996年、秋の天皇賞。東京競馬場で、蛯名騎手鞍上のバブルガムフェローが優勝した。その瞬間を目撃した私は、彼はゆくゆくはダービージョッキーとなるだろうと思った。

このレースは蛯名騎手が騎手生活10年目にして初めてGⅠを獲得したものだった。バブルガムフェローは4歳(現在の3歳)。これまで4歳馬が秋の天皇賞を勝つことはなかった。このレースは、まさに快挙を成し遂げた瞬間だった。

その後も着々と実績を積み上げて、ダービーの挑戦も積み重ねていった。2012年には、フェノーメノで、鼻差の2着。ほんのわずかな差で、戴冠を逃した。

2年後には、皐月賞をイズラボニータで優勝。1番人気でダービーを迎えた。自らの実績、馬との相性などなど、すべてのお膳立てが整っているように見えた。

レースは序盤から好位につけて、抜群の態勢だった。あとは直線で一気に加速するだけ。しかし、ワンアンドオンリーとの競り合いに。最後は4分の3馬身差、後塵を拝する結果となった。

最終的に、蛯名騎手は25回挑戦して、2着2回が最高成績だった。同期のライバルだった武豊騎手が5度制覇していることを思うと、蛯名騎手にも一度は勝ってほしかったと思うのだ。

かの有名な英国の首相だったウィンストン・チャーチルは「ダービー馬の馬主になることは一国の宰相になるより難しい」と語ったという。

それは、馬主だけでなく、ジョッキーについても言えるような気がする。

引退後は、騎手から調教師に転身する。「競馬の祭典」で頂点に達する悲願は、ぜひとも自分の管理する馬で成し遂げてほしい。

蛯名さん、あなたの夢は、まだまだ続く。


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