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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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#抗がん剤治療

『ほう』

「ほう」と感心してみましょう。 何ごとも「ほう」から始めてみましょう。「ほう」には含みが持たせてあります。一例をあげましょう。「ほう」と言いながら、その間に脳をフル回転させて見ましょう。二の句が出てこない時の時間稼ぎの「ほう」です。そのわずかな時間で失言も防げるでしょう。 また、よりよい対人関係づくりの為の一歩だと思って、毎日トーンを変えて「ほう」の練習を心掛けてみましょう。リラックスして反響する風呂場がいいのではないでしょうか。そこから、メロディーが出てきたら儲けものです。

『4クール。98日目』

24時間前にできあがった無調整牛乳で発酵させたヨーグルトは、牛乳感が消えていた。私の好きな酸味風味のさっぱりに傾いていた。24時間の経過がそうさせたのか。一日寝かせると、こうも違うのか。驚いた。 パックの底に『酸味さっぱり風味』が残り易いのか。若しくは、もっとしっかり混ぜないといけないのか。謎は深まる。すると、私の手が牛乳パックの口にあたり、雑菌の侵入を許しそうで怖い。 結局、1リッターのパックを24時間で平らげた。『腹下り』もない。上々のすべり出しだ。 続いての、『森永

『4クール。97日目』

ヨーグルトメーカーを買った。これで、ヨーグルトの大量買いをしなくてすむ。もともと牛乳嫌いの私にはヨーグルトでも、牛乳感が濃厚なものは食べられない。それは、ソフトクリームにも言える。チョコレートのソフトクリームでも『濃厚』は控えている。『さっぱり』と表記していないと手をだしずらい。 私は、アイスミルクよりも、ラクトアイスを選ぶ。大抵の乳製品は安価であるほど、私の口に合う。この国は『濃厚』が幅をきかせ過ぎている。乳製品に限った事ではない。『さっぱり派』の私は追い込まれている。

4クール。96日目。

真夏日ではない。猛暑日だ。公園の木陰は程よい東風に吹かれていた。私の実感としては、それほど暑くはない。私はどうやら暑さには強い。『真夏の腹巻き』は日常だ。当然、今日も巻いている。 それと、梅雨の遅れは洗濯物の生乾き臭から私を解放させてくれる。あの臭いに私は耐えられない。概ね、猛暑を私は歡迎する。水不足にならなければ。 猛暑日の散歩も悪くない。ぐっと人が減っている。私の半径50mに人はいない。散歩を元気づけてくれる花も良い。なんの花だか知らないけれど。 私が暑さに強い要因の

『4クール。95日目』

95日か。 1995年に私は東京にいた。私は当時高円寺に住んでいたのだ。深夜のコンビニのバイトで生計を立てて、そのコンビニのとなりのとなりあたりに、道場があった。その道場から深夜に買い物客が訪れる事もあった。その客は頭にヘッドギアをつけていた。防具ではない。チャクラを開くためのヘッドギアだったのだろう。「あんまんください」、客の言葉は丁寧だった。 ほどなくして、地下鉄サリン事件が起こった。 私はコンビニのバイト終わりに映画を観に行く事があった。場所は渋谷だった。地下鉄で行く

『4クール。94日目』

昨日、ジョン・フルシアンテがレッチリに戻ってきている事を知った。 いつの間にだ。音楽雑誌を隅から隅まで読んでいた、かつての私が懐かしい。情報社会から勝手に取り残されている。もう、数年前から復帰していたとは。アルバムも出していたとは。「最近のレッチリ、また、いいな」とは思っていた。私の耳は健在なようだ。それでいい。 レールから外れて、情報社会のバスから蹴り落とされて、なんのこそ。 『スロウライダー』である事こそが、私が愛する自由と現実と少しの事情だ。ニュース系のアプリはスマホ

『4クール。93日目』

私は根っからの『痔主』だ。 『腹下り』から『腹止まり』に傾いた私の便は、いま、キレ痔を誘発している。シャワートイレがまことに染みる。しかし、免疫力のおちた身体にはシャワートイレは欠かせないものだ。尻からの細菌の侵入を防がなくてはならない。 私の腹から肛門にかけては、生まれつき軟弱にデザインされていたのだろう。神仏のせいだ。点滴の副作用で『腹止まり』に傾いたときに、「パかっ」と、肛門が割れた。これで一気に『腹下り』になると『腹腹地獄下り』になるのだ。それは、まだ、やってきてい

『4クール目。91日』

穏やかな日日がつづいている。 長い休薬期間を取ったおかげなのか。順調だ。曇天からもたらされる風も気持ちが良い。世間は日曜日だ。今の私には曜日はない。曜日を見失って生きている。 少しの運動と、文章と、音楽と、植物と、散歩と、バイク。充実している。 喧噪から距離を置いた生活だ。大人として、本当はいけない。あまりにも、堂々と『がんかわいがり』を満喫してしまっている。「どうだ。私は病人だ。文句があるのか」、そんな、ふうだ。 どくだみの収穫は早起きした両親が、もう、終えていた。庭に

『4クール目。90日』

抗がん剤治療の副作用により、私の愛がひらたく全世界に等価されて開かれて久しい。たとえば、植物愛だ。二階のベランダのゴーヤカーテンが待ち遠しい。もう、10cmくらいの実がひとつ成っている。日毎に成長が著しい。二階のベランダまでは、蝶も来ない。自分で受粉してみた。一番成りの実は5cmくらいで成長が止まったようだったので、ふきみそをつけて生で食べた。私の『甘加減』は、おかしい。 私の植物愛が開花してから、ローズマリー、ラベンダー、タイム、ペパーミント、ゴーヤ、ワイルドストロベリー

森林浴。これが、田舎のがん患者の良さだろう。都会ではこうはいかない。しかし、先端医療からは多少遠ざかるのかも知れない。私には、バイクと森林浴が必要なのだ。

『4クール。89日目』

今日は、ゆったり散歩でもしようとおもっていた。 天気は下り坂らしい。アレクサは、そう言っている。アレクサは天気予報をよく外す。けれど、少々、私はふらふらしている。『ドクブスブドウ酒』のせいかも。量をふやしたからかな。それにくわえて眠剤もあるのだ。昨夜は眠剤を服用して、バタンキューであった。 私は気圧の変化にも弱い。いざという時の為に各種、頭痛薬を持っている。 今日は一日『シャン』とは程遠い、『ぐずんだらん』で過ごす事になるだろう。抗がん剤が効いてきたのかも知れない。がん細胞

『4クール。88』

88日目だ。スピッツの『8823』を語る良い機会だ。 私はスピッツの8823を名曲だと思っている。歌詞の一節、「くずといわれてもわらう」は、なんだか私にピッタリなのだ。こうありたいと思っていた。そんな曲なのだ。いま、振り返ってアルバムを聴いている。8823というアルバムはスピッツのなかでは、ロックに振ったほうだ。とても良かった。 スピッツの全盛期はいつなのか。音楽の専門家でも悩むのではないか、2024年になっても、このバンドのクオリティーはおちていない。名曲もあふれている。

『ドクブスパワー』にすがっている。一般には野ブドウ。父の故郷ではブスブドウ。母の故郷ではドクブドウ。だから『ドクブスパワー』と呼んでいる。差別、ハラスメントではない。そういうものなのだ。野パワーでは味気がない。『ドクブスパワー』の方が効きそうでしょう。民間療法とはそういうものだ。

『4クール。87日目』

がん患者はそれぞれの道なき道をゆく。 大げさに聞こえるかも知れない。けれど、まったく、このとおりだ。 暗やみのなかを、手探りで歩く。そんなものだ。余命や、治癒する可能性。手術をする?しない?。『がんかわいがり』の副作用も様々だ。私は『腹下り』、あの者は『吐き気』、この者は『かゆみ』、『しびれ』。女性にとっては『黒ずみ』『染み』も嫌だろう。私も嫌だ。病院の化学療法センターでは『脱毛』の者は見かけない。大体、私が最年少くらいの患者だった。昨日は私より年少の者もいた。めずらしい。