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死の恐怖を取りのぞく-死とは-

仏教の開祖


今から約2500年前のインドのルンビニーという地域で、仏教の開祖であるお釈迦さまがご生誕され、80歳という生涯を終えました。

お釈迦さまは、小説などで紹介される抽象的な存在ではなく、我々と同じように肉体を持った人間でした。

当時の名前は、ゴータマ・シッダルタという名で、ひとつの国の王子として生まれ育てられました。

お釈迦さま(シッダルタ)は、幼少期から聡明で物静かな子であった、と仏典(仏教の歴史書)で記されており、王族の子として、なに不自由ない生活を送っていたにも関わらず、その恵まれた環境に反して、彼の心は満たされることはありませんでした。

その心中が、おだやかではない背景には、変転常ない(常に変化している)世の中には、必ず【死】という悲しみがやってくる現実があり、それが幼きシッダルタの心を苦しめた原因となっておりました。

この【死】以外にも人間は生きているかぎり、さまざまな苦しみがあり、のちに仏教では《四苦八苦》という人間の根本的な苦しみの概念を「言葉」として要約しました。(以下、8つの苦しみ)

①生まれること(つねに、さまざまな問題がやってくる)
②老いること
③病気になること
④死ぬこと
⑤愛するものと別離すること
⑥怨み憎んでいるものに会うこと
⑦求めるものが得られないこと
⑧人間の肉体と精神が思うようにいかないこと

このように、シッダルタは、王子として恵まれた環境にいながらも、それとは対照的に思いどおりにならない現象に対して悩み苦しみ、悲観的になっておりました。

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出家


シッダルタが出家を志すに至る過程を説明する伝説に、《四門出遊》という故事があります。ある時、シッダルタは

・東門から出る時に老人に会い、
・南門より出る時に病人に会い、
・西門を出る時に死者に会い、
・そして北門から出た時に一人の沙門(修行者)に出会い、

この身には老いも病も死もある、と生の苦しみを感じた(四苦)あとに、

世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったと記されております。

つまり、シッダルタは王族として生まれながらも、人生の無常や苦を痛感し、この苦しみを取り除く真理を追求しようと志して《29歳》で出家します。

出家するさいには、我が子であるラーフラが産まれて間もない頃だったのですが、深夜にシッダルタは静かに王城を抜け出しました。

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修行時代①


シッダルタは出家後、当時のインドで著名な3人の師のもとで修行し、優れた資質を持っていたシッダルタは、若くして師父と同じ境地に達したが、これらは究極の境地として満足することはできず、真の悟りを得ることはできないと覚った。

この三人の師はシッダルタの素質を高く評価し、後継者にしたいと願ったが、シッダルタはこれらのすべては悟りを得る道ではないとして辞し、彼らのもとを去りました。


修行時代②


父のシュッドーダナは、シッダールタの警護も兼ねて五人の沙門(のちの五比丘)を同行させました。
仏典の内容では、出家した29歳から悟る35歳までの6年近くの期間で厳しい修行(苦行)をしたとされています。

その苦行は心身を極度に消耗するのみであり、シッダールタの身体は骨と皮のみとなり、やせ細った肉体となりました。


それでも、真理の答えは見つからず、極端に苦行をしても意味がないと判断し、王族の時の「楽」と、過酷な修行の「苦」の両極端を離れた中道(一方に偏らない生き方)を求める決断をしました。

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悟り(死を越える)

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