大野誠士
チャールズ・アイゼンシュタインの著書の翻訳を公開。社会や環境が危機に瀕している時に、個人として私たちは世界を良くするために何が出来るでしょうか?この本は、この危機の時代に、私たちの多くが感じているフラストレーション、麻痺や圧倒される感覚に立ち向かうための力強いメッセージを送ってくれます。それは私たちが忘れてしまっている真実を呼び覚まし、私たちには皆繋がりがあって、私たちの小さき個人的な選択は世界を変えるパワーを持っているという真実を思い出させるのです。今の世の中にはびこる分断ではなく、本来存在するありとあらゆるもののつながりを思い出し、それを生きることで私たちは世界に良き変化をもたらすことができるようになるのです。
自分の体験や感じていること
英語の小文や詩などを訳したものや、書き留めた言葉たちを集めたマガジン。
世界に起こっている変容・今起こっているパラダイムシフトについて触れた記事を集めたマガジン。
より美しい未来のために考え行動していくこと。それは難しいことではあるけれど、同時にそんなに難しいことでもないのかなとも思う。 危機の時代の最中、脱炭素やSDGsみたいな目標が掲げられるようになっている事実は歓迎するけれども、それらの言葉を聞いてもあまり心は震えはしないし、実際にどんな行動をすればいいのかも思い浮かびにくい。 むしろ、自分が生きていたい未来を思い浮かべることから明晰さと行動への力は湧いてくると信じている。身近なかけがえのない生命にあたたかな眼差しを注いでいる
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 世界の問題は悪であり、その解決策はそれを制圧することであるという共通の合意の下には、満たされていない自己承認への心理的なニーズが存在しています。私たちの政治的な議論の3分の2は、正しくありたいという欲求と善と一致していたいというニーズを満たすことに向かっています。もし私に反対する人が、愚かで、ナイーブで、いかさまで、邪悪であるから反対するのだとしたら、私は賢くて、利口で、独立心があり、善良でなければなりませ
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 敵を人間として扱うことは、まだ「憎しみの物語」の中で生きている仲間たちにとってはチャレンジなのかもしれません。彼らは新しい見方を軟弱さや裏切りとして解釈しているのかもしれません。「よくもまあ、あの人たちを許せたものだよね?」 平和に専心している退役軍人の友人は、彼の友人が他でもないディック・チェイニーの専属シェフを勤める機会があったという話をしてくれました。何百万人ものリベラルが、酷い人間で、無情で、不
心や直感に従って生きようとしていると、こちらに向かった方が良さそうだなとか、これはやったほうがいいやつだなという感覚につながれることがある。それが荒唐無稽なことだったり、それをやることの意味がまったくその時点ではわかっていないことなのだとしても。その感覚に寄り添いながら時の訪れと確信を待ち、実際に行動へとつなげていくことで、自分の想像を超えるような大きなうねりに迎え入れられることがある。その流れの中に身を任せていくことで、いるべき場所に適切なタイミングで自分がそこにいるとい
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 欠乏と苦闘の構造がいかに蔓延し、深く根づいているかを考えれば、私たちが自らの心理にその痕跡を持っているのも不思議ではありません。どのように私たちは自分自身を解放するのでしょう?それらの支配力はあまりにも強大で、私たちがどのようにトライしても、さらにそれらの支配力だけを強化してしまうリスクがあるのです。例えば、私が「どのように私たちは自分自身を解放するのでしょう?」と尋ねたとき、そうするためには何か大変な努力
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 それでは、アテンションが個人あるいは社会のレベルで痛みに働きかけるツールなのであれば、私たちはどのように快楽に働きかければいいのでしょうか?快楽とは、特に私たちがニーズを満たすことによって得られる気持ちだということを思い出してください。ニーズが強力であればあるほど、快楽はより大きくなります。この原則に従うには、まず私たちのニーズが妥当なものであり、美しくさえもあると受け入れることが大切です。そして、ニーズだ
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 では、これらの満たされていない欲求とは一体何なのでしょうか?どのようにこれらの欲求を発見して、満たすことができるのでしょうか?人間の基本的な欲求の多くが慢性的に、悲劇的なほどに満たされないままになっています。これらには、自分のギフトを表現し、意義ある仕事をしたいという欲求、愛し愛されたいという欲求、人に真剣に見てもらって聞いてもらいたいという欲求、他の人たちのことを見聞きしたいという欲求、自然とつながりたい
富士宮市で開催された「わたしに還るランチ会」に参加した昨日のこと。 手作りのアットホーム観があるCafe こばっちょのほんわり柔らか空間の中で、マクロビオテック講師の平戸育子さんによる地元の食材と健康バランスが意識された彩りのおいしいお料理をいただきながらの歓談。 節制する厳しさではなくて穏やかさとゆるさを持ち寄りながら、栄養あるお料理を調和的に身体に取り入れていって、自分が本来の「調和と自然」そのものに無理なく還っていくことができるという優しい知恵。 United 代
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 正しいことをするための正しいときとはいつなのでしょうか?誰もがその質問に答えるための公式を提案することはできないでしょう。というのも、行動と静止から成るフェーズのリズムは、それ独自の知性を持っているからです。私たちが波長を合わせれば、そのリズムを聴くことができます。その知覚のための器官は、強い望み、ワクワクのうずき、あるいは流れの感覚、正しさの感覚、一致の感覚なのです。それは生きているという感覚です。その
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 私たちのアテンションを最も必要としているのは、私たちが感じないようにしている部分です。その部分に気を配ったときに私たちは変化し、世界も私たちと共に変わるのです。 ーダン・エモンズ アクティブな原理としての「無為」を説明する例を、私自身の内なるモノローグから挙げることにします。ある朝、車を車検に出したのですが、当時妊娠中だった妻のステラに早起きして迎えに来てもらう代わりに、5、6マイル歩いて家まで帰りました
「うまとともにあゆむ、未来にむかって」を掲げるうまJAMの事業の一つである「うまとすごすプログラム」第一弾が形になったこのタイミングで、今回は日本森林療法協会の理事の方々を招いての体験会を静岡県富士宮市の特定非営利活動法人EPOにて開催致しました! 人、うま、自然の間で調和共鳴するつながりを育み、みんなでウェルビーイングを高めるという意図をプログラムに込めましたが、参加者の方々、ファシリテーターチーム、サポートしてくださったEPOのスタッフの方々、そして、うまたちにとっ
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 私たちが人生や世界で経験する問題(それが人間関係の問題や世界の飢餓であろうと)は、エネルギーの不足や断絶と、自分自身やお互い、地球、そして私たちを通して生命がどのように動き、進化しようとしているかを感じ取る能力の欠如から生じています。問題の核心は、行動するのかしないのかということや、「何かをする」ということなのではなく、何が実際に行動を起こさせるのか、ということなのです。 〜ダン・エモンズ 新しい物語に入
去年から少し関わらせていただいている「うまJAMプロジェクト」。ホースセラピーサポートブックPart 1〜3が出来上がりました。 うまJAM公式ホームページ(こちらも出来たばっかり) https://www.umajam.com/ 「ナチュラル・ホースマンシップ」の国内第一人者である持田宏之さんによる研修の見学も今回で2回目。分野は違えど、何事も達人の在り方からの学びはありがたいです。 十勝毎日新聞による持田さんの紹介記事。 https://kachimai.jp/ar
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 これらの不足の特色のすべては、私が呼び名を見つけることが出来ていない実存的な不足の一種であり、共通のルーツを持ち合わせています。それは存在の不足であり、「私は十分ではない」とか「人生は十分ではない」といった感覚です。それは宇宙の他の部分と相互存在する私たちの拡張された自己との分離から生まれ、その不足は私たちを決して休息させることがありません。それは私たちの疎外感、そして、生きてもいないし目的も持たない力と質
困難な時代が続いていて これからもしばらく続いていくからこそ 身近な日常にある光にしっかりと目を向けて 手のひらでそっと覆うようにしてそれを育みたい 自分の内側に柔らかな眼差しを向けて ささやかだけれども確かな光を宿す そして、手の届く範囲だけでも照らそうとする 同じような思いで光を灯そうとしている人たちが きっと世界中にいるであろうから 自らの明かりにしっかりと気を入れて 周りに灯った光と共に揺らめき 力を合わせていけばいい ありきたりの生活の中
本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 周囲で古い世界が壊れていっても、あるいは私たちがそれを嫌悪して離れていっても、私たちは依然としてその世界から条件付けられたことを携えているのです。私たちは古き「世界の物語」によって徹頭徹尾、植民地化されてきたのです。その論理のもとに生まれ、その世界観に同化し、その習慣に染まっているのです。そして、これらすべては広く行き渡り、ほとんど目に見えないほどなのです。ドゴン族の長老の言葉が示唆するように、私たちは危機