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未来のためにできること

より美しい未来のために考え行動していくこと。それは難しいことではあるけれど、同時にそんなに難しいことでもないのかなとも思う。


危機の時代の最中、脱炭素やSDGsみたいな目標が掲げられるようになっている事実は歓迎するけれども、それらの言葉を聞いてもあまり心は震えはしないし、実際にどんな行動をすればいいのかも思い浮かびにくい。


むしろ、自分が生きていたい未来を思い浮かべることから明晰さと行動への力は湧いてくると信じている。身近なかけがえのない生命にあたたかな眼差しを注いでいる人たちがあふれている社会。その情景をはっきりと思い浮かべることはできるし、それが私が多くの人たちと共に創っていきたい未来だ。


私たちはもう十分に学んだのだと思う。いかに産業が発展していたとしても、静かにゆっくりとした状態で過ごせる時間が失われた人生は貧しいということを。かつてないほどの量の情報や目を見張るものが世界に溢れ、私たちのアテンションが精査なくそれらに吸い込まれ続けていくと、愛する人たちや自分たちに安らぎをもたらす、あたたかな眼差しが溢れる社会は過去の遺物となりうるということを。


私たち人間に与えられている贈り物の一つはアテンションなのだと思う。私たちの現実は、私たちがどこに注意を向けるかによって創りあげられていく。自分たちが注意を向けることこそがより現実的に感じられ、自分たちが注意に向けるに値しないと判断した事柄の意味は失われていく。私たちが何かに注意を向けることで、その対象を知ることがはじまり、注意を向け続けることでその対象への理解とそこで生まれる関係性は深まっていく。その対象は近所の一本の木かもしれないし、一人の子供かもしれない。


注意を向けていくことで関係は深まり、それはより大切なものとなり、好意や愛情は育まれていく。人間は愛情を感じないものを守ろうとはしない。でもだからこそ、それぞれの場所で、それぞれの人が、質の込もったアテンションを注ぎはじめれば、無数の場所でかけがえのない関係性や環境が守られていくことになる。


本来の人間とは大切なものに質の込もったアテンションを注ぎ続けられる存在であると思うし、そんな温かな眼差しが行き交う社会の中でそう遠くない未来に生きていられることを願わずにはいられない。


未来のために立ち止まり、何が人生にとって本当に大切なのかを問い、あたたかな眼差しを注ぎはじめよう。




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