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道を極めるということ

 「守・破・離」という言葉があります。これは武道の世界では有名な話で、その道を極めていくのに必要な段階を表現したものです。
 私がこの考えを強く意識するようになったのは「弓道」の修練を通してですが、これは日常あらゆることに応用できる考え方だと思っています。

 まず、師匠につくことが必要です。

 「守」は師匠の教えを守ること。このフェーズでは信頼関係が重要で、とにかく師匠の教えを守ります。ちょっと違うかなと思うことがあっても、守ります。もしかしたらそれは、のちのち生きてくることかもしれないからです。この疑問をうまく消化するのにコツがいりますが、ここに師弟の信頼が試されます。師匠と決めたら、とにかく付き従うのです。もし取り返しがつかないほど大きく間違っていたら、どうしようもありませんが、そのときは自分の人を見る目がなかったと思って諦めましょう。師匠選びは自己責任です。

 「破」は師匠の教えを破ること。つまり教えられたことだけでなく、他の流派や自分なりの工夫を取り入れていくということです。「守」の期間に覚えた違和感を手掛かりに、「ちょっと違うかな」を師匠にぶつけていきます。無為に関係を悪くしてもいけませんから、直接ぶつけなくてもいいのですが、大切なのは教えられたことをただ守るだけでなく、自分が正しいと思う要素を取り入れていくという姿勢です。

 「離」は師匠から離れていくこと。守とも破とも違う次元で、師の道を背景にしながら自分自身の道を切り拓いていくということです。独自のものを組み上げていくのはこの段階です。弟子が師匠を超えられなければ、人類に未来はありません。模倣から始まる学習も、やがて過去にプラス1を重ね、新しい段階に発展していくべきです。一人前になったら、弟子は師匠のもとを離れ、自分自身の道を極めていくことになるのです。
 これらの過程を経て、弟子はいつしか師匠になり、新たな弟子を育てていきます。

 さて、貴方の周りをみてみましょう。

 いきなり「破」から始まる人はいませんか?

「離」から始めて自己満足している人はいませんか?

 或いは、いつまでも「守」を続けている人は、どうでしょうか。

 それでうまくいくはず、ありませんよね?

 先人の智慧というのは偉大です。ゼロから初めて1人の人間が出来ることなんて限られています。歴史は効率よく学び、身につけるべきです。
 自分の極めたい道の「師匠」に出会えたら幸運です。しかし直接会えなくても、今の時代には情報を得る手段がたくさんありますから、なにかを「師匠」と見定めて、「守」から始めてみるのも一興です。それは遠くの誰かかもしれませんし、過去の偉人かもしれません。一冊の本が師匠となることもあるでしょう。直接の指導に敵わずとも、言葉は時空を越えていくものですから。


 


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