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「ラ」の音のクオリア 【哲学入門】

 まだ私が医者になる前のことです。
 結果としては『誤診』でしたが、私には過去ある疾患の疑いをかけられ、様々な投薬治療を受けていた時期があります。およそ2年間、私は耐え難きを耐え、忍び難きを忍びました。

 薬には副作用があります。ひどく眠くなったり、全身に湿疹が出たこともありました。副作用で抑うつ気分が出ていたときは、線路に飛び込みそうになった瞬間に我にかえったこともあります。
 しかしながら副作用の中で、個人的に一番厭だったのは「音程の変化」です。

 その薬の内服を始めて数日も経たないうちに、私は違和感に気付きました。よく聴いていた楽曲の様子がおかしい。ちょうど半音ズレています。全ての音が、半音ずつ低く聴こえました。
 初めは疲れているのかと思い無視したものの、違和感は強くなるばかりでした。どの曲を聴いても半音だけ低い。人との会話も半音低い違和感が気持ち悪く、まるで違う人と話しているような感覚に陥りました。

 疑惑を深めていった私は、おそるおそるピアノを弾いてみます。その衝撃は今でも鮮明に憶えています。

「ラ」の音が「ラ♭」でした。

 こんなに気持ち悪いことはありません。信じていたものが足下から崩れ落ちるような、違う世界に迷い込んだような、兎に角ひどく不快でした。

 主治医にそのことを相談すると、「そんな副作用は聞いたことがない」と一蹴されましたが、「間違いない、絶対におかしい」と食い下がると、ようやく医薬品情報を詳細にみながら「あ…ありますね。頻度不明(報告が少なく稀)ですが」と言われました。続く「それくらいなら我慢してください」という発言に、私はどうにも気分が悪くなりました。薬疹が出て結局やめることにはなりましたが、その医者は信頼できないと思いました。(結局、そもそもの診断も『誤診』でしたから、やはり信頼できないという感想は正しかったのだと結論付けています。)

 内服を止めて数日すると、「ラ♭」だった「ラ」は「ラ」の音に戻りました。元の世界に帰ってきたようで、心底ほっとしたものです。

 私はこのとき、音でさえ、人と自分は違うように感じている可能性があることに気付きました。
 
 『クオリア』の問題です。

 クオリアとは、主観的に感じる「質感」のことで、「夕日の赤い感じ」や「シルクの布を触ったときのツルツルした感じ」を示します。例えば「黒のクオリア」といったら「●」コレです。
 このクオリアは、人によって感じ方が違う(であろう)というのが厄介で、同じ夕日を見ていても、貴方の視界の夕日と私の視界の夕日は違うかもしれない(でも同じかもしれない)という問題が生じます。

 音にも「クオリア」があるとされますが、先の私の経験は、音のクオリアも人によって異なる「主観的経験」であるという衝撃的で紛れもない事実でした。
 私は私という人間の枠の中で「ラの音のクオリアが変容する」という特別な経験をしたのです。

 これは絶望的なことです。
 この世界に「客観」なんてあるのか。
 無数の「主観」しかないんじゃあないか。
 すると確かなものなんて何ひとつ存在しない。
 原理的に分かり合えない世界で、
 いったい何を頼りにしたらいいのでしょうか。


 現状、相互理解の可能性をひとつ考えています。ひとつの「クオリア」を共感的に受容し、言葉を介さず一体となり、盛り上がる。 

そう、好きなアーティストのライブです。

B'zのライブ行きてぇ!!!



 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、一刻も早く世界情勢が安定し、皆が好きなアーティストのライブに行けますように。


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