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言葉にならない/『言語的キュビズム』のための習作

 高校1年の秋頃だったでしょうか。国語担当のE先生が授業中の雑談でぽつりと言いました。

「言葉にならない、なんて言葉があるけど、作家はそれを言葉にできちゃうんだからスゴイよな。でも本当に言葉にしていいのかって、俺は怖いときがあるよ。」

 全身で感じる実体験を100とすれば、伝えようと形を変えるほどにその分量は減っていきます。VR、4Dなんて技術もありますが、それだってまだ現実には届かない。映像や音声にすると、それ以外の情報が抜け落ちますね。言葉のみとなれば、ほとんどの情報は欠落していきます。まして「文字」だけ、しかも肉筆ではない電子上のデジタルな文字なんて、100のうちほんの僅かなものしか伝えられないんじゃあないかと、そんな感覚に陥ります。

 受け手は例えば2とか3まで減った情報から、100がどうであったかを想像する必要が出てきます。言葉で伝えることが上手い人や、優れた情景描写は、この2とか3が10や20かもしれません。それでも多くの余白にあった元の色は、受け手に委ねられることになります。

 正確に伝えようとするとき、あるいは自己理解のために思考や感情を言語化しようとするとき、大きく2つのアプローチがあると考えます。

 ひとつは言語を学び表現を訓練すること
 ひとつは言語化の回数を増やすこと

 言語学習により正確な言葉遣いを身につけ表現技法を習得していくことは、大前提です。学術雑誌などその最たるもので、言葉の定義には非常に厳しくあらねばなりません。基礎的な認識を共有し正しく言葉を使うことは、齟齬を予防する第一歩だからです。

 言語化の試行回数を増やすことは、表現の訓練の一環としてのみならず、同じテーマに異なる視点からの言語的アプローチを繰り返すことで、ひとつのモチーフに対して様々な視点から幾つも静物画を描くようなものです。1枚の絵では分からなかったモチーフの裏側、側面、俯瞰あるいは内部などが見えて来ると、主観的な分析および統合によって、そのモチーフの本質に近づいてきます。

 これを1枚の絵画で表現したものがピカソの創始した「キュビズム」です。

 すると言語にもキュビズムがあるんじゃないかという考えに至ります。モチーフに対する様々な視点をひとつの文章に表現する、しかもそれは短い文章ほど美しい。

 これを『言語的キュビズム』と命名します。

 造語です。既に似たようなことを考えている人もいるかもしれませんが、調べた限り同じような論調の文章は見つかりませんでしたので、便宜上命名いたしました。

 優れた小説は「キュビズム的」な要素を孕んでいる場合もあるように感じます。また感情表現としてのギャル語にはキュビズムの香りを感じることもあります。
 不完全な情報でも、回数を増やせば透かし彫りのように真実がみえてくるかもしれません。表現の手法として、思考実験の一種として、取り組んでみたいところです。


 さて、私の思考はどれくらい表現できたでしょうか。この文章自体は習作であって、とても言語的キュビズムとはいえない代物です。何を言っているか分からないかもしれないし、誤解を招くかもしれませんね。やはり言葉は不完全で、それゆえに美しいものだと感じます。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、言葉の魔力に魅せられた世界で、貴方が迷子になりませんように。


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#一人で美術館巡りをして幸せでした
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#海外行きてぇぇぇぇぇぇぇぇ
#滅 ☆コ口ナ

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