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善性への懐疑と中庸の考察

 道徳の授業が苦手でした。
 善悪の判断を要求して人としての道を説いたり、それを維持する状態を徳と定義して教えたり。小学生の頃に受けた道徳の授業は、思考や対話よりも「かくあるべき」を目指す「答えのある世界」でした。
 善は良いもので、悪は悪いものだと、ある種の勧善懲悪な雰囲気の漂うその時間を、薄気味悪く過ごしていたことを思い出します。

 目まぐるしく変化する世界情勢ですが、特にこの数年の変遷は非常に大きいように感じます。従来の価値観が瓦解するような事件、低迷する景気と社会不安、先行き不透明な情勢に度重なる厄災。

 自然界に共通する「生き抜くこと」を生命の原則と捉えるならば、善性のみで生き抜くことは大きな困難を伴うように感じます。そもそも善と悪の尺度など人間社会の決めた規則ですが、その規則の中にあっても不遇な目に遭うのは善なる人たちであることが多いように見えるのです。規則違反にギリギリならないところを攻めて美味い汁を吸うような人たちが得をする世界です。時に道から逸脱しようとも、見つからなければ責任を問われることはない。腐敗した政治界や経済界の中枢に、善性が多いようには見えやしないのが現実です。

 善とは何か。

 未だ明確な答えには到達せず、定義するのも困難です。そもそも善なんてものが存在するのか。それは常に相対的なものじゃあなかろうか。加速する思考は迷宮に吸い込まれていきます。善と悪の二元論こそ根源的な問題ではなかろうかと、そういう視点も生まれます。立場が変われば価値観も変わりましょう。人間の幸せとライオンの幸せはきっと異なります。一切衆生の目的地は何処にあるのでしょうか。

 ひとまず定義は一般的なものを採用するとして、「善のイデア」を前提に話を進めます。性善説と性悪説はどうでしょう。様々な立場はありますが、この数年で私の思考は変わりました。ルールがなければ暴走する人間性を根拠に、元々はどちらかというと性悪説の立場にありましたが、子どもが生まれ、誕生の瞬間から身近に約3年を見ている限り、性善でも性悪でもないというのが率直な感想です。第二子を見ていても同様の感想で、僅か子ども二人の観察ではありますが、机上の仮説よりも現実に即しているように思います。
 多くの事柄が遺伝と環境の半々で論じられる昨今ですが、善悪に関しても大いに影響はありましょう。善も悪もないものを、どうにか当てはめようとすると、善の方向も悪の方向もグレースケールであることに気付きます。その尺度も人間の(この場合には私自身の)定めたものであって、異文化圏を貫いて現在過去未来に通用するような絶対的なものではありません。

 善とは何か。

 メンバーシップ設立に至り目的地に掲げたのは「善と徳」で、それは未だ見ぬ理想の幻影です。その言葉の意味を模索し、目指すべき場所を明確にしていくこと自体、当メンバーシップの目的のひとつです。

 混乱を極める時代に、道を開拓していきたい。

 善も悪も超越したところに、何かあるように感じます。

 道を探究する過程でも重要なのはバランスでしょう。
 それは中庸、或いは中道の領域です。

 偏りは危険性を孕みます。同じ方向に傾いたベクトルは積み重なると加速して歯止めが効かなくなるものです。それは例えば(主観的)正義の暴走の結果として発生する闘争にみられる構図です。二元論よりも陰陽論的に解釈するならば、善も悪も必要で、善の中にも悪があり、悪の中にも善があるはずです。エコーチェンバー現象を防ぐためにも、色々な人がいた方が良いのです。

 さて、交流の場は如何ですか。

 扉にこんな文言を添えて、お待ちいたします。

どなたもどうかお入りください。
決してご遠慮はありません。

コレ入店しちゃダメなやつ


 散文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の人間性が外的な尺度に蝕まれることなく存分に発揮できますように。


#宮沢賢治リスペクト #注文の多い料理店
#答えが出なくても考える #できれば交流を保ち対話を試みる #それは #未来のためにできること
#真夜中の思考の渦を #再現してみた
#散らかった文章の着地点を無理矢理 #つくってみた #らただの宣伝になってしまった
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