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白紙を前にすると思考が止まる話

 何か書こうとして、目の前に白紙があると、ちょっとどうしていいかわからなくなります。今ふと書き始めてみたのは、この白紙をとにかく埋めたい衝動に駆られたためです。
 思えば小学1年生の夏休みの宿題の「絵日記」で、たった1日分描けば良かった「絵」と「文章」のための空欄を前にしたときに、私の恐怖症は始まりました。

 なにもかけない。
 小学校にあがって様々な「正解」を目指す数ヶ月を経て、しかし私は絵の描き方を忘れてしまっていました。就学前にはもちろん描いていたはずですが、どうにも何を書いたものか、その真っ白な紙を前に思考が止まります。
 プールに行った時のことを書こうかと鉛筆を握りましたが、最初の一文字が、あるいは絵の描き始めが、とてつもなく高い障壁に感じられました。

 白い紙の前で鉛筆を片手に固まっている私をみかねた父が、押入れから色褪せた絵日記を取り出しました。それは父が小学生の頃につけていた絵日記です。結婚したときの父の荷物は段ボールひとつ分だけだったといいますから、ミニマリストの父が段ボールひとつ分のスペースに保管していた、大切な思い出の品でしょう。

 昔の父の文字や絵は、とても印象的でした。楽しいような、寂しいような、不思議な雰囲気がそこにはありました。こうやって書けば良いのかもしれないと、私の心は幾らか楽になりました。

 勇気を出して再び白紙に向かいます。父の絵日記を思い出しながら、自分の言葉で文を書いていきます。どうにか書けて、次いで絵を描きました。どんな絵を描いたのか、今でも鮮明に憶えています。小学1年生には似つかわしくない、極めて小さく描かれた人間と広大なプールのイメージでした。私がどうにか宿題を乗り越えたと少しほっとしていたところに、

 激怒したのは母親です。

 今振り返っても全く意味が分かりませんが、そのとき私はひどく怒られました。「こんな絵は小学1年生らしくない」だとか、「これを先生にみせるつもりか」とか、終いには「あなた(父親)が変なものを見せるから、この子が変な絵を描いたんだ!」とか、そんな罵声が古い木造の家屋に響きました。

 私が何よりも悲しかったのは、父の宝物が平然とバカにされたことでした。段ボールひとつ分の人生に大切に仕舞われていた絵日記です。
 どうしてそんなひどいことを言えるのか、私には理解出来ませんでした。
 続く父と母の激しい口論は、私の心に傷を残すのに十分な出来事でした。それは強烈なマイナスイメージとなって私を縛ります。


 その「呪い」は未だ解けていません。

 しかし「白紙に対する恐怖症」と気づくと、対処法が見えてきます。白紙でなくなれば恐怖も薄れます。脳内に書くものが浮かんでから、ページを開いて直ちに書き始めることで、ある程度は恐怖と対峙できるようになりました。

 ああ、いつのまにかここも白紙ではなくなりましたね。
 私は今、深く安堵しています。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の価値観が誰かの価値観に傷付けられることのない、優しい世界になりますように。


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