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 【雑文】その時は、幸せではなく健闘を祈ってくれ。

郷里の生家で年を越した。昨年の12月20日から帰省していて、今年の1月9日まで滞在予定。 

格安飛行機のチケットを予約しようとした時、年末年始周辺は料金が高かったので、なるべく安い日をポチった結果、こうなった。特に12月30日は、穴みたいにそこだけポカンと激安だった。この期間で帰省すると母に電話で伝えた時、「じゃあ、ほぼ一ヶ月おるじゃん。引っ越してくるみたいなもんじゃね」と驚かれ、初めて「あ、ほんまじゃ」と自分でも驚いた。月を跨いでいたものだから、20日~翌9日が、ひと月の三分の二もの日数になることに気づいてなかった(数字に弱い……)。

当然のようにノートPCで仕事をしているが、生家で暖房がある場所は1階のリビングだけ。リビングは台所と蛇腹カーテンの仕切り一つで繋がっている。で、母が朝と昼は台所のラジオ、夜はリビングのTVをたいがい、つけっぱなしにしている。

私は電子機器を通した人の声がする場で作業することが苦手だ。圧倒的に気が散って、自分の手が何をやっていのるかがわからなくなる。周囲に物音があるのがダメ、ということではない。喫茶店や、他の人もいるオフィスで、作業中に生声のお喋りが聴こえるのは、まったく平気。おそらく、周囲の生声会話はベクトルが話し相手に向けらえれているから自分にはぶつからないが、ラジオやTVからの声は聴取者・視聴者という不特定多数に向けられているからベクトルが散っていて、なんというか、手当たり次第に放たれるBB弾が時々こっちにもぶち当たってきて、いちいち「んあっ」てなっちゃうような感じなんだと思う。

自然な生活音だけの場所で作業したい。

この冬はあまり寒くないから、寝室にさせてもらっている2階の部屋で作業しても、まったく支障はないのだが。そもそも、私はちょっと肌寒いくらいをちょうどよく感じるたちで、千葉の自宅でも毎年、ワンシーズン数えても両手からちょっと余る程度の回数しか暖房をつけていないし、この冬も、特い気温が低めだった朝に一、二回つけただけなのだが。「上で作業するね」とPC抱えて2階に上がろうとすると、「寒いからここに居なさい。二人も一人も暖房代は一緒なんだから。気を遣うことないんよ」と言われ、上がらせてもらえない。

気を遣ってんのとちゃうし。暖を取る人数が減った分、暖房費が下がるわけじゃないとか、いくら私が数字弱くても知ってるし。

ドラッグストアで耳栓を買ってくることも考えたけど、私が耳栓なんかして作業し始めたら、母をシャットアウトしているように受け取られて傷つけてしまいそうで、出来ない。

どうしても集中したい時には「ラジオ切ってええ?」と頼むけど。母は一度も拒絶したことはなくて、「ええよ。どうせ大したこと言ってないし」と、切ってくれるけど。どうも、ここ数日は、はなからラジオをつけないでいてくれる時間が増えた気もするけど。

いや、それ、こっちが気を遣わせてるやん?

父が2022年10月に他界し、一人暮らしになってから、母の気持ちが欝々している様子が電話からも伝わってくるので、私はここ数ヶ月間、できる限り時間作ってまめに帰省することにしている。今後も続けるつもりだ。可能な限り月イチ、難しければ隔月で。母は、あまり濃密な人間関係を築きたがらない性分なのか、「しんどい。寂しい。体が辛い」など、近所のお友達相手に気軽に愚痴を吐き出すこともあまりないようなので、気の置けない娘が傍に居る時間があったら、多少は気が楽になるんじゃないかと思って。

それだのに、私が居ることで気を遣わせてしまったら、なんか本末転倒やん?

「ラジオはどうせ大したこと言ってない」というのは本音なのかもしれないけど、それでも私が居なかったら、毎日つけてたんでしょ? それをわざわざ消すってのは、母の生活において自然ではないことでしょ? 78歳のお婆さんの日常に不自然を投入するって、危険を伴いかねない行為なんちゃうか? って、思うんだよ。

で、夜の時間は高い集中を必要としない作業だけをすることにしてTVの音は甘受し、ラジオが鳴っている時間は「ちょっと珈琲飲みたいから『やまねこ』行ってくる」と、ノートPCを近所の喫茶店に作業しに行くのが、いまのところ一番の対策なのだけど。

それもあんまり頻繁だと、「この子はうちと一緒に居るんが気づまりなんかね? 仕事が捗らんのかね?」って心配されそうじゃん?(もしくは、私がやまねこのマスターに惚れてるのでは、と勘繰って偵察に来る)

なんたって、私のあとに風呂入ろうと脱衣場で服を脱ぎかけてから半裸状態で出て来て、「あんたが風呂上りに何も羽織ってない気がしたけぇ、気になって出て来たわ」って、カーディガン渡してくるような母だよ? 私が幼馴染とお茶して日が落ちてから帰宅したら、「遅くて心配した」って言う母だよ? あと2年で半世紀生きることになる娘に、だよ?

そもそも、私が寝てる時と食事・入浴、夕食の支度(昼食は母担当)、母に付き合って家の用事をしている時以外は、ほぼ読書・PC作業・紙に書き物をしていて、何もせずヌボーッとしている時間がない、ということ自体がワーカホリックに見えて母の心配の種になってしまっているようで。「やめろ」とまでは言わないけど、「何をそんなやることあるん?」「休んどるん?」「そんなにやらんといけんのん?」と、かなり気にして来る。いや、PC作業の半分以上は仕事じゃなくてシナリオだよ。本も自分が読みたくて読んでるんだよ。やらないといけないからじゃなくて、好きでやってんだよ。好きなことやってる時間って、ほぼ休んでるのと同義だから、大丈夫なんだよ!

シナリオを共作している仲間と年末にオンライン会議をしていたのを聞かれた時も(イヤホン付けていたので私の声しか母には聞こえていない)、後で「どういう相手なん? あなたずいぶん支配されとるようじゃったけど?」と訊かれて、ちょっと引いた。なんなん!? 誰かと敬語で喋っとっただけで、支配されとるみたいに見えてしまうほど、あんたの娘は普段、人さまに対して横柄な物言いをしとるんかい!? て。

でも、人間が二人、一つ屋根の下に暮らすんだったら、こんなこといちいち気にしてたらやってられないから、「勝手に心配してなさい、勝手に気を遣ってなさい」というスタンスが正解なのかな、とも思ったり。

そういえば、前に人生の先輩と話していた時、「お母さんを千葉の家に引き取ろうと思ったりしないの?」と訊かれ、「母は私が暗くなってから帰ってきたらいちいち心配するし、寝ないで待ってる。私は都内で会食とかあったら普通にてっぺん超えて帰宅したりするから、同居なんて無理」と応えたら、「大丈夫大丈夫。そんなの暮らしてるうちに向こうも慣れるわよー」と返され、「そうか、相手さんに慣れてもらうという道があるのか!」と、目から鱗が落ちたことを思い出した。

結婚している人は、きっとそういう「一人で暮らしている時には100%自分の思うように行動できていたのに、お互いの存在によって、ある程度、物理的・心理的制約が生じるけど、まぁそれはお互い様だから、慣れるし慣れてね」っていう流れを、幾つも幾つも、当たり前のように重ねているんだろうな。のように、じゃなくて、実際、当たり前なんだろうな。知らんけど。

18歳で親元を出て以来、弟が同居してた数年間を除き、ほぼほぼ一人で暮らしてきた私は、他者との同空間共存の中でそういう、慣れ? 割り切り? 妥協? 譲歩? に至る過程を、ほぼほぼ経験していない(弟とは、奇跡的なまでに不干渉で生活できていたし。ほんと彼のあの数年間の邪魔にならなさ加減は、今でも不思議だ。天賦の才か?)。

だからどうも、「人として成熟しきるための試練を、しれっとスルーし続けてしまっている」ような「裏口入学で大人大学に入った」ような、ちょびっと肩身の狭い気分が薄っすらついて回っている。特に、同世代かそれより下の既婚者と交流する時には。「すんません。私、わかったふうな口きいてるけど、家に帰れば好きな時に好きなだけ全裸でボリボリ、ケツ搔ける生活に安住している人間なんっす……」という。

そう。結婚って、幸せになるためにすることじゃなくて、一人で暮らしていたらお腹いっぱい味わえるはずのものが、あるていど目減りするという“不利益”をひっ被り、相手にもひっ被らせながら、それでも気分よく生きるコツを覚えるために、要は、試練を経て人として成熟するためにすることなのだと、思う。ほんとに。知らんけど。知らんけど、としか言えんけど。知らんから。

そんなようなことを考えているので。

いまのところ予定も願望もないけど、もしも私がいつか結婚することがあったとしたら、その時に掛けてもらう言葉は、「お幸せに」ではなくて、「健闘を祈る」とか「ご武運を」がいいな。

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……と、「結婚観を落としどころにしてやるぞ!」という目論見で書き始めたのですが、書き進めていくうちに、そんな大きな出口に繋げるような話じゃなかったことに気づきました。いまの私が、生家でなんかちょっとだけ、ままならない状況に陥っている原因。それってただただ単純に、私が、年末年始の里帰りにしては規格外に長い滞在期間を設定してしまったから。そして、その理由は、交通費をケチっただけじゃないか、ってことに。

2、3泊だと、迎えて送り出してとドタバタして、逆に母が疲れてしまうだろうから、4、5泊。そのくらいの旅程ならば私だって、仕事をセーブして、母とラジオの音声とたまにTVの音声と映像がある部屋で、のんべんだらりと過ごし、一回か二回はPCを抱えて『やまねこ』に行き、と、何の問題もなく過ごせるはず。でも、私は12月20日~1月9日の日程より旅程を狭めると出てしまう、1万円ちょっとの差額が、惜しかった。要は、お金の問題でした。以上。ひゃー、かっこ悪。

2024年はちゃんと、適切な旅程でこまめな帰省を続けるための潤沢な資金を用意できるように、がんばります。

あー、千葉の家の床下から石油沸いて出ないかなぁ……(3階だよ!)

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