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なんでファッションにこだわるのか

いつだったか、ある男性に
「なんで女子って赤リップつけんの?」
と聞かれたことがあった。
友人と「好きだから」とか「血色悪いから」とか言いつつ、「なんで?」と聞くと
「だって似合ってないじゃん」
と。その日隣にいた友人は赤い口紅をつけていて、私は紫の口紅をつけていた。

「そんなのお前に関係ないだろうが。」

思っただけで言わなかった。


ファッションが好きだ。
私の小さなこだわりなんて、世のファッション好きからしたら、まだまだなんだろうけど、程度を比べるものじゃない。好きってことが大事なんだ。
携帯用の靴磨きスポンジを持ち歩いたり、たった1つの顔面に対して5種類の化粧下地を使ったり、誰にも伝わらないこだわりの溢れた日々を送っている。そしてまだまだ欲しい。

なぜあのとき「そんなの私の勝手でしょ」と言わなかったのか。
たぶん、無自覚にナンセンスな発言をするこの人間の相手をわざわざするのが面倒だったからだ。私の好みが誰にも理解されなくとも、私が楽しければいいんだよ。さようなら、ナンセンス。


でも、

私が、たかがオンライン授業の一コマのために、わざわざ化粧して、髪を巻くのは、紫色の口紅を引くのは、それが

”私の好きなことだから”

”ファッションは自分のためのものだから”


ただそれだけだと、言いたかった。

残念ながら、それは違う。どうでもいい他人だから無視しようと努めただけで、本当はまあまあ腹が立っていた。よくもまあ簡単に人の”スキ”を踏みにじりやがったな。


同時に別の考えも沸いた。

”どんなにスキを貫いても、公的な視線からスキを完全に隔離することはできない”


ファッションは好きだ。でも完全に自分のためにやってるとは言えない。

ファッションと公の関わりとして簡単に思いつくものをいくつか挙げるとTPOに合う服装をすることや、学校で指定の制服を着ること、更には就活をする際の黒無地のスーツなどが考えられる。

しかしここで私が言う”公的”は、かなり広い意味をとる。

学校で集団から浮かないような恰好を心掛けたり、恋人の好きそうなメイクやファッションでデートに出かけたりすること。私の場合は”高身長で大人っぽい人間”に似合いそうな服を着ることも、私以外の誰かの目線を気にしてのこと(=公的)だ。

私は”似合う服”を自然と選んでいる。はっきりと不快に感じた覚えがなくても、間違いなく他人との関わりのなかで、公的な視線の影響を緩やかに受け続け、自然と選ぶようになったのである。


例えば、

女の子なら、細くて、巨乳で、色白で、ムダ毛なんて一本も生えていない、そして可愛い。それが良い。
格好も突出して派手なものよりは、柔らかい雰囲気の、”フツー”な感じがいい。
メイクは、カラーメイクとか赤リップより、ナチュラルなブラウンメイクにコーラルピンクのリップ。

意識していなくても、こういう価値観の中で生活している人は多いはずだ。そうすると、自然とそれを選ぶようになったりする。誰にも何も言われなければ、どうでも良かったはずのものが、気になって仕方なくなる。


こういうことを書くと、「こういう男いますよね~」という返事をする人が一定数現れるが、これは必ずしも、男性が女性に対して向ける言動から読み取れるというわけではない


私は自分の顔が心底嫌いだった。
街中にあるガラス張りの建物や大きな鏡を全部割ってしまいたくなるほど嫌いだった。一方で、休みの日は気づいたらずっと鏡を見ていた。どうしてこんなに醜いんだろう。なんでこんな顔なんだろう。ずっとずっと見ていた。

私は苦しかったから、友人に相談したかった。
「ほんとブスつらいw」
「マジそれな~w」
それだけで良かった。本当にそれだけで良かった。

でも、私が何を言っても、
「でも二重だからいいじゃん」
「でも痩せてるからいいじゃん」
そう返されて、終わった。

休みの日にずっと鏡を見て泣きそうになっていても、二重だったら良いんですか。太ったと思われるのが嫌で、2か月に1回しか生理が来ないほど痩せた体でも本当に良いんですか(今はもう大丈夫です)。

彼女たちもきっと、公的な視線にさらされて苦しんでいる。
でも、ヒトと比べられて苦しんでいるあなたが、あなたと私を比べるのは良いんですか
心の底からそう思っていたけれど、彼女に悪意はない。むしろ苦しんでいる。だから何も言えなかった。

でもそんなこと、我慢した私のこと、ナンセンスたちは知らない。

そして、私の辛さを無下にせず受け止められるのは私だけだ。


「あなたはこういう人間だよね」


簡単にそう言われることがある。とても不快だ。私がどんなに幸せそうに見えても、真面目そうに見えても、マイペースに見えても、私は私。たった一つの言葉でカテゴライズしないで欲しい。
でもこれも、当の本人には一度も言えたことがないのだ。


こういうとき、私を助けてくれるコマーシャルがある。
3年ほど前に公開された、CHANELの香水のCMだ。

始めに”I AM(私は)”と表示され、それから映像の中にたくさんの言葉があふれる。
例えば、
”NIGHT(夜)”と”DAY(昼)”、”QUESTION(謎)”と”ANSWER(答え)”など、対となる意味をとる語が次々に表示されていく。

私はこのCMを、常に矛盾し一言では語れぬその良さを表現しているのではないかと思った。私自身の喜びや苦しみを受け止めてあげることの大切さを思い出したいときに、見ることにしている。

そして、矛盾する自分を愛するためにファッションを楽しんでいる。


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