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心臓が動くのを感じる時、普通は「生きている」感覚に引き寄せられるのだと思う。
我々の身体はキチンと脈を打ち、血が流れているのだと。
思いっきり走った後。
好きな人といる時。
ライブ会場の照明が落ちる瞬間。
血圧計がギュッと腕を締め付ける時。
オバケに出会ってしまった時。
ドキドキする。
生きている事を実感する。
ドキドキと動悸って関連した言葉なのかな。

うつ病の症状の一つに動悸がするというのがあって。
ただ寝転んでいるだけなのに心臓がバクバク言ってる。
不思議とこういうドキドキは「死」を感じる。
この動悸が原因で死ぬって感じじゃない。
だけど「死」との距離がこれまで生きてきた中でトップクラスに近い様に思う。

実は人生で冗談じゃなく死にかけた経験が一度だけある。
小学校の一年生の時のことだからうろ覚えではあるんだけど。
細菌性髄膜炎になったのだ。
まあなんか入院したなって事くらいしか覚えていない。
あとは病院のスリッパの履き心地の悪さとか。
後から大人に聞かされて何となくの詳細を知ったのだけど、まるで他人事の様だった。
5、6歳の子供じゃ生き死にの話なんてピンと来ないだろうな。
あの時は死を感じたりしたのだろうか。

親類との関係を絶っているので人の死というのを身近に経験した事があまり無い。
幸いな事に身近な人々に不幸も無いので本当に死ぬという事がどういう感覚なのか、死ぬ側は当然として、死なれる側の感覚も他人より薄いと思う。

昨年、赤い公園のギタリスト津野米咲が亡くなった。
自分がステージ上で目撃した人が亡くなるというのは初めての経験で、とても辛くなったのを覚えている。
あれだけ素晴らしい音楽を、歌を書いてきて、突然命を断つだなんて、未来を期待したこちらの身にもなって欲しいと我儘を思った。
どうして死ぬ必要があったのか、想像してもしょうがないけど納得がいかない。

生きていけば絶対的に死を目の当たりにしていく事になる。
それはこの世の理なので逃れ様がない。

うつという状態になってから、もしも自分が死んだら?なんて事が頭をよぎる事が増えた。
今日明日自ら命を絶とうとは思っていない。
大体、痛いのは嫌だ。
ただ、今自分が進んでいるルートの先には薄ぼんやりと自死の気配が見えるのだ。
動悸がする度にその気配の輪郭が濃くなっていく様で少しばかり戸惑っている。

こんな文章を書いてネットに上げる事自体、今までの俺なら洒落臭いと切り捨てたはずだ。
ただ、ドキュメンタリーとしてこのブログを続ける以上、思ってしまった事は事実で、言葉になりそうなら言葉にするのが目的だと、今書ける事を文字にした。

僕は死にましぇ〜んと叫んだって死ぬ時は死ぬ。
そういう事だと思う。

今日はここまで。

The Killers / Human

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