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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#33~塩尻デルタと駅そばの旅(1)【岐阜→美濃太田→多治見→塩尻】

 私は関西在住なので大阪から岐阜、名古屋あたりの東海道本線に乗ってもあまり旅をしているという感覚がない。新快速なんぞは毎回ほぼ寝ている始末で、今日もほぼ9割を寝たままで運搬され、いま肌寒い岐阜駅ホームに立っている。

 2023年12月10日(土)岐阜駅9時9分発の高山本線ディーゼルカーは小綺麗な高架ホームで既にそのエンジン音を響かせている。JR東海が10年少し前に製造したキハ25形という型式の2両編成で、座席がちょうど埋まるくらいの混み具合である。岐阜から下呂温泉・高山を経て富山まで延びる高山本線は既乗なのだが、途中の美濃太田駅から中央本線の多治見駅までをバイパス的に繋ぐ太多線が未乗なので、この列車で美濃太田まで行かねばならない。
 関西から比較的近いJR東海管内の乗車率は96.23%で、この太多線と関西本線の名古屋~四日市間、武豊線の3路線が残っている。今回は前者2路線と東日本管内に属する塩尻のデルタ線を土日で攻略する予定としている。

 定刻に岐阜駅を発車した我がディーゼルはしばらく岐阜市街地を高架で走破し、やがて地上に下りてライバル名鉄の各務原線との並走を開始した。私鉄とJRが並走する区間は全国に多くあるが、ここほど距離が近いのは他にないのではないか。
 多くの並走区間は地図上では近く見えても実際にはある程度離れているのが常だが、ここは本当にすぐそこといったくらいの感覚で、それも岐阜駅~鵜沼駅(名鉄的には新岐阜駅~新鵜沼駅)の20キロという長さである。元々長距離輸送を目的として引かれた国鉄が先にあって、しかし駅間距離等から地元の足としては使いにくかったため、後から地元主導で民間鉄道が敷設された、という経緯があるらしい。鵜沼までの地元客は名鉄で、美濃太田以東はJRで、という住み分けが出来ているのであろう。

 乗客の多くが美濃太田以遠に行くのであろうか、途中駅での乗降はゼロに近い。近辺には大きな工場が多いが、土曜日ということを差し引いても通勤手段として機能しているとはとても思えない。各務原は航空自衛隊の基地があることで全国的に有名だが、車内からは木造のひなびた待合室と寂れたホームが見えるだけで賑わいは感じられない。
 鵜沼でようやく名鉄に別れを告げた高山本線はどこからともなく寄り添ってきた木曽川を新たな相棒として、一大観光地の日本ライン急流下りを見ながら走っていく。

 9時44分美濃太田駅着、3年前にここから福井県境に近い北濃駅まで延びる長良川鉄道に乗りに来たとき以来の訪問となる。乗り換え時間は中途半端な20分だったが、貧乏性な私は長良川鉄道の車両や駅舎、前回はちゃんと見れなかった留置線上の転車台等をバタバタと見てまわった。

 JRホームに戻ってしばらくすると太多線の多治見行鈍行が入ってきた。高山本線の途中駅である美濃太田と中央本線の多治見駅を結ぶ地味な路線で、なぜか「おおたせん」ではなく「たいたせん」という名称がついている。おおた、だと太田と混同されるからだろうか。
 営業キロ数は17.8キロ、途中に6駅が設けられているが、名鉄と交差する可児駅が少し賑やかなくらいで、大半は田園風景と若干の住宅地が入り混ざった中を淡々と走る。10時5分に美濃太田駅を出てから15分ほどで姫という名前の駅に着いたが、その優美な名称を活かした町おこしが行われているような感じはなかった。そういえば紀勢本線に存在する紀伊姫駅も何もない場所だった。智頭急行の恋山形駅や三陸鉄道の恋し浜駅は大いに奮戦しているので、町おこしにおける『姫』と『恋』の有用性を考察するのも面白いかもしれない。

 列車は中央本線に遠慮するように多治見駅の端っこにひっそりと停車し、僅か28分で太多線の旅は終わった。これで未乗線区が一つ減ったがあまり感慨はない。やがて颯爽と入線してきた中央本線の315系快速は太多線の4倍の8両編成を誇示していたが、乗客は2両で捌けそうな程度しかいなかった。11時40分中津川駅着。

 名古屋から長駆塩尻まで至る中央本線、通称「中央西線」はほぼ真ん中の中津川駅で運転系統が分かれている。特急は勿論塩尻方面まで通して走るが、名古屋からの快速・各駅停車は全て中津川止めとなり、塩尻方面には8両編成の近代的電車から概ね2両編成の東海ベーシックなローカル用313系に乗り換えねばならない。馬籠・妻籠という古の宿場町を引き継ぐような立場の中津川駅だが、乗り換え時間があるので駅そばを食することが出来るという利点がある。
 今や岐阜県内で唯一の立ち食いそば屋となった『根の上そば』は、跨線橋の下のホームで一番薄暗いであろう場所にあった。もっとも駅そば屋によくある厨房を中心に改札内外に展開した店構造で、外の方は陽が射す明るい場所にあるらしい。天ぷらそばが名物とのことだが、2時間後に塩尻でまた駅そばを食べる予定なので、ここは素そばを頂く。出汁は関東風の味付けで関西人の私には少々濃いような気もしたが、寒いホーム上で食べるそばは期待に違わず上手かった。陽の当たらない場所というのが一層良かったのかもしれない。

 松本行きの鈍行は12時ちょうどに中津川駅を発車した。名古屋近郊区間からローカル区間に変貌したとはいえ、さすがに2両編成では無理だろうと思われる客数で、私は何とかボックス席の隅っこに腰を下ろした。なにぶん塩尻まで2時間近くこの列車のお世話になるので、頑健とは言えない私としては座席確保が必須となる。
 さきほどまでの快速列車とは打って変わって、まさにとコトコトといった感じで木曽川沿いの線路を進んでいく。南木曾、木曽福島といった特急停車駅や宿場で有名な奈良井駅あたりはは若干賑やかだが、その他は無人駅が続き、乗降客も殆どいない。中央本線に限った話ではないが、廃線ということはないにしても、特急停車駅以外の廃駅化やその先の特急専用線化も満更ない話ではないなぁ、という感想が頭を過った。

 乗降が少なく車外の寒気もあまり入ってこない鈍行車内の温度は次第に上昇していく。そのポカポカ具合と駅そば満腹との相乗効果でうつらうつらとし、折角の木曽川の眺望の記憶もあまりない。体感的には30分ほどであった2時間が過ぎ、列車は国鉄時代の栄華を偲ばせる大きな構内のポイントをいくつも乗り越えて、13時49分に塩尻駅に到着した。

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