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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#36~信越・東北腰痛の旅(2)【いわき→郡山→常陸太田→水戸→いわき→原ノ町】

 昨夜熟睡したおかげか今朝は腰の具合も少し良くなっている。やはりフルフラットの威力は大したもので、逆に夜行バスはもう無理だなぁと再確認する。
 2024年3月10日(日)いわき駅6時42分発各駅停車はJR東日本のローカル線ではよく見るキハ110系2両編成である。今日はいわきから阿武隈山地を越える磐越東線で郡山へ、そこから水郡線で水戸に下り、常磐線でいわきに舞い戻って、更に北上して福島県の原ノ町に至るというオタマジャクシ経路を予定している。磐越東線と水郡線併せて230キロ強を乗りつぶせることになる。

 列車は夏井川に寄り添うように北上し、いわきでは全くなかった雪がチラチラと田畑に積もりだす。屋根のない島式ホームに小さな待合室といった典型的なローカル駅の風景が続き、旅に来ているんだなと実感する。
 10分ほど走った小川郷駅で列車交換を済ませたディーゼルはのんびりと、しかししっかりと阿武隈山地を登っていき、積雪は更に深くなる。次の交換駅である小野新町駅までの4駅の区間には夏井川渓谷という寝床の目覚めを小規模にしたような風景が車窓左側に広がる。もっとも観光列車ではないので徐行もしないし、そもそも生い茂る草木に遮られて渓谷美を堪能できる時間は極めて少ない。
 小野新町駅を過ぎたあたりから下り勾配に入っていく。鍾乳洞と星空観察施設の大きな案内看板が印象的だった菅谷駅、高校生達が多く乗り込んできて郡山都市圏に入ったことを実感した船引駅と進み、8時12分三春駅到着。桜の名所であり、また伝統郷土玩具の三春駒で有名な街で、半日程度は散策すべき街であろうが、桜の季節には少し早いのでそのまま先を急ぐこととする。
 三春駅を出て暫くすると沿線の雪も少なくなってきて、右側から車窓を圧する新幹線の高架橋が迫ってくる。定刻8時25分に郡山駅着。

 郡山駅前は活気があり、大きなビルも多い。県庁所在地は福島市だが、実質は郡山市が県の中心都市のように思って人口ランキングを調べてみると、福島市より郡山市が上に来ているのは予想通りだったが、実は郡山市は2位で、いわき市が1位であることに驚いた。市町村合併などの影響もあるのかもしれないが、中規模の地方都市といったイメージのいわきが人口トップというのは意外であった。まぁ私はどこも駅前しか見ていないのだが。
 吹きすさぶ強風でとにかく寒いので、遅めの朝食の駅そばで暖を取る。食券を出して15秒後に目の前に出された一品はどうということのない平凡な味だった。

 水郡線水戸行きに乗るために再び改札を通る。水郡線の出る3番線は東北本線のホームを随分長いこと歩かされた先にやっとあった。駅本屋に近いホームを切り込んで0番線にするというのはよく見るが、駅のど真ん中にこのように配置するというのには初めて出会った。「3番線ホームは150メートル先」と書かれた看板の先を進んでいくと、駅名票もない枯れきったボロいホームに似合わない小綺麗なE231系電車が2両佇んでいた。
 9時18分に発車した列車は郡山駅の広大な構内を延々と走り、やっと駅から抜け出たと思ったらすぐに安積永盛駅に着く。ここまでは東北本線の上を走っていたので、分岐するこの駅からが水郡線の始まりとなる。

 「ひたすら地味な路線」などとも評される水郡線は水戸まで142キロの本線と途中の上菅谷から分岐する10キロの支線から構成される。郡山から南下していくに従って雪景色も消え、薄曇りの天気の下、前評判に違わずひたすら地味に進んでいく。途中の磐城石川、東館という駅で少し停車時間があったのでホームに出てみる。いずれも田舎らしい良い風情の駅ではあるが、やはり全般として地味感は拭えない。茨城県に入った最初の駅である下野宮駅はその優雅な名称に反して駅舎前に廃車や廃材が山のように置かれていた。

 下野宮駅の次が沿線の中心地の常陸大子駅である。郡山からここまで2時間を要している。車両基地や立派な駅舎を有するこの駅を過ぎると「奥久慈清流ライン」という愛称に相応しい久慈川の渓谷風景が広がってくる。以前にクルマで訪れた日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」の最寄り駅袋田では多くの乗降があり、列車とバスを乗り継いでいくのが日本三名瀑への礼儀であったなと反省する。
 やがて久慈川の清流から線路は離れて、再び地味な風景が展開する。結局「奥久慈清流」を楽しめたのは常陸大子からの15キロほどだけだった訳で、福島県内に至っては清流要素はゼロの清流ラインなのであった。

 郊外の住宅地風景へと車窓が変貌してきた12時22分に上菅谷駅到着、ここで3時間乗った本線から一旦離れ、短い支線に乗り換える。何もない上菅谷駅で13分の乗り換え時間を持て余したが、乗ってしまえばあっという間に終点常陸太田駅に着いた。
 常陸太田市は茨城県最大面積を有する市であり、大きな吊り橋やら峡谷、街並み散策も魅力的な場所だが、私はまたしてもその全てをスルーして折り返し列車に乗る。駅舎には徳富蘇峰が書した「常陸太田驛」の立派な木製駅名看板が掲げられているが、大事にガラスケースに入れられていて、その反射光のせいでどうやっても写真が上手く撮れなかった。

 13時11分発の折り返し列車に乗り、本線に乗り継いで13時48分水戸駅着、これで磐越東線と水郡線が完乗となった。次に乗る常磐線の水戸からいわきまでは既に昨日初乗車している訳だが、ほぼ日没後だったので、今日が車窓風景も楽しめる初乗りとなる。
 常磐線ホームにある昔ながらの風情を残す駅そば屋に行く。水戸と言えばということで納豆そばが名物らしいが、納豆は苦手なのでかき揚げそばを頂く。郡山の仇をとるような旨さであったが、リュックを上げ下げするたびに広がる腰痛がひどくなる。

 E130系5両編成のいわき行き鈍行は14時38分に水戸を発車する。勝田駅から分岐するひたちなか海浜鉄道や東海原子力発電所を見ようと意気込むが、全て空振りに終わる。企業城下町に位置する大きな日立駅を過ぎると次第に太平洋の景色が視界に入ってくる。常磐線は本線の称号こそ与えられていないが、高萩、大津湊といった主要駅は本線の風格を感じさせる広い構内と風格ある駅舎を有している。
 16時58分いわき駅着。朝から丸12時間かけてここに戻ってきたことになる。次は54分後に出る原ノ町行き各駅停車に乗るのだが、水戸から乗ってきた列車には多くの客が乗ったままである。ホーム上の電光掲示をみると「16時58分 原ノ町」とある。つまり時刻表上ではいわきで別列車に乗り換えとなるが、現実は同じ車両が水戸から原ノ町まで通しで運行されている訳で、カラクリを理解した私は、トイレだけを慌てて済ませて、発車までまだ40分以上ある列車の同じ席に座った。

 いわきから先は全くの未乗区間となるが、日没がどんどん迫ってくる。久ノ浜という駅を過ぎたあたりから再び太平洋の雄大な景色が広がってくるが、反比例するように空は暗さを増していく。ギリギリ明るさが保たれていた広野駅は駅舎もホームも真新しく、広い駅前にはこれも新しい綺麗なビルが点在しているのが見えて、ここが震災の大きな被害を受けた地であることを実感する。
 更に列車は北上し、原発事故の対応拠点として使用されていたJヴィレッジ駅を過ぎる。福島第二原発が近い富岡駅、次の夜ノ森駅を過ぎる頃には完全に陽は落ちた。この後大野、双葉、浪江と震災から鉄路再開まで9年もの月日を要した区間を通過したが、もはや駅名票すら見ることが難しい。18時15分原ノ町駅着。今日の旅はここで終わりとなる。

 原ノ町は南相馬市の中心で、有名な相馬野馬追の看板や馬追武士の銅像などがあるが、私は近所のスーパーで夕食材料を買い入れて、駅近のホテルにすぐ投宿した。明日はまた6時前にこの駅を出るので、スーパー以外にお金を落とさない駄目な訪問者である。

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