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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#35~信越・東北腰痛の旅(1)【柏崎→燕三条→ガーラ湯沢→高崎→横川→水戸→いわき】

 3月上旬の新潟県柏崎の寒風は身にしみるが、それより腰の具合が良くないのが懸念である。前日から調子が悪かったのに加え、夜行バスで更に悪化したらしい。早朝から有効に動けるので乗り回し旅では夜行バスを活用する機会が多かったが、そろそろ年齢的な限界を感じずにはいられない。フルフラットで寝られる寝台列車『日本海』『きたぐに』が廃止されていなければと思うが仕方ない。
 2024年3月9日(土)柏崎駅6時29分発の越後線各駅停車に腰をさすりながら乗り込む。越後線の西半分と上越新幹線の冬季のみ営業のガーラ湯沢駅まで行った後、北関東を横断して南東北に至る、というのが今回プランの概略である。こう書くとさらっとしているが、やはりローカル線が多いので丸3日を要する。果たして腰は持つであろうか。

 比較的新しいE129系の4両編成は綺麗で快適だが、土曜の早朝ということもあってか車内の客は私一人しかいない。柏崎から分岐する信越本線には長岡経由で新潟まで行く特急も走っているが、距離的には新潟に近い越後線はローカル線扱いで鈍行しかない。しかも例によって実際には海岸沿いを走る訳でもないので、まぁ纏めてしまえばひたすら地味な路線と言えよう。
 新潟らしい田んぼが拡がる風景の中を少しづつ乗客を拾いながら列車は東進していく。しかし昨日から危惧していた強風の影響で次第に列車は遅れはじめ、途中の西山という交換駅で既に13分遅れとなっている。座っていても腰が痛いし、旅は早くも前途多難の様を呈してきた。

 運行遅れにやきもきはするが、自力でどうにか出来ることでもないので、車窓に目を移す。礼拝(らいはい)という名前の駅を過ぎる。キリスト教の関係かと思ったが、由来は近くの神社の礼拝所とのことで純国産であった。
 出雲崎、寺泊という少し大きな駅を過ぎ、やがて列車は大河の風格を湛える信濃川を渡る。鉄橋のすぐ先に分水という駅があり、その名のとおり信濃川をショートカットして日本海へ流す大河津分水路が流れている。そして広大な河川敷には風を遮るものは何もなく、列車は風に怯えるようにますます徐行して遅れが拡大していく。

 定刻では7時39分着予定だった吉田駅に30分以上遅れて到着。越後線の未乗区間はここ吉田までだが、この列車は弥彦線に乗り入れて新幹線乗り換え駅の燕三条までいくので引き続き車内で待機する。私に非常に都合が良いルートで運転してくれる列車なのだが、吉田駅1分停車のはずが一向に動き出さず、腰の具合と今後のリスケジュールで不安が増大する。やがてようやく動き出した列車は次第にスピードを上げ、36分遅れの8時30分に燕三条駅にようよう辿り着いた。

 とにかく越後線を乗り終えたので、次は新潟県内最後の未乗区間である上越新幹線のガーラ湯沢支線に行かねばならない。当初の計画では燕三条からガーラ湯沢まで新幹線に乗り、越後湯沢から高崎までは在来線で南下という予定にしていたのが、越後線遅延のせいで高崎までオール新幹線という破目になってしまった。これでは18きっぷ旅の意味が薄れるがどうしようもない。おまけに燕三条駅のみどりの券売機では何故かガーラ湯沢までの切符が購入できず、イライラしながらやむなく分岐点の越後湯沢までの切符を買う。
 切符購入に手間取ったため危うく乗り遅れそうになったが、8時44分発の『とき310号』に飛び乗る。僅か20分で越後湯沢駅到着。さすが夢の超特急である。

 今年は暖冬でスキー場も雪不足で悩んでいるようだが、豪雪地帯の越後湯沢はさすがと言おうか今日も雪がドカドカ降っていて、スキー板やボードを抱えた人達で賑やかである。しかしスキーとは何の関係もない私は券売機に向かい、ガーラ湯沢までの250円切符を購入しようとするが、またしても「この券売機では扱えません」と表示が出る。イライラも頂点に達しながら駅員に確認すると「その機械では買えないので隣の機械で買ってください」との由。そういう説明はどこにもないのだが、一体どうなっているであろう。

 越後湯沢駅からガーラ湯沢駅までは僅か3分、距離は1.8キロしかない。上越新幹線開業8年後の1990年に『東京駅から新幹線1本で行けるスキー場』への路線として敷設されたもので、もちろん新幹線車両しか走らないのだが、正式には何故か在来線の上越線の支線とされている。
 9時35分越後湯沢発の『たにがわ403号』に乗る。歩いても行ける程度の距離で、越後湯沢駅の構内線のように感じる。ホームをそろそろと滑り出ると上越新幹線に並んでゆっくり走り、ようやくカーブして線路が分かれたと思えばもうガーラ湯沢駅のホームに着いた。冬季のみ営業路線で乗りつぶしのハードルとして燦然とそびえ立っていたが、乗ってしまえば一瞬であった。ガーラとは「祝祭」なる意味だそうである。

 スキー場施設でもある駅舎をしばし徘徊する。当然のことながら私以外の人々は全員スキー仕様であり、違和感が際立つ。私はスキーをやらないのでよく分からないが、減少を続けていたスキー人口は近年回復傾向にあるとのことで、チケットカウンターやリフト待ちの大行列を見るとさもありなんという感がした。
 小一時間スキー客に紛れてウロウロし、10時29分ガーラ湯沢始発の『たにがわ408号』で一気に高崎へ向かう。22キロにも及ぶ大清水トンネルを抜けると群馬県側には殆ど雪はなかった。まさに『雪国』の逆世界であるが、できれば当初計画どおり在来線でゆっくりと移り行く風景を見たかった。

 11時1分高崎駅着、ガーラ湯沢の豪雪から僅か半時間しか経っていないとは信じ難い大都会が広がる。またしても超特急の威力を実感するが、これで3,660円というのはやはり高い。新幹線と鈍行の二択ではなく、在来線の特急や急行も選択肢にあればよいと思うが、今のJRにはそういう多様性は求めるべくもない。
 伝統の名称を冠しながら、今や横川までの盲腸線となった信越本線が次の未乗区間である。国鉄末期に製造された211系の4両編成で、かつて特急が頻繁に走っていた大幹線とは思えぬ長閑な片田舎をゴトゴトと30分程走り、11時57分に終着横川駅に到着。広大な駅構内、プツリと途切れた線路、昔と変わらない峠の釜めし屋、全てがノスタルジーと哀愁に包まれているようである。

 新幹線の威力で予定より早い時間に横川に着いたが、さりとて駅横の「碓氷峠鉄道ぶんか村」に入園する程の時間もないので、園外から保存車両の姿を確認する。かつて「峠のシェルパ」と言われた碓氷峠専用のEF65電気機関車は未だに現役で体験運転等のイベントで活躍しているとのこと。いつか完全に廃車になる前にまた来ずばなるまい。
 横川駅の代名詞とも言える「峠の釜めし屋」さんで釜めしではなく天ぷらそばを食べ、13時10分発の列車で高崎に戻る。横川ではほぼ鉄道ファンしかいなかった車内だが、高崎に行くであろう地元民が途中の安中でどっと乗ってきて混雑を呈する。

 高崎では50分待ちで両毛線に乗り継ぐという出来の悪い行程だったのだが、ダイヤが少し乱れていて、逆に3分で前の列車に乗り継げるという僥倖で気分が良くなる。両毛線の途中の桐生から終点小山まで、続く水戸線の全線小山~友部間という未乗区間を一気に制覇する。

 途中少々の遅延で気を揉むが、ほぼ予定通りの18時5分に水戸駅着。既に陽は暮れていて腰もまた痛いが、明日いわき始発の磐越東線に乗らねばならないので、常磐線を各駅停車で北上し、19時45分いわき駅に到着。新潟~群馬~栃木~茨城~福島と長駆の旅となった1日目は終わった。腰の具合は更によろしくなく、一刻も早くホテルで横になりたいと思った。

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