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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#9~北海道5日旅:3日目(2)【根室→釧路→新得→富良野→旭川】

 戻ってきた根室駅でゆっくりと駅舎を見て回るつもりだったが、発車までまだ20分以上あるのに改札前には既に長蛇の列ができている。大きな自転車輪行袋を携えた若者も5~6人いて、一両では全く乗りきれんなぁと思っていたら、最初からそうだったのか急遽増結したのか分からないが、ホームにはまたもやのキハ54形とこれは初見のキハ40形を繋いだ二両編成が入ってきた。
 慌てて列車待ちの列に並んでしまったので、車止めの先にあったであろう「根室本線終点」の看板を見れなかったことを少し悔やむ。今度は右側(山側)に座った私は、しばらくは往路で位置が頭に入った廃駅や通過駅の写真などを撮っていたが、いかに素晴らしい景色でも往復となると既視感もあって若干まどろんでしまう。そんな中を列車は淡々と走り、定刻13時18分に釧路着。

 釧路からは13時42分発特急『おおぞら8号』で新得に向かう。隣のホームからはちょうど『釧路湿原ノロッコ号』が発車するところだったので、特急を気にしつつ、お見送りをさせてもらった。
 走りだした特急は太平洋に沿って快調に南下していく。地図を見ると特に白糠駅から厚内駅にかけての区間が海に近いようで楽しみにしていたのだが、綺麗な車内とは対照的に窓の汚れがひどく、折角の太平洋の眺望がもうひとつである。昨日の北見から随分とくたびれた鈍行達に乗ってきたが、どれもこんなに窓は汚れていなかった。海沿いを速いスピードで走るから塩交じりの汚れがこびりつくのだろうか。思わず外側から窓を拭いてやろうかと思うが、勿論そんなことはできない。
 厚内駅を過ぎると線路は山中に向きを転じ、何度か蛇行しながら池田、帯広と大きな街に向かっていく。池田駅からは昨日塩焼きそばを食した北見駅まで繋がる旧池北線、帯広駅からは旧士幌線と旧広尾線と、さながら廃線銀座の様相を呈してくるが、いずれも特急車内からでは痕跡は殆ど分からないし、そもそも帯広駅はノスタルジー要素ゼロの光輝く高架駅であった。

 特急の旅はどうもパッとしないまま、厚岸湿原と並ぶ今日のハイライトである狩勝峠越えの拠点新得に15時54分に到着した。
 またもやだが駅そばをまずは食する。北海道はそばの名所が多いが、ここ新得もそのひとつで駅そばファンとしては逃すことはできない。改札を出て左手の売店には数年前のNHK朝ドラの舞台となったことを宣伝する広瀬すずの色褪せたポスターが貼ってあり、その売店の横にそば屋がひっそりと存在していた。380円のかけそばはやや太め麺でしっかりコシもあり、出汁は濃いからず薄からずでちょうどよい塩梅だった。

 新得駅から東鹿越駅までは2016年の台風で受けた大被害の復旧がされていないので、代行バスでの移動となる。新得駅から次の落合駅手前の新狩勝信号所までは石勝線とのいわゆる二重区間で、今も札幌方面への特急が頻繁に走っているのだが、信号所から分岐した先の落合駅、幾寅駅というあたりが不通になったままで、結局新得から東鹿越までは代行バスになってしまう。JR北海道はこの代行バス区間に加えて、今はかろうじて列車の走っている東鹿越から先の区間も併せて富良野~新得間全てを廃線→バス転換とする案を地元に提示しており、代行バスが代行でなくなる日もそう遠くはなさそうな状況である。
 約半時間後に新得駅前を出発した代行バスの乗客は私を含めて3人、どうみても全員が地元民ではなく、これではJRの廃線提案もやむなしと感じざるを得ない。

 バスは綺麗に整備された国道を妙にゆっくりと走っていく。恐らく時速40キロも出ていないのではないかと思われる。昔の時刻表を見ると新得~東鹿越間は概ね50分程度かかっていて、一方この代行バスは70分を要している。代行バス本来の責務とは関係のないサホロリゾートなどに立ち寄るからなのかもしれないが、もっと早く行けるところを鉄道に敬意を表してゆっくりと走っていると考えるのは邪推だろうか。
 地元民の足を守るはずの代行バスは余所者3人だけを載せて峠を登っていく。案内アナウンスはなかったが、最も景色のいい地点で少し停車してくれるサービスをさり気なくやってくれた。時間が余っていただけかもしれないが。
 やがてバスは峠を下って落合駅前に入る。またも時間調整らしく「駅舎の写真などを御撮りになられる方はどうぞ下車ください」との親切とも余計とも取れるアナウンスがあり、余所者3人は指示に従ってバスを降りた。列車が来なくなって既に6年が経過した駅舎は存外綺麗ではあったが、レールは人の高さほども生い茂った草木に埋もれて全く見えなかった。
 落合駅前からは短い時間で幾寅駅前に着く。ここはその本来の駅名より映画撮影に使われた「幌舞駅」という名称の方が有名だが、今は観光客の姿もなく、撮影用セットの「だるま食堂」前で屯していた学校帰りの高校生5人が賑やかに代行バスに乗り込んできた。

 恐らくもう二度と列車が通ることのない踏切や朽ち果てつつある信号機を見ながら、17時29分東鹿越駅前に到着。広々とした構内と屋根のないホームに富良野行きの二両編成キハ40形ディーゼルカーが留まっていた。代行バスからの5人に加えて、どこからともなく集まってきた高校生達が大勢乗り込んでいく。発車時間までまだ少しあるのでホームまわりをぶらついていると、「石灰石」とだけ大きな字で書かれた巨石が何故かホームの真ん中にあった。後程調べてみると、かつては石灰石を運ぶ専用線がここから工場まで伸びていたとのこと。
 東鹿越17時41分発。再び列車の旅に戻るが、人造の金山湖畔を走り次の金山駅に着くころには太陽が完全に没して、真っ暗な山中をひたすら北上するだけとなった。もはや景色も何もなくなったが、高校生達はそもそも景色など関係なくおしゃべりに忙しく、その喧騒を載せたまま18時21分に富良野に着いた。ここが廃線となったら彼らはどうするのかと一瞬思うが、その頃には彼らはもう高校生ではなく、そして多くは故郷を離れているのだろうと気付く。

 既に一日の旅を終えるべき時間で、しかも明日は富良野から滝川に向かう予定なので本来は富良野泊とすべきであるが、富良野駅近辺には適当なホテルがないので、更に旭川まで行き一昨日と同じホテルに投宿することとしている。活動を終えた富良野の街は闇に沈んでいて、小一時間の乗り換え時間をつぶす場所もない。仕方なく少し遠いコンビニまで真っ暗な道をとぼとぼ往復し、またもや高校生の元気な声が響く富良野線の各駅停車に乗り込んだ。旭川着は20時24分、一昨日を再現するが如く、駅前広場には強風が吹いていた。

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