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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#34~塩尻デルタと駅そばの旅(2)【塩尻→上諏訪→塩尻→名古屋→加茂】

 中央本線は新宿から山梨長野岐阜を経て名古屋に至る長大幹線だが、真ん中の塩尻を結節点にした「人」の形をしている。塩尻から西側が中央西線、東側は中央東線と言われ、管轄もJR東海とJR東日本に分かれている。一部の各駅停車を除いて運転系統も分離されていて、新宿発名古屋行きというような特急はない。
 このように中央本線の分離点であり、また要衝として塩尻は重要な駅だが、もうひとつ興味を惹かれるのが逆三角形のデルタ線の存在である。手元にある1978年11月号時刻表を見ると、逆三角形の上辺にあたる岡谷~塩尻間の線路がなく、新宿からやってきた列車は岡谷から大きく南に迂回して塩尻に行く、という無駄なルートを辿っている。これは南方の辰野出身の国会議員が線路を無理矢理曲げて地元を通るようにしたためで、その議員の名前から今も「大八廻り」という通称が冠されている。
 しかしこれでは塩尻・松本方面に行くのに余りにも非効率であるということで、1983年に岡谷から塩尻に短絡する現在の新しい中央東線が開通し、特急でも20分以上かかっていた区間が半分以下の時間に短縮された。私は逆三角形上辺の新線部分11.7キロと左側の塩尻~辰野間18.2キロが未乗区間だったので、今日こうして塩尻駅のホームに立っている次第である。

 塩尻駅をゆっくり訪れるのは初めてなので、まずは結節点を堪能するためにホーム南端に位置取り、東線西線それぞれに展開していく列車をしばし眺めて悦に入る。厳密に言えば辰野に行く大八廻りの旧線も分岐しているので、塩尻から南方へは3つのレールが延びているのだが、大八廻りはしばらく東線に間借りするので、ホームからでは分からない。

 さて鉄道の要衝としての歴史と風格を有する塩尻駅であるが、もうひとつ有名なのが「日本一狭い駅そば店」で、ワクワクしながら階段を上がり跨線橋を進む。すると行先表示の電光掲示板やらトイレ案内やらJRからのお知らせが雑多に張られた中に「信州そば→」と控えめに書かれた紙が張られていた。しかも「室内が満員の場合、お手数ですが改札を出て待合室側のカウンターをご利用ください。」という注意書きが記されている。
 その矢印の3歩程先にある入口はなるほど狭い。扉は単なる網戸で、その網戸の向こうで先客のオッサンが悠々ととそばを食っている。事前情報では2人分のスペースはあるとのことだったが、こうやって手前側に陣取られるとどうしようもない。もしやオッサンは敢えてそこに陣取って店内を占領しているのかという猜疑も湧いてきた頃、ようやくオッサンが店を出たので、私は次の列車の時間を気にしつつ念願の「そば処 桔梗」に身を入れた。

 中に入るとさっきまでオッサンがいた場所の奥に確かにもう一人分の空間があり、更にその奥に券売機が設置されている。厨房の向こうには5~6人程度座れそうな改札外カウンター席が見えた。
 長野と言えばということでわさびそばが名物らしいが、私はわさびが苦手なので定番のかき揚げそばを注文する。あっという間に出てきたそばは中津川駅で食したものと同じ関東風だったが少し甘い。そしてかき揚げの旨さは筆舌に尽くしがたいと感じたが、この旨さが「すみっこ」効果で増幅されたものか否かはよく分からない。
 2時間強の間に駅そば2杯を食べたので、腹具合がかなり苦しくなってくる。14時19分発の辰野行鈍行に乗らねばならんのでホームに急ぐと、E217系というJR化以降製造ながらまだ無骨な国鉄テイストも残る3両編成の車両が既に待っていた。

 辰野までの間には小野、信濃川島という小駅が2つある。「天然記念物 枝垂栗自生地 辰野町」という大きな看板以外はこれといった目を引く風景もなく、ガラガラの列車は山間を淡々と南下していく。音鉄らしい少年2人が集音マイクを持って車内を動き回っている。
 辰野駅14時41分着。大八廻りはここで進路を北に変えて岡谷に向かうのだが、辰野からは秘境線として有名な飯田線が分岐している。太平洋側の豊橋まで約200キロ、鈍行だと7時間を要するというスケールの大きさで、私も随分昔に踏破したが、楽しいのか修業しているのか最早良くわからなかった記憶がある。
 音鉄少年達はその飯田線に乗り換えていったが、私は岡谷行きの各駅停車に乗り込む。国鉄末期に製造された213系という電車でそろそろ引退が近いらしい。飯田線からやってきて岡谷まで直通するこの列車は使い勝手が良いのかかなりの混雑で、私は岡谷までの10分少しを立って過ごした。
 乗りつぶしという観点からは岡谷から新線部分に乗って塩尻に戻ればいいのだが、折角長野まできたんだからということで、私は2つ先の上諏訪駅まで足を延ばし、諏訪湖を望む温泉で一泊した。

 翌日2023年12月11日(日)は上諏訪駅9時43分発の各駅停車で塩尻に向かう。岡谷からの新線部分は殆どが塩尻峠を貫くトンネルで、唯一の途中駅であるみどり湖駅もあっという間に通過して9時53分に塩尻駅着。全くあっけなかったがこれで塩尻デルタ線も踏破したこととなった。
 ここからはまた中央西線で延々と名古屋方面に戻る。昨日食した「そば処 桔梗」の改札外カウンターでまた駅そばを食べようと意気込んで向かうと、月曜は休業になったらしく暖簾は仕舞われていた。落胆した私は下戸なのに駅前売店で特産の塩尻ワインを買い込んだ。

 10時54分発の鈍行で中津川駅まで戻る。中津川ではこれまた昨日と同じ駅そば店の改札外カウンターを狙い、今度は無事に営業していたので、塩尻駅でのリベンジも兼ねて天ぷらそばを存分に食べた。中津川駅13時17分発の快速に乗り、14時34分に大都会の雑踏が跋扈する名古屋駅到着。

 名古屋から大阪へは最も使われないであろうJR関西本線ルートで帰る。この阿呆ルートを選択したのは、偉大なるローカル線関西本線の名古屋~四日市間37.2キロが未乗であるためなのだが、これは完全に既乗を立証する写真や旅程表がないという「記録」上のもので、少なくとも3回以上は乗った「記憶」は脳裏にある。
 15時3分発の亀山行快速は激しく混んでいた。私は名古屋でボックスシートに何とか座れたが、如何に並行する近鉄に惨敗し続けているとはいえ、平日夕刻は高校生の利用も多いのでたった2両編成ではいかがなものかと思う。

 既視感たっぷりの近鉄の並行線路や木曾三川を車窓から眺める。夕暮れの近づく中を列車は進み、桑名駅で大勢の客が入れ替わったが混雑具合は変わらない。やがて四日市駅に到着し、私の未乗区間はここで終わったが、車内から駅名票の写真を撮っただけでそのまま終点亀山まで乗り通す。撮った写真を確認するとブレまくっていて『四日市』の漢字が辛うじて判別できるだけであったが、「記録」としては確保した。
 16時8分亀山駅着、案内放送に急かされて跨線橋を走って渡り、3分後に出る加茂行きの単行ディーゼルカーに駆け込む。紫のデザインが特徴的なキハ120形はなかなか味があるのだが、既に疲労困憊のため車両を楽しむこともなくあっという間に眠りに落ちた。加茂駅に待っていた大和路快速は既に日常生活圏の範囲内であり、旅は実質的にフェイドアウトとなった。

 今回のそば旅のような乗りまわし旅では、JR東日本管内の乗車率は僅かしか上がらなかったが、東海管内の乗車率は99.021%まで進捗し、あとは武豊線19.3キロを残すだけとなった。

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