ブルマン一座の読書会 (第8話/全10話)

~ 目次 ~
( )あらすじ
(一)第一回読書会『テスカトリポカ/佐藤究』
(二)萬田
(三)青山
(四)第二回読書会『消失の惑星(ほし)/ジュリア・フィリップス』
(五)桐間
(六)第三回読書会 『歌うように伝えたい/塩見三省』
(七)粉岡
(八)第四回読書会『つまらない住宅地のすべての家/津村記久子』
(九)青山
(十)第五回読書会『泡/松家仁之』+お勧め本紹介

(八)第四回読書会『つまらない住宅地のすべての家/津村記久子』

 四度目の読書会は、十一月最後の土曜日だった。
 朝、リビングに入った美瑠は、ソファに座る青山を見て驚いた。冷え込む朝ではあったが、室内でダウンコートを着込み、電気ヒーターを点けながら震えている姿は尋常ではなかった。
 一目で読書会は難しいと思った。熱を計ってみると、案の定、三十九度を越えていた。
「その熱じゃ無理よ。私が代わりにやっておくから」
「駄目だよ」
 か細い声で青山が反論する。「課題本、読んでないだろう。それで進行役はできないよ」
「だいじょうぶだって。あなた、最近は参加者が発言してくれて、自分のやることはないって言ってたじゃない。なんとかなるよ」
 すがるように首を振る青山を説き伏せ、美瑠は昼前に店に向かった。カフェの営業は休みにし、読書会だけ開催することにした。
「本日は誠に申し訳ございません」
 開口一番、美瑠は頭を下げた。
 集まったのは、初回から変わらぬ六人だった。
 顔を合わせるのが気まずい面々もいたが、気持ちが顔に表れないよう気をつけた。
 健矢という青年が、やけに嬉しそうに美瑠を見つめている。彼とは初回の読書会で顔を合わせたはずだが、記憶からきれいに消えていた。同じく、萬田の娘にも見覚えがなかった。
「今回の課題図書は、『つまらない住宅地のすべての家』。津村記久子さんの小説ですね。双葉社から出版されています。最初に言っておきますが、私はこの小説、読んでませんので」
 ええー、と大げさに驚いたのは萬田だった。
「だってしょうがないでしょ。今朝になって来るのが決まったんだから」
「だろうけど」
 萬田は不満げな顔を隠さない。
「だから、いつものあらすじ紹介は私からはできないんですけど、青山から対処をことづかってあります。古志田理花さんにお願いしたいのですが、どうでしょう」
 理花は目を見開き、わたしが、という風におずおずと周囲に目をやった。「ごめんなさいね、急に。青山が、あなたなら大丈夫だって」
 理花は少し間を置いて、
「やってみます」
 と固い声で答えた。
 そそくさとカバンから自分のノートを取り出し、二、三ページに軽く目を通すと、話を始める。
 舞台は、何の変哲もない住宅街。路地に並んだ十軒の家は、一見普通に見えて、それぞれに問題を抱えている。老いた母を亡くしたばかりの中年女性。問題のある生徒に振り回される大学講師夫妻。無軌道な息子を持て余す両親。ひそかに犯罪をくわだてる一人暮らしの男性。
 近所づきあいはほとんどなかったが、あるとき、女性の脱獄囚が逃げてきたという知らせが入り、住宅地に動揺が走る。協力して警備をするべきだと提案があり、住民たちが交代で見張りを始める。逃亡犯から身を守る目的で交流が生まれ、彼らの関係性が少しずつ変化していく。逃亡犯と住民との関係も明かされていき、それぞれの抱える問題も進展を迎える。逃亡犯はどこに現れるのか。
「と、こんな感じですが、うまく話せました?」
 理花が恥ずかしそうにノートを閉じる。
「上手だよ。さすが」
 と粉岡が手を叩き、桐間と健矢もうなずいて拍手を送る。
「今回もいっぱい書いてきたもんね」
 と萬田が優しい顔になる。見たことのない表情だ、と美瑠は思う。
「そういう話なのね」
 と、美瑠は本をぱらぱらとめくった。装丁とタイトルからして、地味な小説だろうという印象しか持てなかったのだ。「で、主人公がその逃亡犯ってこと?」
「違う違う」
 と萬田が首を振る。「主人公は特にないんだよ。なんていうのかな、こういうの?」
「群像劇、ですかね」
 と健矢が答える。
「そう、群像劇。美瑠も読んでみればわかるけど、三、四ページくらいの短い文章で、語り手が変わっていくんだよ。何人かの話が少しずつ進んでいく感じ」
「そういう意味では」
 と茂方が引き継ぐ。「前に読書会でやった『消失の惑星』と構成が似てるんです。いろんな人の生活が平行して描かれるっていう」
「たしかに」
 と、今度は桐間が口を開く。「あの小説も今回の本も、一つの犯罪を巡る様々な反応が緻密に表現されてますね」
「私も同感です」
 と粉岡が身を乗り出す。「一人一人がね、実によく書けてる。こんな短いのに内容はみっしり詰まってますよ」
「皆さん、なんというか、熱がこもってますね」
 美瑠は参加者の勢いに驚き、圧倒されていた。「健矢さんも、そんな感じですか」
 ほとんど発言していない健矢に話を向ける。
「僕は、あまりぴんと来なかったっていうか。みんなそれぞれ生きてるっていうのはわかるんですけど」
 健矢は一人だけ曇った表情をしている。こういう意見もあるのだと、美瑠はなぜか安心した。
「あんた、ちゃんと読んだ?」
 萬田がきつい口調で健矢に訊く。
「読みましたよ」
「二回、読んだ?」
「一回だけですけど」
「だからよ。こういうのはね、二回くらい読まなきゃ駄目なの。たぶんあなた、語り手が変わるたびに、この人は誰だっけ、どこの人だっけって地図と人物表を見返してたでしょう」
 うーん、と健矢は口を尖らせる。
「いいの。あたしもそうだったからいいの。一回目は筋を追うのに手いっぱいで、深いところまで読めてないわけ。人物関係とストーリーが頭に入った状態で、最初から読み直してごらん。ぜんぜん違って読めるから。すっごい深いところまで感じ取れるから」
 熱っぽく語る萬田を見ながら、こんなこと言うんだ、と美瑠は不思議な感慨に包まれた。そもそも小説なんか読む女じゃなかったのに。
「萬田さんのおっしゃる通りです」
 と、粉岡も話に加わる。「さっき『消失の惑星』の話が出ましたけど、あれも一回だけじゃ難しくて、二回目になるとぐっと話が頭に入ってくるし、何倍も面白くなる。この小説も同じですね」
「難解な感じなのかな」
 ふと口走った美瑠の言葉に、
「違う違う」
 と、参加者たちの合唱が起きた。全員の圧がすごい。
「そうじゃないんです」
 と、粉岡が代表して説明する。「文章は平易で読みやすいし、内容も難しいところは全くないんです」
「人物関係が入り組んでいるところだけですね」
 と茂方が引き継ぐ。
「美瑠も一回読んでみてよ。あんたの感想も聞きたいから」
 萬田が加勢したところで、美瑠は首をすくめるようにうなずいた。
「そういえば、揚げそばがうまそうでしたね」
 健矢が思い出したように口にすると、
「いいシーン」
 とまた全員が口をそろえる。
「なによそれ。揚げそば?」
 美瑠が吹き出す。
「あるんですよ、そういうシーンが」
 桐間がつられて笑いながら説明する。
「みんなでね、逃亡犯が来ないか見張ろうということになって、一軒の家に集まるんです。なにかと気を遣う老夫婦の家で、奥さんが揚げそばを振る舞うんです。夜中の見張りだから、深夜の十二時とか一時ですよ。パリパリの揚げそばに、炒めた肉野菜をかけるだけなんだけど、これをみんながうまいうまいって言いながら食べる。ほんとにすごくおいしそうなんですよ」
「高級料理じゃないところがいいね」
 粉岡も揚げそばがお気に入りのようだ。「庶民的なんだけど、実はおいしい。そこが、登場人物は普通の人なのに抜群に面白いっていう、この小説を象徴してもいます」
「たしかにそうですね」
 桐間が感嘆したようにうなずく。「それがフード描写の威力ですよ。食い物で心がつながって、食い物で人が救われる。だからこの揚げそばって、意外に重要な要素だと思います」
「そういえば隣の彼もそうだったね」
 と健矢が口を出し、桐間がうなずく。
「なに? 隣の彼って」
 美瑠は耐えきれず口にした。これだけ熱く語られる本を自分だけ読んでいないことに、いらだちが募る。聞けば聞くほどおもしろそうだ。
「老夫婦の隣に住んでるのが二十五歳の若者で、訳ありなんですよ」
 と桐間が答えた。「それで、実はこの男が」
「待って」
 と美瑠はさえぎった。「私、この小説読んでみたくなった。だから、大事なとこは言わないで」
「そんな」
 と桐間が困った顔になる。
「ネタバレ有りで好きなように喋るのが読書会じゃないですか」
 健矢も不満を表す。
「古志田さんはどうですか」
 美瑠は二人を無視し、理花に矛先を向ける。
「私も、人物関係が難しくて苦労しました。ですので、自分で家の配置図を作ったんです」
 理花は一枚の紙をテーブルに出した。
「本の冒頭にも似たようなものがあるんですが、北が右になってて、人物表も別だから、イメージしづらかったんです。私は北を上に家を配置して、家の中に人物名も入れました」

「これ、見やすい!」
 声を上げたのは茂方だ。他の参加者たちも驚いたようにその図に見入っている。
「俺、これ見ながらもう一回、読むわ」
 と健矢が紙を手に取る。
 美瑠も、そこまで読書に熱意を注ぐ人がいることに驚いた。「なんか青山が、すごい資料を作ってくる女の子がいるって言ってたけど、確かにすごいね。ノートにもまだいっぱい感想とか書いてあるんでしょう?」
 理花が嬉しそうにうなずく。「いろいろ、書いてきました」
「ちょっと披露してもらえますか」
 そうですね、と理花はぱらぱらとノートをめくる。「私が思ったのは、逃亡犯に関係ある人もない人も、なんか優しいんです。早く捕まってほしいというより、うまく逃げてほしいと思ってる人ばかりなんです。これって、順番に一人ずつ紹介してもいいですか」
「もちろん」
 全員がうなずく。
「まず、父子家庭で暮らす中三の亮太君。〈なんでこんなことするんだばかだな、と思いつつだが、逃げ切れよ、とふと願うこともあるし、会ったら助けるかもな、と想像したりもする〉」
「亮太は逃亡犯に共感してるんですよね」
 と粉岡の口調は優しい。「勉強はできたけど家に不幸があって道を外れていくところに、逃亡犯と自分を重ねてます。犯した罪が横領っていうのも、中学生の亮太にはイメージが湧かないから、悪い人だと思えない」
 理花がうなずいてノートの続きを読む。
「次は妹に手を焼く十歳のゆかりです。男の家に入り浸る母親のせいで苦労が絶えず、逃亡犯に〈わたしも連れていってくれないかな〉なんて思っちゃう。一人暮らしの大柳望(おおやなぎのぞむ)は、〈きっと守られることもないし、守るものもない人生だったんだろう、俺のように〉と、逃亡犯に同情しています。逃亡犯と中学の同級生だった耕市は、当時の記憶を思い出しながら、〈自分もこうなる可能性があったのではないか〉なんて、やはり同情的に共感します」
 理花はそこまで一気に読むと、さらにページを繰り、続ける。
「スーパーで警備の仕事をしている松山は、服を盗んだ逃亡犯が持ち主に出くわして謝ったという話を聞いて、〈いい人じゃん〉って口にします」
「そしたら警備のチーフに怒られちゃう」
 と萬田が笑う。「警備員にあるまじき言動ってことだろうけどね。糞みたいなチーフだよね」
「萬田さん」
 と健矢がなだめる。「それは僕らがこの小説読んで、逃亡犯の実態を知ったからでしょう」
「そうだけど。松山さんはさ、逃亡犯と同じくらいの年齢の女性と、前にいい仲になったことがあるんだよね。スナックにいたフィリピンの女の子でさ。その経験があるから余計に逃亡犯のことを悪く思えない」
「ですよね」
 と、桐間が話を引き取る。「悪く思えない、とはっきり書いてあるわけじゃないのに、松山さんはそう思ってるんだろうなあって読者に思わせる。巧い小説だなあと思います」
「逃亡犯と自分の境遇を重ねるのは、笠原夫妻も同じですね」
 と粉岡も口を出す。「見張り場所として部屋を提供する笠原夫妻ですけど、自分達にもし子供がいたら逃亡犯と同じくらいかなあ、なんて話してます。だからどうだとも書いてないけど、逃亡犯に対する恐怖や拒絶というより、親近感みたいなものが伝わってきます」
 参加者たちが思い思いに言葉を連ねていく。他で知っている人たちがこんなに生き生きと本について語るのを、美瑠は不思議な心地で聞いていた。どこか、逃亡犯だから悪い人と決めつけない懐の深さに似ていた。
「なんだか私だけ読んでないのが悔しくなってきました。揚げそばもおいしそうだし」
「僕も似たようなもんです」
 と健矢がすまなそうな口調になる。「一回は読みましたけど、面白さのポイントをつかみ損ねてる気がします。皆さんのお話を聞いてて、そうだったのかって思いました」
「どこらへん?」
 と桐間が尋ねる。
「逃亡犯について、いろんな人が少しずつ違う感想を持つでしょう。それがこの小説の、根幹を作っている気がする」
「おっしゃる通り」
 粉岡がふざけた口調で言うと、健矢は嬉しそうな表情を浮かべた。
「健矢さんのおっしゃる通り、各人物の逃亡犯に対する関わりが、生活の流れの中で自然に語られていく。なにげない会話とかが、本当にこの作者はうまいですよね。唸らされます」
「私もそれで思ったのは」
 と茂方が割って入る。「ほんの少しの関わり合いで、人の人生って大きく動いていくもんだなって。犯罪なんて小さなことで起きるし、同時に小さなことで防ぐこともできる。単なる偶然のできごとでも」
 うんうん、と萬田が大きくうなずく。「それと、自分の存在価値? そういうのも人との関わりの中で感じるんだと思う。そういう意味であたし、前回の『歌うように伝えたい』とも通じると思った」
「いいですね、それ」
 と茂方が感心する。「自分の価値を人との関わりで感じるって、素敵な話」
 参加者たちのやりとりで、場がどんどん白熱していく。読書会に出たのは初めてだが、青山がのめりこむ理由がわかる気がした。
「理花さんは、他にありますか?」
 一人、自分のノートを凝視している理花に訊いてみた。
「逃亡犯の語りのパートで、脱走の経緯が詳しく書かれるじゃないですか。あそこがすごいなと思いました」
「逃亡犯の視点もあるってこと?」
 美瑠が訊くと、桐間がうなずく。「だから僕、なんか読者は得だなあって思いました」
 萬田が吹き出し、
「得ってどういうこと?」
 と訊いた。
「だから、登場人物全員の心情を、読者だけが知っているわけですよ。誰のどんな言動がどういう影響を与えたのか、読者だけが知っている。これはお得だなあって」
「いわゆる、神視点ですよね」
 と粉岡が冷静な声を出す。「多視点の小説は、すべてお見通しの神様の視点から語られるわけだけど、この小説の場合、神様としての万能感がものすごい」
「細かい描写を丁寧に積み重ねているからですよね」
 答える桐間は本当に嬉しそうだ。「いま思いましたが、そういう点では、初回の『テスカトリポカ』にも通じますね」
 うんうん、そうだねそうだよ、と参加者全員が激しく同意している。自分だけがそこに入っていけないのが悔しい。
 桐間は興奮したまま続ける。「それで、そういうリアリティを積み重ねてからの、あのクライマックスですよ」
「だよねー」
 と萬田が大声を出す。「あそこでさ、みんなが集まってさ」
「ストップ!」
 と美瑠が叫ぶ。「そこ駄目。聞きたくない」
「なんでよー」
 と萬田が不服そうに叫ぶ。
「ネタバレはしないでって言ったじゃない。大事なとこならなおさら。あたし今日、帰って読むから」
「勝手だねえ」
 と萬田が呆れる。
「いいの。今日は私が進行役だから、好きにやらせてもらう。この本の面白さは、皆さんのお話から十分に伝わってきました。これから読むのがすごく楽しみです」
「そりゃあ、よかったけど」
 粉岡も拍子抜けしたようだ。
「それではそろそろお時間ですので、終わりにしたいと思います。今日はつたない進行でご迷惑をおかけしました」
「つたない、というか勝手な進行ね」
 と萬田が笑う。
「だからそれはいいの。でも、こんな地味っぽい作品が、それほど皆さんの胸を打つとは意外でした」
「僕も最初はそうでしたよ」
 と健矢が笑う。「なんか地味な話だなあって、ちょっと入り込みづらかったんですけど、今日の読書会で面白ポイントがわかった気がします。一見地味だけどそこにすごい秘密やドラマが隠されてるっていうの、もう一回読んでちゃんと味わってみたくなりました」
「それはよかったです」
 と粉岡が答える。
「いまふと思ったんですけど」と健矢が続けた。「この読書会に出ている皆さんも、一見普通に見えて、実はいろんな秘密が隠されてたりして。なーんて、影響されすぎですね」
 健矢の言葉に、一瞬、参加者たちが黙り込む。
 美瑠はその様子を見届けたあと、
「それでは本日はこれで終了とします」
 とあいさつをし、読書会を終えた。

~ 目次 ~
( )あらすじ
(一)第一回読書会『テスカトリポカ/佐藤究』
(二)萬田
(三)青山
(四)第二回読書会『消失の惑星(ほし)/ジュリア・フィリップス』
(五)桐間
(六)第三回読書会 『歌うように伝えたい/塩見三省』
(七)粉岡
(八)第四回読書会『つまらない住宅地のすべての家/津村記久子』
(九)青山
(十)第五回読書会『泡/松家仁之』+お勧め本紹介

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