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死について 〜3〜

(前回の続き)


死に損ないの三度目は 3 年前のことだった。この時も救急車のお世話になった。

当時、しばらく原因不明の腹痛や吐き気が続いていた。

失敗から学ぶ能力にかなりの欠落があるため二日酔いなどでの二、三日間の下痢や吐き気はよくあるのだが、これほど長く続くことなどかつて無かった。
おそらく 1 ヶ月近くは続いただろうか。

市販の医薬品は何か副作用とかが心配だし、かえって身体に悪いような気がするので、漢方薬ならいいだろうと思い、小さい頃よく母親がこんな症状のたびに飲ませてくれていた毒掃丸がいいんじゃないかということで早速近所の薬屋さんから買ってきた。
子供の頃「親クソ」と呼んでいた、真っ黒い鼻クソみたいな柔らかい丸薬である。


しかし症状は一向に回復しない。
それどころか日を追って症状は悪化の一途を辿るのみである。

食欲もなく、ベッドに横たわったまま、時々トイレに起きるだけの毎日が続いた。
体重は一気に 5 キロは減ったと思う。
もともと痩せていたので、側から見たらかなりやつれていたはずだ。

しかも部屋を出たすぐ近くにあるトイレに行くにも、ベッドから降りることさえ精いっぱいの有様なのでトイレまではなんとか這いつくばって行く以外にない。

ヨレヨレになって便座にしがみつき、最初に吐くべきか、ともかく便座に腰掛けるべきか、その都度大変な思いで決断を下さなければならなかった。 

しかも便が真っ黒で錆びた鉄みたいな臭いがする。
最初に見たときにはギョッとしたが、考えてみれば毒掃丸を飲んでいる。
だからだ、と勝手に決めつけてしまい、その後は黒くて錆臭いクソは「親クソ」のせいだと納得してしまったのである。


容態はますます悪化する。

それからの数日はベッドとトイレまでの直線距離にしてわずか 7 メートルに限定された空間でしか身動きの出来ないサバイバルゲームだったが、このままだとひょっとしたら死んでしまうかもしれない、と思い救急車を呼んだのだった。

救急車は意外と早く来た。
寝室が 2 階で家の階段があまり広くなく下から 5 段ほどで直角に曲がっているので、どうやって下まで降りて行くのだろうと余計な心配もしたのだが、
救急隊が持ってきた担架は上手く出来ていて私を乗せたまま狭く曲がった階段に合わせて折れ曲がるようになっていた。


搬送先の市民病院では、担ぎ込まれるとすぐに血液検査が行われ輸血など応急処置を施してくれた。

担当医が、「かなり内出血している。しかも半端じゃない量だ。搬送がもう少しでも遅かったら、あなた、死んでましたよ」とショッキングな一言。

体内の血液の 5 分の2 を失うと人は死んでしまうのだそうだ。
私はそのギリギリのところまで、知らない間に血を失っていたのだった。
黒い便は胃の中でだいぶ以前から起きていた内出血によるたっぷりの血を含んでいたための色であり臭いだったのである。

兎にも角にも急遽、2 パック分の輸血が始まり、私は辛うじてこの危機を切り抜け、サバイバルに成功したのだった。


これら三つの顛末は、色々な意味で私に「死」というものを考えさせた。

普段、健康なときにはほとんど考えることもないのだが、死は意外と身近に潜んでいる。
潜んでいるというよりも、蝶々のようにいつも私たちの周囲に舞っていてふと気づくと肩にとまろうとしているような感じかもしれない。

「命」は毎日の生活で実感できる確かな現象である。
だが「死」も、「命」と同じくらい確実に私たちと隣り合わせで実在しているのである。


子供の頃、夜空を見上げて無数に瞬く星を眺めるとき、宇宙の壮大さと自分のちっぽけさを比べて、「人はどこから来てどこへ行くんだろう」、「何処か遠くの星にも、ぼくみたいな『ひと』がいて同じようなことを考えているんだろうか」などと、子供心にも人の命とか死とか、この世とかあの世とかに思いを馳せたものである。

命はなぜ有限なのか。
人は何故にいつかは死ななければならないのか。
そしてほとんどの場合、「死」はどうしてこれほども唐突に訪れるのか。

これほどに発達した科学の力もいまだ「死」を克服することができないでいる。

貧富の差、賢愚の差、肌の色、宗教、身分、国籍や環境の違いを超えて、「死」は、古今東西、老若男女なに一つ差別することなく、すべての人に平等に隔てなく必ずいつか訪れてくる律儀で忠実な訪問者である。

そして「死」が私たちを連れて行く「向こう側」にはいったい何があるのだろう。

知りたい気持ちは山々だが、同時に積極的に是非知りたいとも思わない。

個人的には、全く意識のない「無」の状態、つまり、ぐっすりと眠っていて夢も見ていないときのような「自我」の意識がまったくない状態ではないのかと思っているのだが、さてどうだろう。

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