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◆10代に伝えたい無責任な恋愛&結婚観① 〜年代別の恋愛概念から考える〜

いつもの日課で
目に飛び込んできたのは
画面いっぱいに埋め尽くされた
非日常彩りの風船

あぁ、やってしまった

まさか誕生日の設定をしていたとは思わず
その日は再びTwitterを開くことはなかった

カラフルな風船は
弾ける瞬間に
無意味な言葉を散らしていく

「おめでとう」

って、バカみたい

生まれた日を祝う慣習は
どうにかならないものかと
無意識に風船を潰していく
人差し指を憎んだ

ちょうど一年前は
眼を腫らしながら
虚空を見つめて佇んでいた

バースデーソングを歌ってもらえないから
寂しいんじゃなくって

一年に一度の特別な日に孤独でいることが
悲しいんじゃなくって

365日という多大な時間が
漫然と過ぎ去っていった事実に
向き合わなければならないことが

ただただ
悔しくてたまらない


***


誕生日にわざわざお声がけや沢山のお祝いただき、誠にありがとうございました!これもSNS活動を続けて創り出せた数々の出逢いのおかげでしょうか。感謝しかありません。

わたしにとって四月とは重ねてきた自分史を振り返る月であり、やり切れなかった想いと果たせなかった目標を供養できずに、自身の無力さを痛感する「祝い」日ならぬ「悔い」日なのです。

社会において平等に有限の性質を持つ時の流れには、幼い時から圧倒的な恐怖を感じながら生活をしてきました。
▼時間の考え方について描いた「心歌」詩集より〜

いずれやってくる命の限りが怖いのではなく、常に老いていく事実に恐れているのではなく、社会における年齢という概念の枠に閉じ込められてしまいそうになることが誕生日を祝う行為の最大の恐怖なのです。

三十代だから働き盛りだとか、Z世代だから考えが違うだとか、アラフォーだから落ち着いた服装をすべきだとか、社会は勝手に決めた世代ごとの概念に大層当て嵌めたがります。その常識でもって人柄を図り判断しようとする行為は大変理解に苦しみます。

日本では未だにあらゆる場所で公的証明での年齢確認が必要です。
自分の年齢を完全に忘れて生きていくことは不可能な環境です。

「自分」に向き合い続け、鍛錬・研鑽に努力を惜しまず、個性や魅力や強み弱みといった己の武器を把握していれば、年齢の常識に囚われる必要は一切ないことに気づかないはずはありません。

本来ならば、年齢の数だけ生き続けてきたわたしの歩みは大変誇らしく名誉ある歴史であり、公言したら妬まれるくらいに思ってほしいものです。
丹念に作り上げてきた女の魅力は、恋愛においても若い女性には簡単に負ける気がしませんから。

わたしにとっては「年齢」は、努力し続けるためにも生活から消え去ってほしい概念の一つですが、ただ常住の想いとして唯一祝いたい誕生日があることに気がつきました。

それが子どもの誕生日です。

彼女にとって良し悪しの一年だったとしても、多大な時の流れを経験し生きてきてくれたことが何よりの喜びと感謝しかないわけです。

究極のエゴイズムですね。

今なら素直に伝えられそうな気がしたので
今週末は花束持って実家に帰りたいと思います。

母に「産んでくれてありがとう」と。

そして、心よりお祝いいただきました皆様にもこの場で感謝申し上げたいと思います。そう、「誕生日祝われるのも、全然悪くないな」って気づかせてくださってありがとうございました。


***


さて、今日は「10代に伝えたい無責任な恋愛&結婚観」というタイトルですが、以下の記事は十代に読んでほしくて仕上げた内容ではありません。

年齢や世代の常識に囚われない恋愛や結婚観を持ってほしいという究極のエゴイズムから行動してきたことは、SNSを通じて自分より十〜二十歳年下の方との話す機会をたくさん作ることでした。
その中で知り得た世間が常識とするいわゆるZ世代の恋愛観と結婚観について、実際に相談に来た方々の声をお届けしながら、経験と思いをまとめたのが今回の記事です。



▶︎恋や結婚の判断すらできない人としての未熟さが露呈する現代

恋愛や結婚観はもちろん人によって異なりますが、特にZ世代(ここでは十代〜二十代としましょう)の価値観は、一般的には社会や文化の影響を受けて大きく変化してきています。

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