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元ダーツのプロがSEになり欝を発症するまで#6 ~判断力の低下とダーツへの諦め~

こんばんは、クラひろです。

目次

今日の近況

今日は昨日の願いが通じたのか、朝は体調良く
9時に起床し、すき屋の混ぜのっけご飯定食を完食することができました。

ですが、朝食を摂取した後少しずつ体調が悪化し、
ゆっくり歩いて心療内科へ行き、
心療内科のあとは、そのまま実家に帰る予定であったので
ゆっくりと電車を乗り継ぎ、
新宿で乗り換えの間違いをしながら、何とか実家の最寄り駅に到着しました。

昨日伺った話から、筋肉を鍛えることが
欝の対症療法としてあることを知った私は、
実家に住んでいたころ通っていたボルダリングジムへ足を運びました。

店内には見知った店長とオーナーと、私がボルダリングを始めた日に
話しかけてくださった常連さんだけで、
とても楽しくボルダリングをすることができました。

その日は店内で、ボルダリングジムのお客さん方たちと飲み会があるそうで
だんだんと人が増えていき、すこしづつ圧迫感を感じた私
体調悪化の予兆を感じたため、早々と退散いたしました。

体を動かすことが血流の促進を図り、
体の痛みや心の痛みを取り去ってくれることを信じて
今後も運動を続けていこうと思います。

下記から本編に入ります。

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元ダーツのプロがプロを諦め就職を決意してから

前回のnote(https://note.mu/se_tandk_09/n/n05cc83809792?magazine_key=mec773b64c5db)ではIT(プログラマ)での就職を決意し、業界最大手企業の内定を獲得するまでを書きました。

苦戦しながら作成した卒業論文と、卒業に必要な単位が多くあった私は
後期もしっかりと学校に行くことになり、
休学1年と留年1年を含めた6年の大学生活に終止符を打ちます

上記の二年間は本格的にダーツのプロとしてツアーに参加したり、
地方の大会に参加していました。

同期と2年遅れでの卒業、会社に入社したときは
年下の方々とともに働くことになるのだなと強く感じたのを覚えています。

業界最大手ということもあり、かなり圧迫的な研修を受けたのを覚えています。
実家から本社、渋谷まで通い
通勤に毎日4時間かかる日々が約1ヵ月半ほど続きました。

プログラマ志望であった私は、前回のノートの最後に記述したように
ITサポートデスクという部署に配属になります。

ITサポートデスクは、その名前の通り
プログラマのサポートをするような業務だよ。という言葉を鵜呑みにした私は
未経験なので仕方ないか、プログラマの近くで勤務することができるなら、
ITサポートデスクへの配属を承諾します。

研修が完了し5月中盤、実際に勤める先となったのは
群馬県のとある工場内におけるITサポートデスクでした。

突然の駐在勤務に戸惑い、会社から住む家の選択肢を用紙にて渡され
内見することも無く、自分の車を使って家財などの引越しをし、勤務を開始することとなります。

今回はここまで、次回に続きます。

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