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「バベルの図書館」と「文字禍」を読み比べてみた【徒然読書53】

文字や図書館がテーマの小説やビジネス書に惹かれるときがあります。

興味が日々で変わっていくというのは、自分が多くのことに触れていてたくさんの人と話していろんな本を読んで受け止めている証拠だと思います。

さて、最初に「文字」について興味を持つようになったのは、中原敦の「文字禍」。

高校生の私にとって強烈で今でも時々読み返している本です。
何が強烈だったのか言語化できませんが、そういう感覚が本当に影響を受けたと言えるかもしれません。

ここから、ブリューゲルの「バベルの塔」のつながって、もともとはいちなる言語があったけど人間の傲慢さにキレた神様が人間のつながりをばらばらにしてたくさんの言語が生まれたという旧約聖書の一節を知りました。

ここから『自分の頭で考える読書』を読んで、ボルヘスの「バベルの図書館」を知りました。

そこで実際に読んでみようと「バベルの図書館」が含まれている『伝奇集』(1944年発売)を購入。

わずか14ページしかないけれど、まず内容が分からない。
何をモチーフにしているのか…なるほどボルヘスの著作は難解と言われているらしい。

ひとつは、図書館はあまりにも大きく、人間の手による縮小はすべて軽微なものであるということ。
いまひとつは、それぞれの本が唯一の、かけがえのないものだが、しかし、(図書館が全体的なものであるので)千の数百倍もの不完全な複写が、一次あるいは1つのコンマの相違しかない作品がつねに存在するということ。

『伝奇集』「バベルの図書館」p111

古代アレクサンドリアの図書館は世界規模だったのにキリスト教が国教になった時代に焼き払われたり・・・

読み書きが出来るのは当たり前ではなく知は独占されるもの。

だけど図書館という宇宙自体から見ると些細なこと。

遺伝子のように、大きな違いはたった1つの相違から生まれていること。

ということを言いたいのでしょうか?
書いていて???状態だけれど、じっくり読むたびに見方が変わってきます。

唯一頭に入ったのは「図書館は無限であり周期的である」ということ。

仏教の輪廻のようなイメージを抱きましたが、図書館に限界はないけれど、見るたびに進んでいるというか変わっているのではなくて、一定の間隔でまた戻ってくる(繰り返される?)。

だから壮大な空間をもちうるのかなと感じました。

一旦原点を読んだあとに、「バベルの図書館」を読むきっかけになった『自分の頭で考える読書』でどう取り上げられていたのかを読み直しました。

ところが、章の始めに一部分のみ取り上げられているだけでした。
入り口のようにおかれていて本文にはあまり関わっていません。

図書館があらゆる本を所蔵していることが公表されたとき最初に生まれた感情は、途方もない歓びだった。すべての人間が手つかずの秘密の宝の持ち主になったような気がした。

『自分の頭で考える読書』の「バベルの図書館」引用文

逆にこの3行しかないのに覚えていた自分の記憶の不思議さを感じました。

ということは、自分で解釈していくしかない。
ですが、現時点ではまだつかみきれていないので、幅を広げそして深めていってまた戻って読み直そうと思います。


「文字禍」と読み比べて思ったのは、25文字ですべてを表せる奇妙さを「バベルの図書館」が触れており、文字の霊を引き合いにした「文字禍」と遠くでつながっているようなつながっていないような。

そんな曖昧な感じです。

図書館には全知があるというのは過言ではないけれど、なぜそれがなり得るのか神や悪魔的な力によるものなのか。

頭の片隅に残ったままのぼやーっとした問いを大事にしていきたいです。


最後に、「文字」関係で気になっているのは、以下の本。
何冊か購入したまま積読になっていますが、「文字」について感がるときに読みたいと思います。

一文字ずつ消えていく世界がどういう展開になるか終わり方が気になります。

「禍」ではなく「渦」。
大学生の時に途中まで読みましたが断念。再チャレンジしようかな。

この本は高校生の時に断念…でもよく紹介されているしじっくり読みたいです!

これは今読んでいる途中だけれど、図書館の歴史を学んでいるみたい。


ここまで「文字」や「言語」について書いているとタイポグラフィも勉強したくなりますね✨

私の趣味が暴走したマニアックな記事をここまで読んでくださりありがとうございました!

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