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文化史の先駆者ブルクハルトについて【温故知新⑤】

ヤーコプ・ブルクハルト(1818~1897)を知っていますか?

スイスの歴史家で、文化史を広めた人物の1人です。
ブルクハルトで有名な著作は『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)ですね。
ニーチェと同時代に生きた人でもあり、仲が良かったと言われています。

私が歴史哲学を少し勉強していたときに、1番惹かれた人物です。

普段使っている「歴史」という概念について、こんな思想があるんだと読んでいただけると嬉しいです!

さて、「歴史」をどのようにみるか?、だけでも多くの思想があります。

ベストセラーになった「サピエンス全史」も歴史観の一種だと思います。

多く展開されている歴史観ですが、避けて通れないのが、ヘーゲルの「世界精神」です。

それを真っ向から否定したのが、ブルクハルトでした。


ヘーゲルにとっての歴史(世界史)は、「精神がどのようにしてその本来意味するところの意識に到達するかの叙述」です。

人間ではなく、「世界精神」が世界の中心であり、歴史はどんどん良い方になっていくという、ある意味楽観的な歴史観でした。

ちなみに、歴史を最終形態(終末)へ向けての発展の過程と見なす考え方を「進歩史観」といったりします。


それに対してブルクハルトは、歴史の出発点を「ただ1つの恒常な私達にとって可能な中心、言いかえると忍苦し努力し行動する人間」としました。

歴史とは、安定した規則性として、直観しうる同一のもの、恒常のもの、類型的なもの、たえず反復するものである。

ブルクハルトにとっての歴史は「世界精神」に即して発展するのではなく、繰り返すものでした。

そしてブルクハルトは、「ルネサンス」に注目し、歴史を動かすのは人間だと主張したのです。


また、ヘーゲルは歴史上の偉人の功績や実績にフォーカスし、超越的な歴史観の一部分としていました。

これでは、「偉人」といったら圧倒的なカリスマ性をもつ個人に限られます。

ブルクハルトは、「歴史的偉人は幾重にも制約された一種の不確定」であるとし、その行動に移すまでの意思や情熱に着目しました。

このように、歴史の出発点と偉人について、ヘーゲルとブルクハルトは異なった主張をしました。


ここで、ブルクハルトのいう「偉人」とはどういう人なのかというと、詩人や芸術家です。

まさにレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロあたりですね。

たえず移り変わる現象の中に類型的なもの、本質的なもの、不変恒常の特性を見出そうとすることこそ、個性であり自我の発見につながるのです。

個性の自立的な発展こそが真の文化に通ずる唯一のものである。


最後にブルクハルトは歴史の中に生きる人間がとるべき態度について、「思索する人間にとっては、これまで過ぎた世界史を前にして、どのような偉大さに対しても精神を開いておく」ことと述べています。

歴史は神という絶対的存在によって意味づけられ、支配されるような「超越論的歴史」ではなく、個々の人間の視点からみて、異なる事象のなかに本質を見出す。

それは、絶対的存在が揺らいでいる今を生きる私たちにとって、必要な態度なのかもしれません。


ブルクハルトの歴史観について、書きましたが、まとめるのが難しいですね・・・

著作の分野も幅広く、理解にはまだまだ道のりが遠いです。

だけれど、個人を主体とした歴史観には共感が持てますし、もっとブルクハルトについて知りたいと思います。

今回参考にしたのは、『世界の名著45 ブルクハルト』に含まれている『歴史家ブルクハルトの人と思想』(柴田治三郎著)です。

世界の名著シリーズは、様々な思想家の著作が含まれていて、とても勉強になります。

図書館に大体おいてあるはずです。


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