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鉄オタ的に猛虎旋風に肖った話

 昨年の話になってしまうが、今もなお記憶に鮮明な方々は多いだろう。
 9回表。阪神守護神、岩崎優が栄光の架け橋を登場曲にして甲子園のマウンドに立ち上がった。栄光の架け橋は、奇跡のバックホーム。そして脳腫瘍との闘病の末に逝去した横田慎太郎の登場曲であった…のは関西・そして野球ファンには有名な話である。
 9回表、実際にテレビで中継を観戦していたので自分はその様子を固唾を飲み見守っていたのだが、あの大きな歓声と押し寄せる波のような…というか、少しづつ待ち望んだ栄冠が見えようとするあの時間は、ソワソワするしかないモノだった。
 途中、9回の投球では坂本勇人に本塁打を献上、秋広優人にヒットを許す…と更に緊張を加速させたが、最後に北村拓巳を打ち取って抑え、3アウト。阪神はこの瞬間に18年ぶりの優勝を決めたのであった。栄光の架け橋が架けられ、岡田監督だけでなく横田慎太郎のユニフォームも岩崎優の胴上げによって宙に舞う…とあの瞬間は忘れられないものになったろう。
 さて、ここまでが阪神18年ぶりのリーグ優勝に関しての記述だ。
 阪神タイガースの親会社。それは一体…と言わずしても、鉄道会社として。阪神電車として日々の生活の足になっているのは周知の限りである。
 優勝決定の翌日から、阪神電車では。そして阪神の企業関係では多くのイベントが開催された。自分にとっては関西で暮らす上で都市伝説級だったこの話題には、『忘れないように』との思いから多くの記録に向かったものである。

 まず、阪神電車ではこの『優勝』の記された副標を電車が掲出。しかも5001形ジェットカーに関しては副標かけを装着していないため、円板のHMを掲出して走行する事になった。
 この大歓喜には虎ファンのみならず鉄道ファンを巻き込み、駅構内ではカメラを向けて撮影する人が阪神電車内で定番の光景になったのである。
 かくいう自分もその1人だ。
 副標を中心にし、装飾で盛り上がる駅構内を撮影したり様々な光景を目に焼き付けた。

 そして、今回の阪神優勝では18年前と決定的に違う事がある。
 阪神電車の直通先が増加し、18年前には既に直通していた山陽電車の姫路以外にも、阪神の悲願であった西大阪線の延伸開業として阪神なんば線が平成20年に西九条から大阪難波まで到達。これによって、阪神電車の直通範囲は広大に奈良まで拡大した。
 とその為、18年前にはまだ夢で終結するはずだったであろう近鉄電車との並びを撮影する事が可能になったのである。これは自分にとって大きな感動であり、18年という阪神電車の歩んできた歴史の長さというのか、時間の早さを思うような共演であった。
 写真は近鉄難波線・日本橋駅で近鉄のラッピング電車・ならしかトレインと共演した瞬間だ。この並びの撮影できた時には一入の感動があったモノである。
 と、近鉄電車と阪神優勝が並び、18年間の歴史の経過を鉄道ファンなりに感じる事が出来た…として。ここまでは日常の範囲内にあった事だ。
 だが、信じられない話が飛び込んできた。
 鉄道ファンとして、この話を聞き逃さない手はなかった。

 阪神優勝の記念事業として、普段は武庫川線で運転している5500系タイガース号と甲子園号を併結させて、本線を走行させるというのである。
 実際、武庫川線向けに改造されているとはいうものの起動加速度は5500系4連時代と何ら変化はない車両だ。こうして4連を組成して本線の普通車として走行する事は全然容易いのである。
 運転された日数は3日間。まだ9月度だったが、日差しも暑くペットボトルの水が手放せなかった。
 金〜日の3日間、実際に。しかも時刻公表で運転された優勝記念のタイガース号+甲子園号だったが、多くの人を惹きつける存在となった。虎ファンは勿論、鉄道ファンを巻き込んだ(改めて)関西の一大社会現象の寸前まで達したのである。
 最初は大石で撮影。そしてそこから先、撮影地を転々としていったのだが本当に爆笑でしかなかった。まさかタイガースが優勝してこんな事が現実になってしまうなんて。

 本線普通車として、1日の固定された時間を走っていたので多くの人の目に触れる事になった。
 写真は西宮で待避し、特急・急行に道を譲る様子である。この時間が撮影時間としてかなり長く、自分の中でも稼ぐのには良いタイミングだった。
 この時も多くの人々がシャッターを切り、阪神優勝の歓喜に満ち溢れていたのである。
 普段は武庫川団地までの短い道のりを粛々走って朝から夜までを過ごす同車だが、こうして本線の車両たちと顔を合わせ共演する事はイベント以外で滅多にない。
 そして、阪神電車としての歴史内では、各駅停車…普通車用に専用塗装として制定した青を使用した『青胴車』ではない普通車が走行したのは実に何年ぶりの事だろう。
 恐らく読者内でも勘のある方。そして自分もそうなのだが、恐らくステンレスの初代ジェットカー・5201形のジェットシルバー以来、青くない阪神普通車が走行した…のではないだろうか。そう思う。
 途中、幾つかの駅での待避では多くの人々の記念撮影の的になっている姿がなんとも暖かい光景であった。

 この日のタイガース号+甲子園号の本線走行は、車内も見所であった。
 通常は車内広告の一角に鎮座する、リーグ優勝の広告を全てに張り巡らせ、阪神優勝の歓喜を更に後押ししたのである。
 このムードには流石に圧倒され…というのか、18年間の溜めに溜め込んだ気持ちの爆発というのだろうか。優勝への歓喜を人一倍、誰よりも喜びたい親会社の気持ちが溢れているように感じた。
 ファンもそうだが、親会社あってのプロ野球なのだと考えさせられるばかりである。
 写真は西宮での待避途中に撮影した様子である。列車にもよるが、西宮での待避時間はかなり長く列車によっては車内を一巡して次の列車に乗車する事も可能になっているのだ。
 ま、まぁそんな奇人な事をするのは鉄道ファンくらいしかいないだろうが…

 タイガース号側面より。やはりこの記録はしておかねばというモノだった。
 本線運用に支線車両が入った何よりの証拠にはなる…のだが、オリックス時代の岡田監督を断片にして知り、そしてそれを再び阪神でも引用した『ARE』の言葉。
 元々はオリックス監督時代に選手の負担を軽くする為、優勝の文字を封印したのが最初なのだが、時を経て再び社会現象寸前の言葉になるとは考えてもいなかった。
 関西で旋風を巻き起こす猛虎の塗装に、岡田監督の。そして皆んなが願った大願が掲げられる。
 この瞬間は絶対に記録しておきたかった。阪神電車では車両にタイガースのスローガンが毎年チームとして掲げられているのだが、その中でも特に人々の注目と認知を受けたのはやはり令和5年の『ARE』だろう。

 優勝を祝う副標も、虎柄の電車には綺麗に似合うモノだった。いや、この時の装着はこの車両の為に掲げられているのだろうかという勢いでサマになっていた。
 こうして注目を浴びている姿を眺めていると、阪神の世間に対する色というのは電車の塗装ではなくタイガースの虎色なのだろうかと少しながら思うところがある。
 ま、阪神電車は関西の大手私鉄で最も距離が短いそうです。阪神の知名度は本当に野球によって率先されているのだなぁ…というか。

 西宮から、急行に乗車して次の撮影地に向かって進んでいく。
 急行の車両は、既に巨人色塗装を変更されて18年前には純然たる赤胴車であった8000系。
 かなり長い時間、普通車は待避するのでこうして移動の足も細かく拾えるのが特徴だ。阪神電車の鉄道商売の個性が少しだけ垣間見える瞬間でもある。乗客にとって、いかに早く移動できるか。そこに撮影する身としても少しだけ便乗が可能なのである。
 写真のLCDは時々バグを起こし、『みさのなま足 阪神電車』とも表示される事で有名なモノ。
 そして時には阪神なんば線に乗り入れて走る近鉄電車でもこの表示を確認する事が可能だ。
 これもまた1つ、本線を走る事への証拠の1つなのである。

 そのまま急行に乗車して、今津に移動する。
 この短区間の移動には他にも鉄道ファンが乗車し、短いながらの乗車になりながらも急いで向かえばこうして綺麗な編成写真が撮影可能というモノだった。
 運転されたうちの3日間、特に金曜だけは綺麗な晴天だったのでこうして綺麗な編成写真を順光線の状況で撮影可能だった。本当に嬉しい記録の1つになり、鉄道ファンとしても。関西暮らしとしても嬉しい1つの断片になった。後に語り継いでいくのは確定の上だろう。
 少し影は引っ掛けたものの、全然写真としての仕上がりは十分にいくものだった。

 そのまま今津〜尼崎まで優等列車に乗車し、そのまま尼崎から後続で拾って車内へ。少しだけの区間であるが、乗車する事にした。
 車内は消灯しているのだが、連結面。
 5500系として(形式は変わっていないのだが0本線で活躍していた頃に関してはこの部分に座席があったのだが、武庫川線で活躍する旧型車両たちの置き換えとして運転台を設置し、先頭車として運転できるように改造された。
 その結果として、通常の阪神電車に存在している運転席後方の座席がないのが特徴だ。この姿が5500系武庫川線用のシンボルであり、改造された形跡が大きく残る場所となった。
 もちろん、タイガース号として電鉄を親会社にして率いる球団の色も忘れてはいない。阪神を愛し阪神電車に乗車する誰もの待ち望んだ虎柄の電車が、一時的に帰ってきたのであった。
 そして、連結面から先も優勝ポスターで埋め尽くされている。車内は完全にお祭り騒ぎ?状態といったところだろうか。

 途中、千船で直通特急を待避した。
 久しぶりの本線復帰として特急列車の通過待ちを体験したタイガース号は、一体どのような面持ちだったのだろうか。
 この時も鉄道ファン。乗客は炎天下の中であったが盛んにシャッターを切っていた。運用が普通だった事もあるのだが、途中の区間には撮影のポイントも挟んで(絶対にそうではないのだが)梅田並びに神戸のターミナルを目指していく結果になった。
 通常は共演のない、山陽電車の車両と共演。この姿も、本線を走行している間ならではなのである。
 そして車掌の掛け声で再び車内に撮影者は戻り、タイガース号+甲子園号のペアは梅田を目指し進んでいく。
 謎のツアー列車かのような一体感が、見ている者としては非常に面白い風景であった。

 そのまま、タイガース号に乗車して姫島にて下車した。
 駅には優勝のポスターで感動に染められている光景が。すかさず共演を狙う為に向かい、タイガース号の側面と撮影した。阪神電車の光景に、ここまでのタイガース要素が垣間見えた事がかつてあったろうか。鉄道会社を親会社に持つ球団というのは希少な存在になったが、その盛り上がりの頂点を覗いたのであった。
 個人的には並ぶポスターとの共演も…なのだが、乗客に乗務員のフレームインしない状態で撮影できた喜びもまた大きいのであった。
 そのまま姫島で発車を見送り、梅田方面に向かって進む虎色の電車を目で追った。

 姫島での撮影。
 実は側面でのポスターとの共演を狙った後、駅の先端方面に向かって普通車同士の共演を狙ったのである。
 丁度、この姫島〜淀川では梅田方面に向かう普通車たちの折返し共演する場所となっており、ここでは並ぶ姿の撮影も可能になっているのである。
 と、偶々であるが5500系同士の共演となった。片方は最新鋭の普通車・5700系に準じた改造で姿が完全に一変し、片方は改造で支線への使用を前提に転職する形となった。
 撮影者の多い状況であったが、なんとかして改造された5500系同士の並びを収める。
 小学生以来、アレグロブルー+シルキーホワイトの姿で馴染んだ5500系電車だが、まさかその塗装も5550系のみになり、そして5500系も完全に改造され原形を失っているとは想像もしなかっただろう。時を経た姿の共演だ。
 神戸方面へ向かう5500系も、優勝記念の副標を掲出している。流石に阪神電車全ての車両への副標装着となると、目立つし多いしよく見かけるものだ。

 そのまま、姫島で知り合った鉄道ファンと意気投合し尼崎へ。
 尼崎ではこの時間に順光線となる為、多くの鉄道ファンが駅の先に集った。
 その様子に一般乗客も気付いたのか、多くの乗客が姿を撮影しようと集ってきた。しまいには撮り鉄同士で形成したひな壇の崩壊を恐れてしまう勢いにして膨れ上がったが、なんとかしてその姿を抑える事に成功した。
 梅田方面から折返した姿をそのまま撮影。
 なんとか甲子園号先頭にして、様になる状況の写真が残せたように思う。というか、構えるのは必死の状況だった。今でもあの熱気は忘れる事がないかもしれない。

 5500系の支線転用車両だから…といって、通常のようにワンマン運転が可能なわけではない。
 かつての本職と同じくして、車掌を載せて走行しなければドアの扱いも出来ないし車内放送も流せない。(武庫川線内は自動なのだが)
 として、この車掌と共演する姿は本線で連結組成して活躍する際のみの光景なのである。
 登場してから間もないのだが、こうして車掌を載せて日の目を浴びる時が来るとは思いもしなかっただろう。
 そしてそのまま、起動加速度も本職時代と同じペースを保っているので、
『先頭車だけの色違いジェットカー』
となるのである。あの勢い良い加速が乗車時に体感できた時は、なんとも言えない感動に包まれたものであった。

 あまり大きな考えもなく、鳴尾・武庫川女子大で下車。
 一応後方の姿だけを撮影し、次の場所に備えて移動開始だ。しかし、あまり思い付く事がない。さてどうしたものか。
 少し暗い場所、かつズームを使用した状態ではあるものの撮影した後でも、しっかりとパンタグラフの特徴的な配置が分かる。切り離して2連でも運用が可能になっている大きな証拠だ。
 拡大しつつ、後方を去りゆく姿を焼き付けて考える事にした。
 この間、考えている間というか待機している最中に様々な阪神電車が撮影できたので掲載しよう。

 やはり阪神といえばこの異端的な編成を忘れてはならない。
 震災復旧編成、8502編成だ。梅田方から編成を呼称する阪神の慣習に倣って、8523編成と呼ばれる事もある。
 元々、8502編成はこの顔を両端に持ち8501+8502のユニットで運用を切り回していた。しかし、阪神淡路大震災に被災。その結果として片方の8501ユニットを廃車にし、片方に8523のユニットを併結して復活したのだ。
 阪神8000系には、幾つかの震災復旧編成が存在する。しかし、最も色濃くその復旧の姿を残しているのがこの8502編成だ。是非とも阪神に乗車した際には、伝統的な阪神スタイル。そして片方ユニットだけ異なる窓の形状などを見てほしい。
 つい数年前までは山陽線への乗入れ制限があったものの、試運転を実施し、山陽姫路への乗り入れを開始。震災復旧車として阪神の語り部になるだけではなく、赤胴車の更なる戦力として大車輪の活躍を見せている。
 優勝副標を装着し、震災という暗いトンネルを抜け、親会社の盛大な歓びを体感する事になった同編成。これからも楽しみである。

 もう1つ、9000系。
 現在は阪神なんば線での活躍も交ぜながら、1000系同様に山陽姫路〜奈良間で長距離。そして阪神の乗り入れ役としての存在を発揮する9000系。
 しかしこの車両、見かけると相当珍しい(あまりそうでもないか)のだ。
 それも震災復旧用に急遽誕生した形式であり、現在の活躍からは遠く離れた存在であった。
 震災復旧として、廃車になった編成たちの代替新造で誕生した9000系。時を経て1000系同様の改造が施行され、近鉄乗り入れの華々しい活躍にも充当されるようになった。
 編成の数は少ないが、大いなる使命と躍進的な成長は、阪神という1つの電鉄会社を見守る者として大きな感動を呼び込むものである。

 一応、次の撮影では淀川へ。
 しかし影の侵食、そして鉄道ファンの多さに根負けし、あまり良い記録は残せなかった。
 こうして少し地味な記録が精一杯というところなのか。

 そのまま、梅田方面に向かっていく姿を甲子園号の後打ちで撮影。
 面に光を当てて、
「ま、こんな感じにして良いのかな」
となんとか形だけでの妥協。そろそろ難しい時間になろうとしてきた。

 野田へ。
 そのまま被られたので、適当な並びで何とか誤魔化す。
 1000系との本線上での共演はこうした時だけしか狙えないので、コレに関しては良かったのだろうか。
 ラッピングの1000系でなければ見逃していたような気が今ではしてしまう。辛うじて3色を収め、急行に抜かれるのを撮影時間でカバーした。

 優勝ロゴと、タイガース号に装飾された球団ロゴの撮影。
 姫島でも同じような感じだったが、やはり球団ロゴにプラスして虎色というのは阪神のらしさ、タイガースの特別感を良い感じに演出していて引き締まった色合いにしてくれるものだ。
 きっとこういったポスターとの共演を見返した時、
「阪神が優勝したからこんな色の電車が本線を走行したんだ」
と思い返せるはずである。そうした意味も自分に投じるような気持ちで、撮影したのであった。

 野田を発車して、再び各駅停車の長い旅に出発していくタイガース号。
 この時点にして、ようやくこの特別運行の目玉である『普通』表示をゲットする事が出来たような気がする。
 本当にLED表示の貧弱さには頭を抱え、ないようなものとして向き合っていただけにこのようにして微力ながらも残った事は非常に大きい。
 フレームギリギリの画角になったが、特別な電車を見送って次の場所へと向かわんとする。

 そのまま武庫川を渡って、甲子園にまでやってきた。本当にここまで来ると、自分の直感任せだ。
「あぁそういえばこんな場所もあったもんかね」
など、言い聞かせつつ向かう。
 甲子園では、少し珍しい1000系の直通特急の仕事に遭遇した。奈良から姫路まで、阪神電車で最も長距離を走行する働き者の姿である。
 快速急行や奈良の表示にすっかり慣れてしまうと違和感を感じるが、阪神の急行用編成として赤い種別表をを掲げて走行する姿は撮影すると絵に仕上がってくる。
 優勝副標を光らせ、そして夕暮れの甲子園駅に銀色を輝かせ発車していった。
 ある意味で、1000系も銀基調ではあるが虎のような色配置で、阪神にタイガース在り、の精神を大きく示しているような気がせんでもない。

 甲子園で撮影。
 駅先は狭いのだが、YouTube投稿の為に動画を回す余裕もある状態で何とか記録になった。
 既に昼下がりなった…状況の甲子園だが、なんとかして甲子園号に強い太陽の光を当てて記録さす事が出来た。
 後方、タイガース号は影に消え。そして表示も完全にLEDの状況で爆散してしまったが、やれる事は全て残して(この場所で)の結果だ。善処はしただろう。
 そのまま撮影の場所を神戸方面に移動さす為、再び移動を開始した。

 次に行ったのは、芦屋から先の石屋川。
 ここも場所的には中途半端に終わってしまうが、頭の中では
「甲子園号の順光写真がないからどうにかせんと」
と、甲子園号を記録する事ばかりに考えが進み、結局この場所になってしまった。
 背後にチラッと黄色い電車が連結されているのが分かるだろうか。その姿が、タイガース号である。少し見えただけでも良いだろうか。
 と、この石屋川から仲の良い友人と合流し、そのまま終点の高速神戸に向かって神戸方面を更に先へと進んでいく事にした。

 甲子園号の車内に入り、そのまま終点を目指す。
 車両は簡易的なLCDを装着しているので、通常の5500系と異なるのが鉄道ファンとして更なる観察ポイントになる。このLCDの動作する姿を撮影している鉄道ファンもこの日は非常に多かった。
 通常であれば、武庫川線の僅かな駅数を表示するだけに留まったが久しぶりの本線復帰。大阪梅田〜高速神戸に有る全ての駅を表示し、久しぶりの爆走に力の入る気合を見せてくれた。
 英語での『Akashi』表示もこうした本線復帰限定のワンシーンだ。左端に映り込んだのは、優勝ポスターと合わす為である。

 高速神戸到着。通常の普通車と殆ど同じように走行しているので、高速神戸に到着すると神戸高速線への乗り入れ車両と共演する。
 この時は、阪急の7000系更新車両と共演し、武庫川方面で活躍している現在では全く無縁の車両と並ぶ事になった。
 っと。こうして地下に入る姿も、現在だけの姿である。初代のステンレス普通車、5201形以来の色違い電車として、ここまで派手な車両が本線を走行し様々な車両と共演するなんて誰が考えたのだろうか。全く。

 高速神戸から、引き上げ線に一旦上がって梅田方面に向かって折り返す。
 この際に一瞬だけ、レトロな装いの地下を通過して入線するのだが、こうした姿も現在だけで有る。久しぶりに帰ってきた姿は、阪神を象徴するド派手な虎の色。多くの関西民の歓びを詰め込み、電車は再び梅田に向かって走り出した。
 高速神戸のレトロな駅名標類との共演が撮影でき、感無量というのだろうか、万感たる思いにさせられた。

 その後は友人と別れて再び自分だけ阪神本線へ。姫島にて(?)陽が沈んでいたので編成で軽く撮影し、梅田方面に行った後に神戸へと向かい折り返してくる甲子園号先頭の特別列車を待った。
 何回も撮影しているので、もうすっかり慣れてしまったのだがこの色の電車が阪神本線を走行し、武庫川線の垣根を軽く乗り越えているのは異常事態なのである。歴史的な瞬間に立ち会ってしまった。

 最後は神戸方面に向かって走っていく姿を出屋敷で撮影して、今回のミッション終了。
 夜の時間帯になっていたが、この特別なる姿の撮影にと多くのファンがやってきていた。そして、虎ファンのみならず。阪神優勝の経済効果に便乗した関西の人々からも熱い注目を浴びていた。
撮影には少しの難を喫したが、無事にこうしてまとまっているだけでも安心。そのまま家路に帰る事ができる。
 そのままこのタイガース号+甲子園号のペアは深夜まで走行し、最終間近の尼崎行きにも充当された。
 撮影日は9月中旬の金曜日であったものの、天候。そして日程にも関わらず脚光を浴び、阪神効果を大量に浴びた。
 この日は裏で播但線を大サロことジョイフルトレイン・サロンカーなにわが走行する裏ネタがあったのだが、深夜まで走行した事によって十分掛け持ちの方も可能になっていた。両方抑えた人も少なからずいたのだとか。

※通常のタイガース号の仕事。武庫川団地前まで至る阪神の小さな支線、武庫川線で普段は活躍している。表示も種別部にワンマンをLEDで表示させる為、車掌の乗車する本線運用だけでしか『普通』の青い表示には遭遇できない。

 最後に。
 この日は虎ファンの人々とも話し、阪神の優勝に涌く関西にどっぷりと浸かれた。甲子園駅前にあるチームショップ・アルプスに立ち寄ってから乗車したファンに、撮影時に見かけた多くの知人・友人。本当に多くのファンの感動と注目を呼んだ事を、改めて再認識させられた。
 …とそして、この18年ぶりの優勝に火が付き。最終的には38年ぶりの頂に向かって猛虎たち、若虎たちが止まらぬ疾走を見せ唖然としたのは、また別のシナリオなのであった…

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