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「出来上がったモノ」から逃れるために「出来上がったモノ」に依存する。

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こんにちは。いつもコラムをご覧いただきありがとうございます。S.C.P. Japanの野口です。今週は私が最近抱えている矛盾について書かせていただきたいと思います。最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。

本題に入る前に少しだけ自分のことを、、、私は幼い時から自分の「思考」と「発言」と「行動」が一致していない状況が異常に苦手です。自分自身が納得していないことを発言することは苦しくて、そういう時の行動はたいていキレが悪いですし、そもそも動けないことがあります。しかし、裏を返せばしっかり頭で整理して納得できたことであれば思考と発言と行動が一致するため迷いなく最大限のエネルギーを注げて前向きに物事に取り組めます。そのため、まずは「思考」を整理することが自分自身にとっては肝であり、それができず一貫性が持てない状況が続くと大変居心地が悪い状態になります。

さて、本題です。私自身もS.C.P. Japanも、一人ひとりが自分らしく生きていける社会を目指す上で「当たり前」や「常識」「疑いようもない仕組み」を疑うことで「出来上がったモノや考え方」からはじき出された大切なモノや考え方があるのではないか。ということを思い起こせば日々考えて、会話して、共有させていただいていると思っています。

しかし、そう考えて発言して行動すればするほど、自分自身が「出来上がった社会の仕組み」や「当たり前」「常識」に依存しながら生きていることを痛感させられるのです。

例えば、、、個人的な話をすると、、、

年を重ねた時に自分の保身のためにポジションに固執し誤った判断をすることが怖いと思ってしまうので組織に依存しない生き方をしたいと今からお金の運用をしています。ですがその運用方法は資本主義社会の象徴ともいえる米国株のインデックス投資を選んでいるのです。またその運用資金は出来上がった社会の中で、ある程度の信用を得られ安定している「教員」という職務のお給料から出ています。逃れたい「出来上がったモノ」から富を得、出来上がったモノに縛られない生き方を模索しているのです。。。

また、例えば仕事の話をすると、、、

ジェンダーやセクシュアリティの差別がなく誰もが安心・安全に自由に暮らせる社会になってほしいな。と思えば思うほど「女性」や「L・G・B・T」という言葉を多用してしまいます。そこに課題があることをなるべく分かりやすく伝えないと伝わらない。と、社会が勝手に作ったカテゴリーを壊していきたいのに、そのカテゴリーに自分自身が依存しているのです。

先日、ある打ち合わせに参加しました。組織の多様性を確保するためにセクシュアリティを見比べてしまいます。「ゲイばかりだね」、「レズビアンもいるね」、「トランスが少ないね。。。」多様性を確保するために表で表現されない部分を掘り下げて他人が議論をする。そもそも多様性とはこういうことだったのだろうか。でも、役員の集合写真が男性ばかりだとブツブツ文句を言う自分もいるのです。

多様な人に関わってもらいたいけど、カテゴリーが見えると特定の人しか参加しなくなってしまうのはカテゴリーで語るからなのかもしれない。
子どもには枠を決めつけないで自由にその子らしく遊んでいてほしい。凝り固まった大人が考えて決めつけた価値観よりもその子自身が感じた価値観を大切にしてほしい。と思いながらも、ある特定の価値観を伝えるプログラムから資金を頂きプログラムを実施しています。そうやって私たちは生かされ社会的な信用を獲得しているのです。
ある特定の人に金銭的負荷がかかりすぎると対等に意見が言いずらい。だから組織を運営していくために一律で経費を負担しましょう。知らないうちに私たちは、「お金」に依存して「対等」を獲得しているのではないだろうか。「お金」から自由になりたいのに、「お金」に縛られる。揺るがない基準として「お金」はなんて便利なのだろう。

「当たり前から逃れようとすればするほど当たり前に依存していく」この無限ループに私は今迷い込んでいます。(だから何だっ!!ってツッコミも受け入れます)

少し話は逸れますが、無限ループで悶々とグルグルしていた時にふと以前読んだ本を思い出しました。

 ジェンダーと開発の分野で「実践的ニーズ」と「戦略的ニーズ」という概念があります。キャロライン・モーザ氏が提案している理論です。これは開発途上国の女性のエンパワーメント(パワーを獲得していく過程)の分析概念で使用されます。
 女性が社会に置かれたジェンダーの役割を担う上で直面するニーズを「実践的ニーズ」と言います。例えば「水汲み場が遠く、道のりが危険なので家庭内の家事のメインを行う女性のために安全な水汲み場を近場に作ろう。」のようなニーズです。場合によっては死活問題のニーズもあります。しかし、このニーズだけ満たしていても社会の中での役割や社会の在り方は変わらず、むしろ出来上がった社会の在り方を助長してしまいます。
 一方で、「戦略的ニーズ」とは中長期的に社会の在り方やパワーバランスを変えていくためのニーズです。例えば「女性の発言力をあげましょう。」「女性にも教育機会を提供しましょう。」など、中長期計画で戦略的に社会のパワーバランスや社会の在り方に変化をもたらすことを目的としています。 「戦略的ニーズ」だけに焦点を当てていても、女性の今現在の生活で抱えている課題はなくなりません。そのため「実践的ニーズ」と「戦略的ニーズ」の両アプローチが必要だということなのです。

「ジェンダー・開発・NGO : 私たち自身のエンパワーメント」キャロライン・モーザ〔著〕 ; 久保田賢一訳 ; 久保田真弓訳

無限ループの中でこんなことが頭に浮かび、『「出来上がったモノ」から逃れるために「出来上がったモノ」に依存する。』ということ自体はある意味当然のことなのかもしれないなと少し落ち着いたところです。私たちは出来上がった社会の中で良くも悪くも生きていて、その中でしか新しい価値観にもチャレンジしていくことはできないということなんですね。(当たり前ですが、、)

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