「どこにいても愛してるよ」と言われたので一人でいる決意ができた
2021年は私にとっては珍しく、恋愛、もとい人間関係に対する考え方において激動に1年だった。ことの発端は、夏。これから長い時間を共に過ごすだろうと(勝手に)思っていた人が私のもとを去ったから。
この出来事に、私はかなりのダメージを受けた。身勝手で、我儘で、相手を慮りもしないくせに優しさに甘えて、そういう自分自身を認めては、激しく自己嫌悪する。ことあるごとに不正解を選んできたように思えて、これまでの楽しい時間すら振り返るのが辛くなる。
これじゃあ駄目だと私はマッチングアプリに登録した。気を紛らわしたい気持ちもあったけれど、なにより検証をしたかった。命題はこうだ。
「私は本当に恋愛ができないのか」
恋愛ではなかったけれど大切に思っていた彼を結果的に失うことになった私は、そもそもまともに恋愛に向き合ったことがない自分に気が付いた。
もしかしたら恋愛のためにエネルギーを割くことを面倒臭がっているだけで、アロマではないのかもしれない。だって彼の場合は私は一切頑張る必要なかったし。そこさえサボらなければまだ一緒にいたかもしれない。
正直、恋愛ができる人間でありたいという願望があった。
だって、そうじゃないと、やっぱり寂しすぎる。
***
雪崩のようにくるイイネから適当にピックアップして、腹の探り合いみたいなメッセージをやり取りし、そのなかの少なくとも突然襲い掛かって危害を与えるような人物ではないだろうという何人かとは実際に会った。
人に会うのは面白い。なるほど、恋愛に持ち込みたい男女はこういう会話をするのかという発見、上手な質問の仕方、相手への気の持たせ方(諸説あり)、試される演技力(これも諸説あり)、受けの良い香水(これも…以下略)、会う前には必ず指の毛を抜き忘れていないかチェックするという暗黙のルール。大抵の同世代は既に実証済であろうことを、今更ながら追ってみる。
私は、人生の優先事項を「仕事・夢」から「恋愛」に書き換えた。
*
そうやって夏が終わり、ほんのわずかな期間だった秋も去ろうとする頃、私はデートをドタキャンされた。出張でたまたま近くに行くので会うことになっただけの相手なので、互いに今後を考えていたわけではない。好みだったらなし崩し的に寝てもいいかなくらい。
それで、本当にふと、私はある人を思い出して短いメッセージを送った。
「今日、飲みませんか?」
送り先は大学時代の先輩。私がまだ髪色も染めていない18歳からの付き合いだ。彼女は私が留学中もインターン中もなにくれと気に掛けてくれ、私が「もうあかん!」というときに電話すると決まって1コールで出てくれた。真剣に将来のことを話し、仕事の相談をするときもあれば、4~5軒飲み歩いてとうとう行くお店すらなくなってコンビニで買った酎ハイ片手に公園で夜を明かしたこともあった。
そうそう、確か公園に行く途中で買っていたワインの瓶を道端で割ったんだっけ。調子に乗って飲み過ぎた大晦日もあった。あの年の元日は二日酔いでほぼ記憶がない。”自分の領域”が広い私にとって、数少ない気の置けない友人だ。
この日も、彼女は突然の誘いにも関わらず、わざわざ予定をこじ開けて来てくれた。電話は何度かしたものの、仕事の関係で互いに遠方に住んでいたこともあり、実際に会うのは2年ぶり。最後にあったのはコロナがはじまる直前の2月だった。
私は、これまでのことを吐き出した。私がアロマかもしれないこと、恋は出来なくてもパートナーはほしいと思っていること、その考えによって傷つけてしまった人のこと、マッチングアプリに登録して本当に恋愛が出来ないのか試したこと。
彼女は、なにも言わず相槌を打ち、たまに「ウケる」と笑いながら聞いてくれた。
そして、話し終えた私に対して開口一番に「大人になったねえ」と言った。しみじみとした口調に思わず吹き出す。親か。
そりゃあ、先輩に男性を紹介されてまごまごしていた18歳のあの頃とは違うだろう。そう答えながら、彼女には「いつかあなたに合う人が現れるよ」と一度も言われていないことに気が付いた。
それからはいつも通り。もともと恋愛をあまり必要としないタイプの私たちは、仕事や転職、院試について話込んだ。35歳にどんな自分でありたいかという話から、最近読んだ本の話、気に入ったインテリア、本当にくだらない些細なこと…。楽しいお酒の時間だった。ドタキャンしてくれた、もう名前すら覚えていないマッチングアプリの人よ、本当にありがとう。
終電が近づいてきた。明日、彼女は仕事があり、私は飛行機で帰らなければならない。次に会えるのはいつだろうか。「元気で」「頑張ろうね」。駅の改札口でそう抱き合った。
「ねえ」
改札口を抜けた私を、彼女はそう呼び止めた。
「他人じゃなく、昨日の自分と戦う人であり続けようね。私は、あなたがどこにいてもあなたのことを愛してるよ」
***
思い出したことがある。みんなそうだった。家族も信頼している友人もみんな「私がどこで何をしていても応援し、愛してくれる人たち」だった。それなのに、私が私を一番置き去りにしてしまっていた。
そりゃあね、恋愛至上主義の現代で恋愛できないアロマはなかなか思うようにいかない。愛情はあるのに、相手の求めているソレとは異なるがゆえにすれ違うなんてことも多々。かといって、一人で生きていけるほどの強さもない。人生は想像以上に厳しくて寂しい。恋愛結婚以外にだれかと生きる選択肢がほしいと常々思う。心底。
けれど「私がどこで何をしていても応援し、愛してくれる人たち」がいるという事実は、しょげていた私をほんの少し元気にし、ほんの少し勇気づけ、前を向かせてくれた。
まだ、だれかと共に生きることを諦めたわけじゃない。
でも、一人でいる決意はできた。そういう出来事だった。
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「アロマ」ってなに?について
この名前を知ったとき、これまで色んな人に無邪気に傷つけられてきた私が報われるような気がした。ほっとした。同時に、腹の底がヒヤリとしたけれど、それには気が付かないふりをした。
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