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改めての自己紹介:あるいは90年代に密教とかスピリチュアルとかがこっそり好きだった子供はテロと戦争の時代を経ていかにおとなしくしかし慎重になったか

別の記事に書いたことですが、この週末、ちょっとした不思議な体験をしました。いえ、オカルトという体験ではないんです。私、長らくネット上にて「YASHIROヤシロ」というアカウントネームで、ホラー映画解説とか、世界の幻想文学レビューとか、あるいは自分の夢解釈などをやってきた者ですが、そういうことを話す時に常に併記を心掛けてきました。「あ、私自身はオカルトを信じていませんのであしからず」と。

ところがですね、実はこの言い方には含みがありました・・・私はいちおう科学信仰者であり、そういう意味では、幽霊とかネッシーとかそういうわかりやすいトンデモはとうてい信じていないのですけど、奇妙な偶然とか、臨死体験とか、あるいは深い瞑想状態にある人が不思議な神秘体験をリアルに感じてしまうこととか、そういう、「科学でもいつか説明可能になるかもしれないが、今のところ、曖昧で不可思議でよくわからない現象」については、「そういうフシギなことはあるかもしれない」とおおらかに受け入れている

人間の脳の未発見の可能性とか、宇宙における不可思議な共時性?うーん、それなら、もしかしたら、何か未発見のものはあるんじゃない?くらいな軽い感じでね。

だが、私は↑この程度のソフトな「ふしぎなことはあるかもしれない派」である態度も、長年、ずっと隠してきました。臨死体験のような、「超常現象ではなくて、単に脳の生理現象かもしれない」という曖昧な解釈の余地があるものすら、見かけ上は、「いや、でもアヤしい話ですよね」とダメ出ししてました。かなり厳しく。

なぜ、「どう見ても不思議大好きで、そういう本の紹介をネットでもよくやっている人なのに、巷のオカルトなニュースには即座に拒絶反応をするのですか?」って?

世代が違う人には伝わらないかもしれないけど、、、まず、私は90年代育ちだですよ。

オウム真理教のテロ事件をリアルタイムでニュースで見たからですよ。地下鉄事件の日に一斉休校になり、何があったんだと混乱しながら家に帰ってテレビをつけてニュースを見て青くなった少年だったからですよ。

はいはい、はいはい、そうですね、同世代の人ならばぴーーんときた人もいるかもしれません、おう、ぶっちゃけましょう!オウム真理教の事件を見たせいで、本棚にあった、中沢新一先生の「チベット密教の体験記」とか、井筒俊彦先生の「意識の形而上学」とか、あるいはもっとサブカル系の「カスタネダのメキシコインディオ呪術師との出会い」とか「アメリカインディアンの神秘体験」とかいった本を、あわてて親から隠して捨てた子供の一人なわけですよ!いや、恥ずかしいねえ、告白するのは!おうおう、そうですわい!私もチベット密教恰好いいなぁとか、カスタネダ凄いなドゥルーズ凄いなとか、思ってましたよ90年代前半には!ああ恥ずかしい!!!ああ、でも告白してスッキリした。

私自身も、身近にも、オウム真理教やその他のカルト教団に関わった人はいなかったけど、あの頃の「ふしぎ」ブームの盛り上がりを面白がっていた小僧であったことは間違いない。オウム真理教のことは笑っていたけど、あの教団の幹部が「入門」に使っていたサブカル本とかは、たぶん、同じ世代のものを読んでいた筈だよね。やだね。

まぁそんなことがあってから、私は本気で、自分の人生から、オカルト好きや、不思議話好きの気配を消し、なんと理系エンジニアとして就職して今日まで生きてきた。

でもそのいっぽうで、どうしても、少年期に読み貯めた、サブカル的な意味合いでの「ふしぎ」「神秘的」な話題は気になっちゃうので、こういうウサギの顔キャラクターイラストを描いて、身バレしないようにしつつ、そういう本や映画やサブカルの紹介をネットで活動してきました。↓

でも、そういう二面生活にも疲れてきましたよ。そこでですね、この11月にえらい体験をしてしまったこともありますし、もう少し、堂々と開き直ろうと思うんです。

「ええ、私、オウム事件と同世代です。そして同世代と同じく、あれ以来、カルト宗教とかニューエイジとか精神世界とか名の付くものには生理的に拒絶反応があります。ただし、そのくせ、けっきょく臨死体験とか夢判断とか瞑想とかチベット密教とかの本はずーーーーっと隠れて読み続けておりました、やっぱりいけませんか?もう、少しくらい、表社会でチラ読みくらいはしてもいいですか?」って。だめかな。

そういう思いもあって、約二十年ぶりくらいになるのか、中沢新一先生の『チベットのモーツァルト』を読んだ。


「西洋の合理主義では抜け落ちるものを」「微分積分や量子力学といった知の最先端の横断的な引用を使って読み解くことで」云々とか、いやぁ、もう、こういう文体自体が懐かしいですねえ。当時はこういう、「既存の学問ではとらえられない新しいアカデミズム」みたいなもんが流行ったんですよ。もう伝わらないだろうね。

オウムの話は、さすがに遠くなったが。でも、カルト教団による騒動はまだ日本では続いているし。そもそも世界でも、宗教を巡る殺し合いは激しさを増している。こんな時に「宗教的なこと、スピリチュアル的なことってのは、実は、よいものなのだ」なんて安易なことは、口が裂けても言いたくない。

ただし、90年代に拒絶反応を示してから月日がたち、「あの少年時代に、面白い!と心をときめかせた、サブカル宗教っぽい本やフシギ話に見えた、あの開放感は、いったいなんだったのか?」は、この年齢になってから真摯に考え直したいと思っています。

↑というわけで、今日は、長年のネット活動の中間報告的になりましたが、最近考えたことを踏まえての、あらためての自己紹介。これからも、世界のフシギな話や怪談、幻想文学や、夢や無意識世界を巡る不可解な話の発見などを発信していきますので、みなさまなにとぞ、今後ともよろしゅう。。

追記:この記事を書いた後、「そんなに真面目に、人類の宗教や精神世界やフシギな伝統に興味があるなら、ちゃんと学問的に勉強すればいいのでは?」と妻からたいへんまっとうな指摘をいただいたので、今後、そうするかもしれない。。。宗教学とか民俗学になるのかね?まずはこちらの本をしっかり読み始めましたが、なるほど、こういうことを私はやりたかったのかもしれないと、勉強になる。。↓


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